2019年にシングル「Woke Up Late」が日本のSpotifyのバイラルチャート3位を獲得したニュージーランドの4人組「ドラックス・プロジェクト(Drax Project)」。エド・シーランやショーン・メンデスもハマる、中毒性の高いポップソングを作る彼らが新曲「Atmosphere(アトモスフィア)」で正式に日本デビュー。ニューアルバムに向けて始動したドラックス・プロジェクトを深掘りする。

ドラックス・プロジェクト/Drax Project
最新シングル「Atmosphere」
発売中
https://avex.lnk.to/atmospherePR

【結成秘話】ジャズ学校に通う音楽少年たちが、10代の楽しみで始めたバンド

 ジャズ学校に通っていた当時16歳のシャーンとマットが、遊びでバスキング(路上パフォーマンス)を開始。そこに当時18歳のサムがベースとして加わり、約1年後にギターのベンが参加し、4ピースバンドとなった。

画像: 左から、ベン(G)、シャーン(V)、マット(D)、サム(B)。

左から、ベン(G)、シャーン(V)、マット(D)、サム(B)。

シャーン:当時はオリジナルソングを作るバンドになるつもりはなく、ただ楽しもうって感じで始めたことだったんです。

マット:うん、10代の楽しみだね。日中は大学でジャズを習い、夜には路上で4~6時間もポップスを演奏していた。マックルモア、ジャスティン・ティンバーレイク、テイラー・スウィフト、ブルーノ・マーズ、ドクター・ドレー…ラジオのヒットソングをカバーしまくりました。バスキングをしながら、どのような音楽が人々を興奮させるのか、どのようなパフォーマンスが人々を楽しませるのかを学んでいたのです。

シャーン:ジャズ音楽を学んでいた私たちにとってはとても興味深い経験でしたね。ジャズは非常に複雑な音楽です。だから、よりシンプルなハーモニーのポップ音楽を演奏できたことは、ジャズの世界から抜け出し、音楽は複雑である必要はないんだと思える良い経験でした。良い音がすればいい、シンプルであってもいい。音楽を勉強しているミュージシャンにとって、両方の視点を持つことは良いことだったと思います。

サム:ウェリントンにはバスキング文化はありますが、楽器を持ってポップソングを演奏するバンドはこの2人が始めるまでは全然いなかったんです。バスキングはパフォーマンスのあり方を教えてくれました。ジャズ音楽では音楽を演奏することが主ですが、ポップミュージックや現代の音楽はパフォーマンスが大きな部分を占めています。これは、ジャズスクールではあまり学ばなかったことでした。

マット:観客の目を見るところから違うね。

シャーン:そう(笑)。視線ひとつだけで違う。ジャズスクールでは、じっと座って目を閉じて複雑な音楽を演奏しますが、バスキングではそんなことできないですからね。

^ ライブではバスキング時代にカバーしていたポップソングのカバーでも盛り上がる!

【本格始動】最初はオリジナルソング作りに苦戦、「Cold」で風向きが少し変わる

 大学最後の年にオリジナルソングを作ることにしたものの、最初はなかなか上手くサウンドが見つからなかった4人。それぞれの音楽的な個性やバスキングでの経験を活かし、少しずつオリジナルのサウンドを見つけていったという。そして、終わった恋について歌った2016年の「Cold」で10万再生を達成する。

シャーン:ドラックス・プロジェクトのサウンドを見つけるのは、とても長く難しい作業でした。ジャズスクールあがりの複雑な音楽理論や考えがまだ残っていて、親しみやすいポップソングを作りたくても、両者をどうブレンドしていいか分からなかったんです。

ベン:バスキングからはじめて、パブやクラブなどでの演奏に移行したのですが、最初はオリジナル曲が1、2曲しかなく、カバー曲を20曲とかやっていた。しかし、カバーした曲や、自分たちがその曲に加えたアレンジがインスピレーションになって、それが曲作りに反映されていき、次第にカバー曲とオリジナル曲のバランスが変わっていったのです。

サム:そう、だから僕らの音楽には、どこかにジャスティン・ティンバーレイクらしさがあったりするんです。大学時代にEPをリリースしたのですがラジオでは流してもらえず、僕たちにとって初めてラジオでプレイしてもらえた曲は、2016年の「Cold」でした。

ベン:これは、バンドとして初めてバンドメンバー以外の人とコラボした曲でもありました。ニュージーランドのプロデューサーに参加してもらったんです。

マット:初めてストリーミングで10万再生が達成できた曲でもありました。よく覚えています。当時ペンキ屋のアルバイトをしていたのですが、家の壁を塗っていたら「Cold」がかかって、DJが『今の曲最高だ!もう一回流す』と言って2回連続で流したんです。あの時、ニュージーランドで曲が知れてきていることを実感しましたね。

ベン:僕も当時ペンキ屋のアルバイトをしていました。あとはベビーシッターと、皿洗い。

サム:僕はジェラート屋で働いていて、その後、スキルアップしてユースセンターで働いていた。

マット:「Cold」をリリースした後も、アルバイトを辞めて音楽に専念できるようになるまで2年かかったんです。

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