いつも明るく、いい人キャラで知られるウィル・スミス。陽気な笑顔の裏に隠された、妻ジェイダ・ピンケット・スミスとのひと言では語れない複雑な結婚生活や、あまり知られていないDV家庭の子としての生い立ち、息子から離縁を懇願されたエピソードなどを特集。(フロントロウ編集部)

明るいキャラのウィル・スミス

 ハリウッドを代表するスターのウィル・スミスといえば、映画『バッドボーイズ』や『メン・イン・ブラック』、『アイ・アム・レジェンド』といった代表作がずらり。コメディからアクションまで幅広い作品に主演し、近年では、ディズニー実写版映画『アラジン』で演じた魔法のランプの精ジーニーを好演。映画『ジェミニマン』では、若き自分自身のクローンと対峙する中年のスナイパーの1人2役を演じて話題となった。

画像: 明るいキャラのウィル・スミス

 1990年代にラッパーから俳優に進出して以来、30年以上も第一線で活躍しながら、その印象は、気取らず、いつも朗らかで、茶目っ気たっぷり、ノリが良くて、サービス精神旺盛。ただそこに居るだけで周囲をぱっと明るくするような、まるで太陽のような魅力の持ち主として、ここ日本でも多くの人に愛されている。


アカデミー賞のビンタ騒動

 そんなウィルは、テニス界のレジェンド姉妹であるヴィーナス&セリーナ・ウィリアムズを育てた父リチャード・ウィリアムズを演じた映画『ドリーム・プラン』で第94回アカデミー賞主演男優賞を受賞。

 過去に2度、同部門にノミネートされながらの悲願の受賞、黒人男性としては史上5人目の快挙という、ウィルのキャリアにおいて最高ともいえる出来事のはずだったが、世間の注目は、その直前に起きたビンタ騒動に集中することとなった。

画像1: アカデミー賞のビンタ騒動

 全世界の人々がライブ視聴するアカデミー賞のステージで、妻であるジェイダ・ピンケット・スミスの髪の毛を揶揄したコメディアンのクリス・ロックに無言で歩み寄り、マイクが「ドンッ」という衝撃音を拾うほどの一撃をお見舞いしたウィル。

 呆然とするクリスに向かって、「お前のファッキンな口から妻の名前を出すな」と放送禁止用語であるFワードを使って厳しい表情で怒鳴るウィルの姿を見て、「これは自分が知っている“ウィル・スミス”ではない」とハッとした人は世界中に一体どれくらいいただろうか。

 あの瞬間、そして自身の行動を詫びた涙の受賞スピーチで完全なる“素”を見せたウィル。

画像2: アカデミー賞のビンタ騒動

 世間では、あの時の彼の行動を 「妻を守った勇敢な男性」と称賛する声もある一方で、いかなる理由であっても「暴力は容認できない」という声も。「オスカーを返上すべきなのではないか」といった厳しい意見もある。

 そんな騒動の渦中にいるウィル。彼はいつも太陽のような眩しさのあるキャラクターを見せているが、世間にあまり知られていない壮絶な体験もしており、それについて語ることもあった。今回、そのいくつかを振り返る。


母に暴力を振るう父

 1968年、元軍人の父と教育委員会勤務の母の間に生まれたウィルは、4人きょうだい(姉1人、双子弟と妹)の中間子として米ペンシルベニア州フィラデルフィアで育った。

 退役後は冷却装置のエンジニアとして働いていた今は亡き父のウィラ―ドは、ウィルが幼い頃、母キャロラインに対して度々暴力を振るうことがあったという。

 ウィルはDV家庭で育った幼少期について、2022年11月に発表した自叙伝『ウィル(原題:Will)』のなかで振り返っており、ウィラードはスポーツの試合や劇、リサイタルといった行事には毎回参観し、俳優になってからもプレミアに足を運ぶなど、表向きは熱心に応援してくれる父親だったが、その一方で、アルコール依存症を抱え、キャロラインが血を吐くまで殴ったこともあったと告白した。

