11月1日に自伝本『ZAYN』を発売した、元ワン・ダイレクション(以下1D)のゼイン・マリク。洋書にもかかわらず日本のアマゾンですでにハードカバー版が売り切れている同書の中から、ゼインが初めて明かした9個のヒミツをまとめた。
1 自宅には1D時代を祝したスペースがある
「ワン・ダイレクション時代に達成した多くのことを心から誇りに思っているよ」と自伝で語っているゼイン。自宅には1Dとの思い出を飾った壁もあるという。
「アルバムごとに授与されたプラチナムディスクとか、(1Dの)思い出の品が家中に飾ってあるよ。飾るために専用の壁ももうけている。ワン・ダイレクションは素晴らしい経験だったし、僕の一部であり、僕の歴史において不可欠な部分なんだ。だから人生の一部を否定しようとは絶対に思わないよ」
2 脱退を決める直前の様子
2015年3月にツアー先で婚約者のペリー・エドワーズではない女性と手をつないでいるように見える写真がネット上で拡散した直後、脱退を決めたゼイン。その当時の気持ちをこう語っている。
「あれは2015年3月だった。ずいぶん前から気持ちの状態が良くなくて、何かを劇的に変えないとここから抜け出せないと思っていたんだ。婚約者のペリーとの関係は壊れそうになっていたし、さらに状況を悪くすることに、僕たちについてクレイジーな話が新聞で書かれていた」
3 ライヴ中に脱退を決心した
ツアー中にステージに立っている瞬間に脱退を決めたというゼインの1Dとして最後のステージは、2015年3月18日の香港公演だった。
「ステージに立っている時に、自分はもう辞めるだって悟ったんだ。心も入っていないし、やっていてツラくなることは、あともう1分さえやらないって決めたのさ。留まることで得られることも与えられることもないと分かったんだよ」
4 脱退声明の内容は気に入らなかった
2015年3月に「普通の22歳になりたい」という声明を1Dのフェイスブックに投稿して脱退を発表したゼイン。しかし本人は先週ES Magazine誌で「あれ、僕が書いたと思う?」と、自身の言葉ではなかったことを明かしており、自伝本の中ではこう語った。
「グループを去ることを決めた後、すごい早さで声明が作られて発表されて、僕は身動きができない気持ちになったよ。僕があたかも音楽を辞めるかのような印象をファンに与えたからね」
5 1D時代に密かに曲作りしていた
今年ソロデビューして全米・全英No.1という記録を打ち出したゼイン。1D時代には現在の原点となるR&B調の曲作りをしていたという。
「部屋に閉じこもって、1人でもくもくと歌詞を書いていた。少しでも時間を見つけては曲作りしてたよ。たとえそれが深夜におよんでも、グループの曲として採用されないって分かっていてもね」
6 1Dで5年続いたのはファンのおかげ
音楽性の違いから1Dでの活動をずっと悩んでいたゼインを支えたのは、ファンの応援だった。
「僕がやり続けられたのは、世界中のファンからの信じられないほど素晴らしい応援やポジティヴな反応のおかげだったよ」
7 辞めた後はどうすればいいか分からなかった
しかしグループを辞めた後も、すっきりしたかと言えばそうではなかったという。
「グループを辞めたからやっと自由になれて好きなことができるし、あの時期は僕にとってワクワクする時期だったと思っているかもしれないけど、本当のことを言うと、まったくそう感じなかった。実際には、どうしていいか分からなかったよ。自分らしい音楽を作りたいのは分かってたけど、漂流しているような気分だった」
8 男性よりも女性に囲まれている方が安心する
現在ゼインのチームのスタッフは、ほとんどが女性。その理由を本人はこう説明する。
「攻撃的でマッチョな男性を中心とした世界は生きにくかったよ。音楽界での最初の経験がそれだった。男らしくあれ、がむしゃらに行け、本当の感情は明かすな、壁を作れってね。女性の場合はそういったバリアを外せるんだ。楽々と、しかも他人のために下心なくね。だから僕は、男性よりも女性と過ごす方が安心できるんだよ」
9 女性の活躍を信じるフェミニストである
女性の知的さや力強さを心から信じているというゼインは、本の中でフェミニスト(※男女平等の権利を求める人)な発言もしている。
「知的で平和的な解決法が欲しいと心から思うなら、女性に問題解決をゆだねた方がいい。僕は、世界的にもっと多くの女性が決定権のある位についてほしいと思ってるんだ。女性が貢献できる場を増やしたら、世界で起きている問題の多くが解決できると思っているよ」