今年のサマーソニックでコロナ禍以降初めて表舞台にカムバックして世界的に話題になったThe 1975が、通算5作目となる待望のニューアルバム『外国語での言葉遊び(原題:Being Funny in a Foreign Language)』をリリースした。フロントマンのマシュー・ヒーリーいわくバンドの「原点」に回帰したという本作でThe 1975が届けようとしているのは、パーソナルな愛を筆頭とした普遍的なテーマたち。マシューが『外国語での言葉遊び』に込めた思いを丁寧に語ってくれたオフィシャル・インタビューが到着した。(フロントロウ編集部)

INTERVIEW HIGHLIGHTS

  • 『外国語での言葉遊び』はブラック&ホワイト(『The 1975』)への原点回帰
  • 本作はIMAX®シアターで観る“映画”というよりは“写真”
  • マシュー・ヒーリーはクールな人間では決してない
  • 外国語で言葉遊びをすることは世界の問題を解決する可能性を秘めている
  • 日本に来たことで自分たちは「インターネットの産物」だと悟った
  • マシュー・ヒーリーは実は結構いいヤツ
  • The 1975が愛や普遍的なテーマを歌うのはそれが「ラディカル」だから

The 1975のマシュー・ヒーリーが『外国語での言葉遊び』を語る

画像: ©️Samuel Bradley
©️Samuel Bradley

ニューアルバム『外国語での言葉遊び』の制作に着手するにあたって、ご自身がどういう心境にあったのか、振り返って教えて下さい。

マシュー・ヒーリー:当初は、色んなことを考えていて、整理ができていませんでした。いったいどんなアルバムを目標にして作業をしているのか分からなくて、非常に曖昧な状態だった。かなり制作プロセスが進行するまで、僕らには明確なヴィジョンというものがなくて。なので、とにかく、方向性を定めずにたくさんの、色々と異なる断片を作っていました。本当にたくさんの、多種多様な断片をね。そしてようやく方向性が定まった時に、これらの断片を聴き直して、どれが曲として成立していて、どれがしていないのか選別し始めて、曲として成立していないものは脇に避けておいたという感じで。それで、曲として成立しているものに意識を集中させて、それらをスタジオで、機材を限定してレコーディングしました。それでおしまいっていう感じでしたね。

最初の2枚のシングル曲、「Part Of The Band(パート・オブ・ザ・バンド)」と「Happiness(ハピネス)」について教えて頂けますか?

僕にとって、アルバムのプロモーションが始まったばかりの時期に色んなことについて語るのは、結構難しいことで。というのも、それってセラピーを受けているみたいで、何がどういう意味を持つのか知っているつもりでいても、実際に誰かと話してみて、相手に「なるほど、でもこれってもしかしてこういうことなんじゃないですか?」とか「本当はこう感じているんじゃないですか?」と指摘されると、気持ちが揺れてしまうんですよね。だから僕は、その作品がみんなに浸透した頃になって、ようやく自分が何を作ったのかちゃんと理解できるところがあって。だから今の段階では、小説を書いて、その中から第3章と第4章と第5章あたりを人々に読ませてあげているような感じですね。今回は全体的に、The 1975を原点に回帰させたいということだけは分かっていました。と言いつつ、僕らの場合はその原点に該当するものが、あまりにもたくさんあるわけで。例えばエレクトロニック・ミュージックとか、セカンド・アルバム(『君が寝てる姿が好きなんだ。なぜなら君はとても美しいのにそれに全く気がついていないから。』)の路線とか、サード・アルバム(『ネット上の人間関係についての簡単な調査』)の路線とか。でも普通に考えれば、ブラック&ホワイト(※ファースト・アルバム『The 1975』のこと)こそ僕らの原点なので、最初の意思表示としてどの曲を選ぶべきかは明確でした。そして「ハピネス」以降の意思表示も全て、ブラック&ホワイトになっています。


“新作で用いた手法は写真に近いです。絵画ではなくてね。写真は決定的な瞬間を捉えていて、人は、撮影に費やした時間より長い間、その写真を眺めるものですよね。”


