ラッパーのスヌープ・ドッグが、今は亡き盟友である2パックが銃で撃たれた日のことを振り返った。(フロントロウ編集部)

かつては盟友だったスヌープと2パック

 2パックはラッパーとしてスターダムの頂点にいた1996年9月7日に、ラスベガスで行なわれていたマイク・タイソンのボクシングマッチの終了後、信号待ちをしていた際に横づけされたキャデラックから銃弾を浴びて死亡。25歳という若さでギャング抗争の末に凶弾に倒れた2パックの死は、いまだに謎に包まれている部分が多い。

画像: かつては盟友だったスヌープと2パック

 今でもファンが多く、伝説のラッパーとの呼び声が高い2パックが銃で撃たれた日のことを、盟友のスヌープ・ドッグがポッドキャスト『Impaulsive』で明かした。

 スヌープと2パックは、映画『Poetic Justice』の打ち上げで初対面。そして2パックがデス・ロウ・レコードに移籍すると、コラボ曲をリリースして仲を深めた。

 しかしスヌープが、当時2パックの“敵”だったビギーことノトーリアスB.I.G.と仲が良いことをラジオの生放送で発言すると、それ以来2パックとの関係が急激に悪化。

 その後も関係は修復されることなく、2パックの銃撃事件が起こってしまった。当時は疎遠になっていたスヌープだが、事件を聞くとすぐに2パックの元へ駆けつけたという。

2パックが生命維持装置に繋がれている姿に失神

 スヌープは当時のことを「(デス・ロウ・レコードのCEOだった)シュグ(・ナイト)は頭を抱えながら僕たちに何が起こったのかを話してくれました。『パックは大丈夫だ。彼なら乗り越えられる。彼は過去に9回も撃たれているんだ。彼なら大丈夫だ』という感じでした」と、ポッドキャストで語った。しかし、本当はそうではなかった。スヌープは「だから、僕たちは大丈夫だと感じていたんです。病院に行って大丈夫じゃないってことがわかるまでは。彼は管につながれていた。病院に入った時、彼がそこにいないような気がして、気を失ったんです」と告白。

画像: 2パックが生命維持装置に繋がれている姿に失神

 そこで助けてくれたのが、2パックの母だったという。「それから彼の母親が僕を起こしてバスルームに連れて行き、強くなるようにと話したんです。彼女は、『私のベイビー(2パック)は、あなたが弱いところを見たことがないんです。あの子の前では弱音を吐かないでほしい。バスルームで気持ちを切り替えて、またここに戻って、彼に自分の気持ちを話すんです。私のベイビーはあなたを愛してるんです』」と2パックの母親に説得されたことを明かした。

 2パックとスヌープの間に微妙な空気が流れていたことは、母親も知っていたよう。それでも盟友だったスヌープに対して優しく接しており、2パックと最後に過ごす時間をくれたようで「少しピリピリしていたのは知っていたけど、僕らがどれだけ愛し合っているか知っていたから、彼のことをどれだけ愛しているかといったことを伝える時間をくれたんです。でも、それが彼と話す最後の時間になることは分かっていた」と語った。

 2パックは帰らぬ人になったため、生前スヌープが2パックと以前のような関係に戻ることはなかったが、スヌープは今でも2パックへのリスペクトは絶えず、時々自身のインスタグラムで2パックとの写真を公開している。(フロントロウ編集部)

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