ファッション業界において最も権威あるアワードとして知られる「CFDAファッション・アワード」が今週月曜日(6月6日)にニューヨークのマンハッタン・センターで開催され、ファッション界にゆかりのあるセレブたちが集結した。
CFDA(Council of Fashion Designers of America/米ファッション・デザイナー協会)によって、毎年ファッション界のさまざまな分野で偉大な功績を残した人物に贈られるこの賞を受賞することは、ファッションに携わる人々にとって、一番と言っても過言ではないほどの名誉。
そんななか、現代のファッション界に最も影響力を持つ人物を称える賞“フッション・アイコン賞”を今年はビヨンセが受賞。その受賞スピーチで、ビヨンセは、これまであまり明かしてこなかった、ファッションデザイナーの母と裁縫師だった祖母にまつわる感動的なエピソードを披露した。
ビヨンセがファッションとの深い関わりについて語ったロングスピーチの一部を抜粋して紹介。
ファッションはいつも私の人生の一部でした。ファッションの私への影響は、じつは、私が産まれる前にすでに始まっていたのです。
これはあまり知られていないことですが、私の祖母はお針子でした。貧しかった祖父母は、私の母がカトリック系の学校に通うための学費を捻出することができませんでした。そこで、学費を支払う代わりに、祖母が教会の牧師や修道女たち、そして生徒たちの制服を縫うことで、母に教育を受けさせたのです。さらに祖母は、彼女が培った縫製の技術を母に教えました。
私がデステニーズ・チャイルドとしてデビューしたばかりの頃、多くの有名ブランドは私たちに彼らの洋服を着せたがりませんでした。それは、私たちが田舎から出てきた、スリムとは言えない体型の黒人の少女たちだったからです。当時、私たちのスタイリストを務めていた母は、ニューヨーク中のプレスルームを回りましたが、どこのブランドからも衣装のリースを断られていました。
でも、母は祖母が母にしたように、彼女の才能とクリエイティヴィティを活かして、私たちに夢を見せてくれました。母は、叔父の協力を得て、私たちのデビュー衣装のすべてを手作りしてくれたのです。
母が情熱と愛情を込めてクリスタルやパールなどの装飾をひとつひとつ丁寧に手縫いしてくれた衣装を身につけて、初めてステージに立ったとき、私はまるで鎧でも身につけたように強くなった気がしました。その衣装には、有名ブランドの名前にも負けない素晴らしさと奥深さがあったのです。
ウェディングドレスも、プロム(卒業パーティー)のドレスも、初めてグラミー賞を受賞したときのドレスも・・・私が人生における大事な場面で着た洋服は、ほとんど母がデザインしてくれたものです。
私にとってファッションとは、自分自身のアイデンティティを見つけるための手段であり、そして、人生の節目を大切に閉じ込めておくためのタイムカプセルのようなものなのです。
母、祖母、そして叔父に感謝するとともに、この賞を頂けたことを心から誇りに思います。
―ビヨンセ/CFDAファッション・アイコン賞の受賞スピーチより抜粋
授賞式の会場となったマンハッタン・センターには、ビヨンセの母とともに、夫でラッパーのジェイ・Z、2人の長女ブルー・アイヴィーちゃんの姿が。ビヨンセの名誉のスピーチをしっかりと見守っていた。