これらの曲のミュージック・ビデオについても教えて下さい。

ビデオに関しては、抑制を効かせた、かなり慎ましいものにしたいという意図がありました。サミュエル・ブラッドリーというフォトグラファーと友達になり、彼の作風がすごく気に入ったので、彼と、ヴィジュアルやクリエイティヴ面での主要なコラボレーターであるパトリシア・ヴィリリロを交えて、ものすごくシンプルなアイディアを出し合いました。それを、非常に様式化された映像にすることで、あくまで曲そのものを主役することを目指しました。次のビデオはストーリー形式のものになるけど、最初の2本については、曲をヴィジュアル表現で補うようなものにしたかった。映像が曲そのものの、曲のナラティヴや歌詞の邪魔にならないようにね。特に「パート・オブ・ザ・バンド」ではそれを意識しました。

アルバムを初めて聴いた時に感じたのは、一種のノスタルジアであり、初めてThe 1975の曲を聴いた時のフィーリングを思い出しました。ファンが感覚的に共有している“The 1975らしさ”をかもしだす作品になったのは、どこまで意図的で、どこまで自然な成り行きだったのでしょう?

シニカルに聴こえたり、人為的な印象を与えたりしかねないネガティヴな言葉は一切使いたくないのですが、このアルバムでは、これまでで最もコンセプチュアルなアプローチをとりました。まあ、どのアルバムも色んな意味でコンセプチュアルなんですが、このアルバムは「The 1975のサウンドとはどんなものなのか?」と思い描いて創りました。もしくは、「何が人々をThe 1975に惹きつけるのか?」とか「The 1975を形作る基本的要素は何か?」とか。これからも旅を続けていくにあたって、こういったことを一度見極めておこうじゃないか、という考えに則ったアルバムなんです。なぜって、僕らはあまりにも遠く離れたところまで来てしまったわけで。「The 1975とは何か?」どころか、そもそも「バンドとは何か?」という地点からも、随分遠い場所に来てしまった。だから、核心の部分での僕らがいったい何者なのかを自分たち自身に言い聞かせるのも、悪くないんじゃないかと思ったんです。そうすれば、そこからまた成長できますからね。そこが素晴らしいところです。この次に何をするのか、完全に白紙の状態になったわけですから。

音楽的には非常にオーガニックで、手を加えすぎていない、バンドが一室でプレイしている姿が思い浮かぶアルバムです。どんな考えがあったんでしょう?

まさに今言ったようなことですよ。ここでは、ひとつの瞬間に立ち会っているということ。ひとつの概念に立ち会うのではなくてね。だから前作との違いはどこにあるのかと言うと、新作は演劇を観に行くようなもので、前作はIMAX®シアターで『トランスフォーマ―』を観に行くようなものでした。前作は何もかも限界まで押し広げられていて、強烈でしたよね。それで、IMAX®シアターで(上映されているような)映画を観ている時にトイレに行きたくなったら、その映画と感情的なコネクションを築けるってわけじゃないから、軽い気持ちでトイレに行ける。でも、こじんまりした劇場で演劇を観ていたのだとしたら、トイレに行きたい気持ちを我慢してでも、席を立たずに最後まで観たいと思うわけで。中断したくありませんよね。だからこのアルバムは、ひとつの概念ではなくひとつの瞬間に立ち会っている気分にさせる、親密な作品にしたかった。例えば何かが起きて、それを記録しているのだとしたら、新作で用いた手法は写真に近いです。絵画ではなくてね。写真は決定的な瞬間を捉えていて、人は、撮影に費やした時間より長い間、その写真を眺めるものですよね。それが新作であり、前作の場合、僕らが制作に費やした時間以上に長い間、誰かがあのアルバムを聴き続けるってことはあり得ない。偉大な絵画作品というのは、そういうものです。作品と鑑賞者の間で時間のやりとりがある。絵画作品の場合、画家が制作に要した時間を鑑賞にも費やすのだとしたら、いったい何時間眺めていたらいいのか分からないですよね。でも写真なら事情は違う。瞬間的な決断で作られたものだから。つまり、このアルバムから僕が聴き取りたかったのは、文字通りの“写真”なんです。それは、一度きりの出来事を捉えた音であって、二度と再現できない。だから僕らはファースト・テイクを使います。前作とは真逆なことをやったのです。

画像: 最初の2枚のシングル曲、「Part Of The Band(パート・オブ・ザ・バンド)」と「Happiness(ハピネス)」について教えて頂けますか?