画像: 2004年、映画『アイ,ロボット』のプレミアにかけつけた父ウィラードと。

2004年、映画『アイ,ロボット』のプレミアにかけつけた父ウィラードと。

 当時を回想し、父が母を打ちのめす恐ろしい光景や母を守る事ができなかった無力感が現在の自分の在り方に大きく影響していると、ウィルはこう綴っている。

 9歳のとき、父が母の側頭部を激しく殴り、母が倒れるのを見た。母が血を吐くのも見た。あのベッドルームでの瞬間が、恐らく人生のどの瞬間よりも、私が誰であるかを決定づけた。賞、称賛、スポットライト、注目、演技、笑い、それ以降の私の行動のすべてに、あの日何もできなかったことに対する母への謝罪の言葉がさりげなく含まれている。あのとき、母を失望させてしまったこと。父に立ち向かうことができなかったこと。臆病になっていたこと


DV家庭で育った子供の生きづらさ 自殺を考えたことも

 アカデミー賞授賞式の数日前に出演した米CBSの番組『Sunday Morning』のインタビューで、DV家庭で育ったことに改めて言及し、父が母に暴力を振るう様子をただただ見ていることしかできなかった少年時代について、「僕は何もできませんでした」とつぶやいたウィル。

 インタビュアーが「でも、まだ小さかったあなたには、できることなど何もなかったのでは? 」と擁護すると「子供の思考というのは、そういう風には働かないんです。僕は自分がスーパーヒーローになれると思っていました」と、自分を責め、非力さに落胆していたことを明かした。

画像: 2021年、母キャロラインをレッドカーペットに同伴したウィル。

2021年、母キャロラインをレッドカーペットに同伴したウィル。

 ウイルが13歳の頃、父の暴力に耐えかねた母キャロラインが家を出て行き、両親は別居。母は数ブロック先の祖母の家に移り住んだというが、その時も、ウィルは家族がバラバラになるのは自分のせいだと思い込んでいたそうで、「人生で自殺を考えたのはその時だけでした。『僕が悪いんだ』と思い込んでいたんです。どうやったらそういう思考に至るのかはわかりませんが、子供というのはそういうものなんです。家族が崩壊してしまったのは、自分の責任だと思っていました」と語った。

 自叙伝『ウィル』では、「薬を使うことも考えた。少年が線路で両脚を失ったという場所のことも知っていた。テレビでバスタブの中で人々が手首を切るシーンだって見たことがあった。でも、頭の中にはいつも祖母のジジの『自殺は罪だよ』という言葉がかすかに聞こえていた」と、祖母の言葉を思い出して、自らの命を絶つという考えを振り払ったと綴っている。

画像: DV家庭で育った子供の生きづらさ 自殺を考えたことも

 それからというもの、ウィルは家庭でのつらい日常を誤魔化すかのように、学校ではおちゃらけたキャラを演じるようになった。皮肉にもクラスの人気者となった彼に、ある教師がつけたニックネームが「プリンス・チャーミング」。

 このあだ名は、ウィルを一躍スターダムへと押し上げることとなった1990年放送開始の俳優デビュー作『べルエアのフレッシュ・プリンス』のタイトルの由来にもなった。

画像: 『ベルエアのフレッシュ・プリンス』では架空の自分自身である主人公の“ウィル・スミス”を演じた。

『ベルエアのフレッシュ・プリンス』では架空の自分自身である主人公の“ウィル・スミス”を演じた。


父への復讐を胸に 介護殺人を踏みとどまる

 俳優やラッパーとして華やかなスポットライトを浴びる裏で、ずっと幼少期のトラウマを隠してきたウィル。

 長年にわたり別居状態だった両親は2000年に正式に離婚。わだかまりを抱えながらもウィラードとはうまく付き合っていたが、数十年後、がんを患ったウィラードの世話をしていた際、ウィルの脳裏に、ふと、子供の頃に目にした光景に対する怒りと苦しみが蘇ってきた。

