ボン・ジョヴィの元ギタリストであるリッチー・サンボラが、娘のエイバ・サンボラと共に米Peopleに登場。そこでは親子の絆について語られた。(フロントロウ編集部)

リッチー・サンボラが娘とインタビューを受ける

 1983年にデビュー曲「Runaway(邦題:夜明けのランナウェイ)」をリリースして以来、今もなお第一線で活躍するアメリカのロックバンド、ボン・ジョヴィの初期メンバーであるリッチー・サンボラ。

画像: リッチー・サンボラが娘とインタビューを受ける

 リッチーはフロントマンのジョン・ボン・ジョヴィの相方としてこれまでボン・ジョヴィの代表曲である「Livin' on a Prayer(リヴィン・オン・プレイヤー)」や「It's My Life(イッツ・マイ・ライフ)」をはじめ、「Bad Medicine(バッド・メディシン)」や「You Give Love a Bad Name(ユーギブ・ラブ・ア・バッド・ネーム)」などの名曲を手がけてきたけれど、アルコール依存症や家庭の問題などが理由で2013年に突如脱退。

 リッチーがボン・ジョヴィを脱退して5年以上経つものの、今もなお復帰してほしいとの声が絶えない。しかしリッチーはボン・ジョヴィを脱退して「後悔はない」と米Peopleに語った。

 今回Peopleのインタビューには、リッチーと一緒に娘のエイバ・サンボラも登場。そのインタビュー中ではボン・ジョヴィとして世界中を周わっているなかでも、リッチーは娘のためにずっと「あること」を行なっていたことが明かされた。

多忙なリッチーが欠かさなかったこととは?

 それはどこにいても娘の行事には参加するということ。エイバはリッチーについて「父は私がチアリーダーをしていたフットボールの試合、パフォーマンスしたダンスのリサイタル、そして全ての学校行事にどれだけ遠くても来ていた。父親と娘のダンスのためにオーストラリアから飛んできて驚かされた」と、どれだけ忙しくても娘のために駆けつけていたと語った。

 そのためリッチーはボン・ジョヴィを脱退してからはエイバの送り迎えをするようになり、「お父さんは私を全身全霊で愛してくれて、父の娘であることがとてもラッキー」とエイバが言うほど強い絆で結ばれている。

 ボン・ジョヴィを脱退して多くの人が悲しんだけれど、リッチーにとっては良かったこと。ジョンは「彼がバンドにいられたら良かったし、アルバムで一緒にいて欲しかったし、彼が正気でシラフだったら良かったのにと願った」と英BBCに語るほど、リッチーの存在は今でも大きいけれど、それぞれ違う道で活動を続けている。

(フロントロウ編集部)

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