共同プロデューサーを務めた(テイラー・スウィフトらとの共作で知られる)ジャック・アントノフは、本作でどんな役割を果たしたのでしょう? 彼が加わることで、何か変わりましたか?

ジャックが何をもたらしたかと言うと、彼は新鮮なエネルギーを持ち込んでくれました。僕らは同じメンバーで20年活動を続けてきた上に、外に対して非常に閉ざされたバンドでしたからね。内部に入り込むのが非常に難しいんです。で、僕らはジャックと仲良くなって、すでに彼と展開していたクリエイティヴな対話をそのままスタジオに持ち込み、それを続行しながら音楽を一緒に作るのが当然の帰結だと感じました。それに僕とジョージ(・ダニエル/ドラマー)は、エゴはそんなに持ち合わせていない。自分たちの実力を証明する必要性は感じていない。ソングライティングについても、プロダクションについても賞をもらっていたりしますし。適役な人こそ適役なのです。


“「クール」なんてものは存在しないのです。僕らは誰もが混乱していて、ちょっとばかりイタいところがある。誰もが少しバツの悪さを感じていて、みっともないことをしているんです。”


冒頭の「The 1975」を筆頭に、20代の自分を振り返っている曲も少なくありません。しかも非常に自分に厳しい目を向けていますが、これから生きていくため、人間として前に進むには、必須の作業だったのでしょうか?

僕が思うに、イギリス人であることには自虐的であること、自己否定的であることがつきものなんですよね。中には、そういう演技をしているように見えたり、そうすることで本質を隠したりしているような人もいますけど、僕の場合は、そこにこそ笑えるところがある。僕は全く自分に厳しいとは思っていなくて。なぜって、じゃあその逆は何かって言うと、自分を褒め称えることですよね。そんなことは絶対にやらない。公衆の面前ではね。だから自分をおちょくるという選択肢しか残されていないのです。

「Human Too(ヒューマン・トゥー)」がいい例で、歌詞に関しては誠実であることにこだわり抜いています。リリシストとしては、本作にどうアプローチしましたか?

そうですね。僕は誠実さについて語っていることが多いです。誠実であるよりも皮肉な態度をとるほうが簡単であるとか、自分がバカみたいに見えかねないことを言うよりも、適当にジョークでごまかすほうが簡単なのだという話をしてきました。僕らはまさにそれを恐れているんです。日本ではどうなのか分からないですけど、イギリスでは誰もが、友人たちの前でバカみたいに見えるようなことをするのを、本当に怖がっています。例えばジョークが滑っちゃうとか、知っておくべき映画を知らないとか。「あの映画観た?」「う…うん」みたいな。なんで僕らはそんな行動をとるんだろうか? クールな人間であるとか、鋭い人間だと思ってもらえなくなることを恐れずに、正直に「ノー」と答えるほうが、ずっと難しい。僕自身も、そういうことについてはすごく敏感なんです。何しろ、一般的にクールだと見なされることに関わっていますからね。バンドをやっていて、成功していてっていう。みんなに言っておきたいのですが、僕はクールな人間なんかじゃない。“クール”なんてものは存在しないのです。僕らは誰もが混乱していて、ちょっとばかりイタいところがある。誰もが少しバツの悪さを感じていて、みっともないことをしているんです。

『外国語での言葉遊び』というアルバム・タイトルが、どういう文脈で選ばれたのか教えて下さい。

究極的には、賢くあることについて述べているタイトルなんです。誰かが外国語で人を笑わせているところを目撃したり、あるいは、英語が母国語じゃない人に自分が笑わせられたりした時に、僕は何にも増して感銘を受けます。「うわ、これってものすごくたくさんの知識を要することだよね」って思うんです。そもそも人を笑わせることからして簡単じゃないし、文化的なニュアンスみたいなものをちゃんと理解した上で、意図的に人を笑わせるなんてことは、僕にはとてもじゃないけど理解が及びません。それを実践するには、本当の意味で他者と共感し、本当の意味で異なる文化的視点を理解する必要があるわけで。誰もがそれをゴールに掲げたなら、もしくは、誰もが人を笑わせられるくらいに外国語をマスターしたなら、グローバリゼーションが引き起こす衝突なんかを解決できるんじゃないかなって思います。人を笑わせようとするってことは、心を通わせようとしていることを意味するわけですから。僕はそんなことを考えながらこのタイトルを選びました。

ほかのメンバーも賛成してくれたんですか?