 「ある夜、父を車椅子にのせて寝室からバスルームに連れて行くとき、私の中に暗闇が生まれた。子供の頃から、いつか母の仇を討つと自分に言い聞かせていた。十分に大きくなって、十分に強くなって、臆病者ではなくなったとき、私は彼を殺すのだと。私は階段の上で立ち止まった。彼を今ここから突き落としても、罪を逃れるのは簡単なことだ。私はウィル・スミス。私が父親を殺したなんて誰も信じないだろう。私は世界でも有数のベストアクター(優秀な俳優)だ。私の通報の電話はアカデミー賞級だろう。何十年にもわたる痛み、怒り、憤りが押し寄せては引いていく中で、私は頭を振り、父をトイレに連れて行った。トラウマによる心の暴走ではなく、実際の行動だけで判断されることを神に感謝します」

 すっかり弱々しくなった父の姿を見て、“今こそ復讐するチャンスなのでは…”というドス黒い考えが、一瞬、頭をよぎってしまったことを自叙伝『ウィル』のなかで打ち明けている。

 しかし、この時、誤って一線を超えなかったこと、そして、ウィラードの最期を看取ったことで、ウィルにとっては人生の新たなチャプターが幕を開けたという。

 ウィルは、「父との最期の時間において、僕は父を許すことができました。自分自身を許すことができたというのも衝撃的な気づきでした。父の死により、僕の人生の新たなフェーズが始まったんです」と『Sunday Morning』で語っている。


息子からの「離縁」の申し入れ

 父ウィラードの晩年まで親子関係に悩まされたウィルは、それを反面教師にするかのように、自身の子供たちとは良好な関係を築いている。

 ウィルには、最初の結婚で誕生したトレイ、そして『ベルエアのフレッシュ・プリンス』での共演がきっかけで出会い、1997年に結婚した現在の妻で映画『マトリックス』のナイオビ役などで知られる俳優のジェイダ・ピンケット・スミスとの間に第1子ジェイデンと第2子ウィローがおり、すでに成人した3人の子供たちとの現在の関係はまるで親友同士のよう。出演作のプレミアやアワードなどに一家で顔を出したり、おたがいのSNSに登場したりすることもある。

画像: 左から:ジェイダ・ピンケット・スミス、ウィロー・スミス、ウィル・スミス、ジェイデン・スミス、トレイ・スミス。

左から:ジェイダ・ピンケット・スミス、ウィロー・スミス、ウィル・スミス、ジェイデン・スミス、トレイ・スミス。

 今でこそ、ハリウッドの仲良しファミリーの代表格として知られるスミス一家だが、ミュージシャンや俳優として活躍するジェイデンとウィローは、あまりにも有名すぎるウィルを父親に持ったことにより、2世セレブとしての重圧にひどく苦しんだ時期もあったそう。

 ジェイデンに至っては、彼がまだ15歳の頃、法的に両親と離縁したいと懇願したことがある。

画像: 息子からの「離縁」の申し入れ

 2013年に公開された映画『アフター・アース』で3度目の親子共演を果たしたウィルとジェイデン。ウィルが制作を手がけ、妻のジェイダもプロデューサーとして加わったM・ナイト・シャマラン監督の同作で、ジェイデンは両親の指導のもとで主演を務めたが、公開後の評価は最悪。巨額の制作費が投じられたにも関わらず、興行収入は大きく低迷し、メディアや世間から酷評された。

