今や世界トップクラスのラッパーの1人であるドレイクだけれど、過去にエミネムと似ていると思われ、契約を逃していたことが明らかに。ドレイクとの契約を蹴ったある大物が当時を振り返った。(フロントロウ編集部)

ドレイクが契約を逃していた過去

 今年7月にリリースしたDJキャレドとの「Popstar(ポップスター)」と「Greece(グリース)」の2曲が米Billboardの全米シングルチャートで通算38曲目となるトップ10入りを果たし、ザ・ビートルズやマドンナを抜いて、史上最も多くの楽曲を全米トップ10に送り込んだアーティストとなったドレイク

 今年4月にはシングル「Toosie Slide(トゥージー・スライド)」を使った「トゥージー・スライド・チャレンジ」がTikTokで流行するなど、現在の音楽シーンを代表するアーティストの1人であるドレイクだけれど、そんな彼も最初から順調にキャリアを歩んできたわけではないよう。今回、シンガーでプロデューサーのエイコン(Akon)が、かつてドレイクとの契約を断ったという知られざるエピソードを明かした。

ドレイクはあの人に似ていた

 エイコンはアーティストとしてのキャリアだけでなく、レディー・ガガの初期の代表曲「Just Dance(ジャスト・ダンス)」を手がけるなど、プロデューサーとしても成功を収めていることで知られており、2004年に自身レーベルであるKonLiveを設立して以来、ガガをはじめ、ラッパーのT-ペイン、キャット・デルーナら多くのアーティストたちを見出してきた。

画像: プロデューサーとしてレディー・ガガらを見出してきたエイコン。

プロデューサーとしてレディー・ガガらを見出してきたエイコン。

 エイコンによれば、2005年に自身のレーベルに所属するラッパーのカーディナル・オフィシャル(Kardinal Offishall)から、ドレイクと契約するように薦められたことがあったそう。今回、エイコンはYouTubeチャンネル「VladTV」によるインタビューに応じて、ドレイクを薦められた当時を次のように振り返った。

 「カーディナル・オフィシャルが(ドレイクを)俺のところに連れてきたのが2005年か、もしくは2004年だったんだけどさ。『Best I Ever Had(ベスト・アイ・エヴァー・ハド)』が爆発する前だったと思う」と、グラミー賞で最優秀ラップソング賞を含む2部門にノミネートされた2009年発表の「Best I Ever Had」でドレイクがブレイクを果たす前に彼を紹介されたと明かしたエイコンは続けて、「信じられないかもしれないけど、当時のドレイクはエミネムに近いサウンドだったんだ。俺が聴いたデモは、エミネムに近いサウンドだったんだよ」と、かつてドレイクが作っていた音楽がエミネムのサウンドに近かったという衝撃の事実を告白した。

 「『Best I Ever Had』とあのデモの違いは明白だよ。完全に違うものだったからね」とエイコン。彼から契約を見送られたドレイクは最終的にリル・ウェインのレーベルであるヤング・マネーからデビューしたのだけれど、その後のドレイクの成功は周知の通り。

 当然と言うべきか、最初に自身にドレイクを紹介したカーディナル・オフィシャルからはドレイクと契約しなかったことについて詰め寄られたようで、エイコンは次のように明かした。「カーディナルからはあの時、『コイツは絶対ヤバイって言ったじゃないですか!』って言われてね。『確かにな、(ドレイクのチームに)連絡してみるか』って俺は言ったんだけど、『いいですけど、最低でも(契約金として)100万ドルを提示しないとですよ』って言われてしまったよ」と、逃した魚の大きさに気がついた頃には、ドレイクが簡単には手を出せないほどの存在になっていたと振り返った。(フロントロウ編集部)

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