うんうん。みんなオッケーしてくれましたよ。彼らは異論を挟まない…いや、そんなことはないですね。彼らは僕が書くことを編集したり、確認したりしています。でもそれは、僕が真実を伝えていないと彼らが感じた時だけですけど。真実じゃないかもしれないことを歌わせるくらいなら、何かみっともないこととかを言わせて、僕に恥をかかせたほうがいいと、彼らは思っていますからね。


“誰もが人を笑わせられるくらいに外国語をマスターしたなら、グローバリゼーションが引き起こす衝突なんかを解決できるんじゃないかなって思います。人を笑わせようとするってことは、心を通わせようとしていることを意味するわけですから。”


本作から聴き手に伝わればいいなと願っていることはありますか?

分かりません。すごく難しい質問ですね。なぜって僕がリスナーに求めることというのは、彼らの好きなように解釈してもらうことだから。ただ、相手が誰であろうと、無関心でいられることだけは望みません。「まあ、いいんじゃない?」とは誰にも思ってほしくない。愛されるか嫌わられるか、どっちかがいいですね。もしくは、最初は嫌っていて、その後好きになるというのが最高です。それが最高の展開だと思います。そうやって本当のファンを得るのです。作品に対して非常に葛藤していて、でもその後受け入れるっていう。僕はそれがいいなって思います。

画像1: ほかのメンバーも賛成してくれたんですか?

前作『仮定形に関する注釈』の収録曲「ガイズ」で、あなたは2013年の初来日に触れていますよね。「The first time we went to Japan was the best thing that ever happened / And I wish that we could do it again(僕らが初めて日本に行った時が、今までで最高の出来事だった/またできたらと僕は思うよ)」と。その9年前の来日に関して、一番印象に残っていることは?

日本に行ったことは、バンドを本当に大きく変えたんじゃないかな。僕がこの仕事で成功している理由として、どういうわけか、自分がその時々に身を置いている場所のカルチャーについて学ぼうとする、ということが挙げられると思います。だからファースト・アルバム『The 1975』を作った時の僕は、マンチェスターのヒップスター・カルチャーに身を置いていて、アルバムでもそれについて語っていました。あれはユース・カルチャーに関するアルバムで、愛とかドラッグとかそういった様々なアイディアを扱っていながら、非常に狭い世界に関して、ものすごく包括的な見解を述べていました。そして次に『君が寝てる姿が好きなんだ。~』を作ったわけですが、あの頃の僕は様々な国を訪れていたので、名声や恐れについてのアルバムになりました。「シーズ・アメリカン」とか、色んな場所への言及がありましたよね。日本が何を意味するかというと、この国に来た時、自分たちは真にインターネットの産物なのだと悟ったんだと思います。

僕が最初に実感したのはそういうことでした。「僕はマンチェスターにある自分のベッドルームでファースト・アルバムを作ったばかりで、ニューヨークでソールド・アウトのライブを行なったばかりで、続いて日本でもソールド・アウトのライブを行なった。でも僕らはラジオのサポートを得ていない。テレビにも出ていない。これは新しい現象なんだ。前例がない出来事なんだ」と考えたことを覚えています。それまでは世界規模のシーンなんて存在しなかったのに、あの時まさに、その後10年の間に起きるグローバル化革命みたいなものの出発点に立っていたのです。BTSがいい例ですよ。アジアから輸出されて、発信された瞬間に、世界中に隈なく届く。だから初めて日本を訪れた時の僕は、「うん、何かが違う。ここはマンチェスターじゃない。でも僕らがやっていることを理解してくれている人がいる」と思いました。非常に奇妙な気分でしたよ。なぜって、それはリアルだったから。The 1975を好きになったほうがいいと誰かに言われたわけじゃない。そこが違うんです。日本における(イギリスの歴史ある音楽メディアである)『NME』が何なのか分かりませんが、20年前だったら、『NME』が僕らのお気に入りバンドを決めていたわけで。「さあ、表紙に載せるよ、この曲を聴いて、このバンドに投資してくれ」と言われて、みんな「オーケー」って納得していた。でもインターネットのおかげで、聴き手が自ら選択できるようになりました。レコード会社やラジオ局がキッズに聴いてもらいたいアーティストがいたとしても、みんなThe 1975を聴いていた。だから僕らを契約してくれるレーベルが見つからなかった。日本に来ることで、僕はそういったことを理解できたのです。