画像: 映画『アフター・アース』のジャパン・プレミアに合わせ、ジェイデンを連れて来日したウィル。

映画『アフター・アース』のジャパン・プレミアに合わせ、ジェイデンを連れて来日したウィル。

 この時、精神的に極限まで追い込まれたジェイデンは、ウィルとジェイダに法律的に独立した未成年者となりたい、つまり、法的に親子の縁を切りたいと訴えたという。

 ウィルは、息子に重圧を背負わせ、傷つけてしまったことについて、「15歳のジェイデンに法的に独立したいと懇願されたとき、僕の心は粉々に砕けた」「結局のところ、ジェイデンはそうしないことを決断したが、自分の子供を傷つけてしまったと感じることは最悪な経験だった」と振り返っている。


失恋で自暴自棄 セックス依存によりセックスを受けつけない体に

 ウィルは人生において2度大きな失恋を経験したことを明かしている。

 初恋の相手だったメラニーという女性にぞっこんだったが、当時、音楽活動が軌道に乗っていたウィルが約2週間のツアーに出ている最中に彼女が浮気。これが原因で破局し、ひどく傷ついたウィルは、数え切れないほどの女性たちと体の関係を持つことで気を紛らわせようとした。

 「僕は心底助けを必要としていた。でも失恋に効く特効薬はないから、ショッピングとセックスに頼るしかなかった。当時の僕はメラニー以外の女性とセックスをしたことがなかった。けれど、数ヵ月経たずして僕は性に狂ったハイエナになった」

 自暴自棄になり、セックスに依存していたウィル。しかし、乱れた性生活はウィルの心と体に異変をもたらした。なんと、セックスのしすぎでオーガズムに達すると、体が“拒否反応”のようなものを示すようになってしまったのだ。

画像: 1995年カンヌ映画祭のフォトコールにて。

1995年カンヌ映画祭のフォトコールにて。

 「たくさんの女性とセックスをした。けれど、体はそれを嫌がっていたのか、オーガズムを感じることに一種の心理的作用がはたらくようになった」と記しているウィル。女性たちとの行為中に吐き気を催し、ときには嘔吐することもあったという。

 「この美しい見知らぬ人が、僕を愛してくれる『運命の人』であり、この痛みを消してくれる人であることを神に願った。でも毎回途中で気持ち悪くなり、惨めな思いをしていた。そして、女性たちの冷たい視線は僕の苦しみをさらに深くした」


女性に認められることがすべてだと思っていた

 メラニーとは、しばらくして復縁したが、結局上手くいかなかった。再び彼女と別れた際、ウィルは自身が彼女のために買った品をすべて集め、火をつけて燃やすという過激な行動にも出ている。

 そして、ウィルの2度目の大失恋は、現在の妻ジェイダと2011年に一度別れたこと。

 1997年に結婚したウィルとジェイダは、いつの日からか価値観の違いによる言い争いが絶えなくなり、ジェイダの40歳のバースデーで娘ウィローが「やめて」と懇願するほど激しく衝突。これがきっかけで、離婚には至らなかったものの、一時的に距離を置いていた期間があった。

画像1: 女性に認められることがすべてだと思っていた

 ウィルは、ジェイダとの別れを機に自分自身を見つめ直すため、友人のすすめで、シャーマン(呪術・宗教的職能者)の指導のもとアマゾン北西部で伝統的に用いられている天然の幻覚剤「アヤワスカ」を試してみたそう。

 サイケデリックス(精神展開薬)であり、ペルーでは国家文化遺産(※)ともなっているアヤワスカを使った儀式に2年間のうちに14回参加したことを自叙伝の中で明かしているが、この時の自己浄化の体験を通じて得た気づきの中には、それまで自分がいかに女性たちに認められることに執着していたか、というものもあったという。

※シャーマンによって神聖な薬として処方され、うつ病やアルコール依存症、薬物中毒などの治療として使われる国もあるが、日本では違法。

画像2: 女性に認められることがすべてだと思っていた

 「僕はこれだけ美しいんだから、主演映画が1位になれなくたって満ち足りているはずだ。これだけ美しいんだから、愛される価値があると感じるのにヒット曲なんて必要ない。これだけ美しいんだから、ジェイダやほかの誰かに認めてもらう必要なんてないんだ」と内省したウィル。

