3月8日は国際女性デー。3月は女性史月間。女性たちの歴史を学ぶこの期間だけれど、それ自体が制定されるまでにも、闘った多くの女性たちがいる。(フロントロウ編集部)

国際女性デー、女性史月間、その歴史

 毎年3月は女性史月間。そして3月8日は国際女性デー。今なお世界中で色濃く残る女性差別だけれど、女性が歩んできた歴史や権利について考える日はある。しかしそれすらもなかった時代はとても長い。

 女性史月間や国際女性デーには、これまでに女性が成し遂げてきた功績や、その歴史や権利について振り返ることが多いけれど、この国際月間や国際デー自体にも、その制定に影響を与えた女性たちがいた!

画像: 国際女性デー、女性史月間、その歴史

1908年、アメリカで女性たちがマーチ

 すべての始まりは、1908年にアメリカのニューヨークで行なわれた、約1万5,000人の女性によるマーチ。このマーチは、女性が置かれている労働環境や、当時女性にはなかった選挙での投票権を求めるものだった。これを受けて、当時存在したアメリカ社会党が、1909年の2月28日をアメリカにおける女性デーとした。

ドイツの歴史的フェミニスト、クララ・ツェトキン

アメリカで始まった女性デーを国際的なものにしようと呼びかけたのが、1857年から1933年を生きた左派のドイツ人政治家であるクララ・ツェトキン氏。1910年に出席したデンマークのコペンハーゲンで開催された働く女性の国際会議でそう呼びかけられ、17ヵ国より参加していた100名の女性が全会一致で賛同した。

画像: クララ・ツェトキン

クララ・ツェトキン

闘ったロシアの女性たち

 3月8日が国際デーになったのには、第一次世界大戦中である1917年に革命を起こしたロシアの女性たちの影響がある。1917年2月23日に発生した「2月革命」は、最終的にロシア最後の皇帝ニコライ2世を退位に追い込んだ。そしてこの動きは、2月23日に女性労働者たちが始めたもの。

 当時のロシアで使われていたユリウス暦における2月23日は、現在多くの国で採用されているグレゴリオ暦で3月8日。

画像: 1917年にロシアのサンクトペテルブルクで撮影された1枚。

1917年にロシアのサンクトペテルブルクで撮影された1枚。

国連によって公式に

 1910年代から、国際女性デーは一部の国々で祝福されるものになっていたことが分かる。しかしその約60年後である1975年に、国連が正式に3月8日を国際女性デーとした。この時から、毎年テーマも決められるようになった。

国際デーから週間、そして月間に

 その後、1970年代にはアメリカの各地で国際デーを初日として、女性史週間が祝われるようになった。1980年には、当時のアメリカ合衆国大統領であるジミー・カーター氏が、アメリカにおける女性史週間を公式のものとしている。

 そしてその後、各地で週間が月間に変化していき、1987年にはアメリカで3月は女性史月間であるということが議会で決定された。女性史月間にはバラつきがあり、例えばカナダでは、国際女性デーは3月8日だけれど、女性史月間は10月となっている。

 もちろん、社会問題である女性差別を、1年のうちに1ヵ月しか学ばないで良いというわけではない。しかし、その歴史においてアメリカからヨーロッパ、そしてロシアなど、国を超えた女性たちの連帯を感じられる3月には、より一層女性の権利向上や差別の問題を意識したい。

(フロントロウ編集部)

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