今バンドがいる場所について、本作は何を物語っていると思いますか?

僕らの居場所は…ちょっと考えさせてください。僕らはそういうことをあまり考えないようにしているんですよね。なぜって僕らの場合、誰かと競争したっていうことがない。そうでしょう? 僕自身もあまり競争心が強い人間じゃないので、誰かが自分のポジションを奪おうとしているとか、The 1975が勢いを失ったとか、別のアーティストがビッグになったとか、意識したことがないんです。とにかくそういうことは考えません。もしかしたら自分のことで頭が一杯で、ほかの人のことが目に入らないのかもしれないですけど(笑)。バンドの位置付けについて考えたことがないんです。だからこそThe 1975は成功しているんだと思います。僕という人間は、資本主義者だとか抜け目のないビジネスマンであることと相容れないし、内側で衝突してしまうはず。でなければ、何かしら金儲けをしようと企んだと思うんです。The 1975は独自の世界の中で完結していて、そのまま進化し、成長してきました。でも、リアルなものであるからこそ何かに属してはいないし、そもそも特定の時代に属しているとすら感じられない。今も僕らはここにいて、人々は僕らのアルバムに興奮してくれている。20年もしくは10年活動していて、同じだけの存在感を維持しているバンドって多くはないですよね。僕らが正当な理由で活動しているからこそ、それが可能なんだと思いますよ。


“初めて日本を訪れた時の僕は、「うん、何かが違う。ここはマンチェスターじゃない。でも僕らがやっていることを理解してくれている人がいる」と思いました。”


マシュー・ヒーリーという人物に関する、もしくはThe 1975というバンドに関する、大きな誤解があるとしたら、それはなんだと思いますか?

マシュー:分かりません。ただ言っておきたいのは、僕は自分が誤解されているとしても気に病んだりはしない。特に理不尽だと感じることもないということです。「こういう風に見られていたらいやだな」と感じることも、思いつきません。なんでしょうね。

ジェイミー・オボーン(The1975が所属するレーベルであるダーティ・ヒットの代表兼The 1975のマネージャー):楽をしたと思われていることじゃない?

マシュー:ああ、そうだね。

ジェイミー:契約してくれるレーベルも見つからなくて、自分たちでレーベルを始めなければならなくて、何もかも自分たちの力でやり遂げたのに、それでも人々は「彼らは苦労せずに成功した」と思っている。それが最大の誤解じゃないかな。

マシュー:要するに僕らは、身を粉にして頑張ってきたんだけど、不平を口にせず、自分たち独自の神話を作り上げたわけです。神話って、何も語らないことで形作られるものだと僕は思うんです。なぜって本当の話、僕らはバンドに全てを捧げています。僕自身も全てを捧げていて、取りつかれているんです。The 1975に僕は取りつかれています。例えば、自宅のガレージにレゴで東京の町を再現して、場所が足りなくなったからとガレージを増築しちゃうような人と変わらない。同じことですよ。僕は自分がやりたいことをやっているだけ。でもほかのロック・スターたちと同様に、「こいつは恐らくいけ好かないヤツで、ちょっと無礼なんだろうな」と思われている。僕は全然そうじゃない。実際はかなりソフトで、結構いいヤツです。でもそれは秘密にしておいて欲しいですけど。イヤなヤツだと思われていたほうが、神話のためにはいいですからね。

画像2: ほかのメンバーも賛成してくれたんですか?

世界が日々混迷を深めている中、本作では社会的・政治的なイシューにほとんど言及せず、逆に愛を筆頭に普遍的なテーマにフォーカスしているのは、なぜでしょう?