 幼い頃は慕っていた祖母に、そして10代後半は初恋の相手メラニーに、さらに20代~40代の約20年間はジェイダに。おもに女性たちにどう思われるかで、自分の価値をはかっていたが、この時ついにその呪縛から解放されたと示唆している。


妻ジェイダとの型にはまらない絆

 ウィルとジェイダの結婚生活は、結婚していながらもおたがいに第三者と恋仲になることを認める「オープンリレーションシップ」制を採用しているのではないかと何年ものあいだウワサされてきた。

 2人の関係が世間一般的な夫婦とは少し異なるものだという事実が決定づけられたのは、2020年に勃発した“公認不倫”騒動。これは、ウィルとジェイダの息子ジェイデンの友人でスミス一家と家族ぐるみで親しくしていたシンガーのオーガスト・アルシーナが、ジェイダと過去に数年間にわたって交際し、その事実はウィルも認めていたと発言したことが発端で起きたもの。

画像: 2017年、BETアワードに一緒に出席したオーガストとジェイダ。

2017年、BETアワードに一緒に出席したオーガストとジェイダ。

 この件について最初は否定していたウィルとジェイダだったが、ジェイダが娘ウィローと母のエイドリアンと一緒にホストを務めるトーク番組『Red Table Talk』にウィルが出演。   

 夫婦生活に問題を抱え、それぞれの幸せを追求しようと考えて距離を置くことを決めた時期があり、ジェイダがその間にオーガストと交際していたことをはっきりと認めたうえで、「多くの夫婦がこうした問題を抱えるけど、たくさんの人たちが別れるという決断をしている」が、自分の選択を受け入れ、支え続けてくれたウィルに感謝していると口にした。

 ジェイダは「私たちは無償の愛という新しいステージに到達することができた」ともコメント。最後には、2人して「生きるのも一緒。死ぬのも一緒。生涯、はちゃめちゃな結婚生活だよ」と声を合わせて笑いながら宣言し、互いへの愛を改めて確認した。

画像: 『Red Table Talk』にて。©Facebook

『Red Table Talk』にて。©Facebook

 ちなみに、ウィルはこの騒動から約1年後の2021年秋に応じた米GQとのインタビューで、既婚の身でありながら、相手の了承を得たうえで別の誰かと体の関係を持ったのはジェイダだけではない、つまり、自分もジェイダ以外の女性と肉体関係を結んだことを明かしている。


「私の行動は、私がなりたい人物像を表すものではなかった」

 物議を醸したアカデミー賞のステージでのビンタ騒動について、ウィルを知る業界関係者たちは、こんな風に米Peopleに私見を語っている。

 「ウィルは素晴らしい男性ですが、彼は怒りとアルコールの問題であふれた家庭で育ちました」「彼はたくさんの情緒的問題を抱えており、特定の事柄に触発してしまうんです。何年にもわたって浮き沈みはありましたが、彼はジェイダのことをとても愛しています。ウィルは何があっても家族を愛し、守るでしょう」。

画像: 「私の行動は、私がなりたい人物像を表すものではなかった」

 授賞式から一夜明け、インスタグラムへの投稿を通じて、「暴力はいかなる形でも有害であり、破壊的です。昨夜のアカデミー賞授賞式での私の振る舞いは、受け入れがたいものであり、許しがたいものでした」と反省し、関係者へ謝罪したウィル。

 そのメッセージに含まれていた「私の行動は、私がなりたい人物像を表すものではありませんでした。愛と優しさのある世界に、暴力の居場所はないのです」という一節や、最後を締めくくった「私は未熟者です」というひと言には、50歳を超えた今でも、過去のトラウマやしがらみから抜け出せず、情緒的な問題を抱えてもがいているウィルの真の苦悩が滲んでいるようだった。(フロントロウ編集部)

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