なぜって、そうすることが、非常にラディカルだと思ったからですよ。このアルバムはすごくラディカルだと僕は思っている。いや、最初はそうは思っていなかった。僕が関心を持っているのは、自分は少しラディカルなんだと感じさせてくれる主張であって、これまで10年間、それを実践してきました。レンガの壁に向かって叫んでいるような気分でしたね。かといって身を引いたわけじゃないし、自分を弁護するためにひとつ言っておくと、これまでもそれほど頻繁にポリティカルな見解を強く打ち出していたわけではありません。経済はこういう方向に進むべきだとか、社会のどの層を引き上げるべきだとか。それにこのアルバムでも、かなりカルチャー・ウォー(※イデオロギーなどが異なる人々の間の価値観や信条の対立)について語っています。僕らがお互いにどうコミュニケーションをとっているかということをね。つまり僕は今も相変わらずインターネットについて、ほかにもこういったことが議論されている空間について、あれこれ語っている。特に「The 1975」や「ルッキング・フォー・サムバディ(トゥ・ラヴ)」や「パート・オブ・ザ・バンド」でね。「ホエン・ウィー・アー・トゥゲザー」でも少し。それ以外の曲はみんなパーソナルです。でもパーソナルな曲を書くほうが、大きなリスクを伴うと思いますよ。そもそも『仮定形に関する注釈』のあとで、みんな僕に何を期待していたんでしょうね。そうじゃないですか? あのアルバムには22曲も入っていて、考えつく限りあらゆるコンセプトを取り上げました。今の僕はああいうことをする必要はない。ほかの人たちがやるべきであって、僕は新しいことをしなくてはいけないんです。

リリース情報

The 1975『外国語での言葉遊び』 (原題: Being Funny In A Foreign Language)
発売中

画像: the1975.lnk.to
the1975.lnk.to

【トラックリスト】
1 The 1975
2 ハピネス
3 ルッキング・フォー・サムバディ(トゥ・ラヴ)
4 パート・オブ・ザ・バンド
5 オー・キャロライン
6 アイム・イン・ラヴ・ウィズ・ユー
7 オール・アイ・ニード・トゥ・ヒア
8 ウィンタリング
9 ヒューマン・トゥー
10 アバウト・ユー
11ホエン・ウィー・アー・トゥゲザー
12オール・アイ・ニード・トゥ・ヒア(デモ)*日本盤ボーナス・トラック

<豪華盤>
品番:POCS-24016 
価格:3,520円(税込)
7インチ・サイズ・紙ジャケット仕様
20Pフォト・ブックレット
ポスター
フォトカード(5種)
日本盤ボーナス・トラック1曲収録
解説・歌詞・対訳 付

<通常盤>
品番:POCS-24017
価格:2,750円(税込)
日本盤ボーナス・トラック1曲収録
解説・歌詞・対訳 付

試聴・予約・ダウンロード/ストリーミングはコチラから。

日本単独公演情報

画像: 日本単独公演情報

神奈川 2023年 4月26日(水) ぴあアリーナMM
神奈川 2023年 4月27日(木) ぴあアリーナMM
OPEN 18:00/ START 19:00
TICKET SS 席¥17,000 S 席¥12,000 A 席¥8,000(税込)※未就学児入場不可
一般プレイガイド発売日:10月29日(土) <問>クリエイティブマン 03-3499-6669

愛知 2023 年 4 月 29 日(土) Aichi Sky Expo(愛知県国際展示場) ホール A
OPEN 17:00/ START 18:00
TICKET SS 席¥17,000 S 席¥12,000 A 席¥8,000(税込)※未就学児入場不可
一般プレイガイド発売日:10月29日(土) <問>キョードー東海 052-972-7466

大阪 2023年 4月30日(日) 大阪城ホール
OPEN 17:00/ START 18:00
TICKET SS 席¥17,000 S 席¥12,000 A 席¥8,000(税込)※未就学児入場不可
一般プレイガイド発売日:10月29日(土) <問>キョードーインフォメーション 0570-200-888

(フロントロウ編集部)

This article is a sponsored article by
''.