一流の舞台俳優、ジュリー・アンドリュース
イギリスを代表する俳優といえば、4オクターブの歌声で知られたジュリー・アンドリュース。
1948年、12歳で英ミュージカルの聖地ウェスト・エンドの舞台でデビューし名声を極めたジュリーは、その後、米ミュージカルの聖地ブロードウェイで『マイ・フェア・レディ』に主演し、テレビミュージカル『シンデレラ』でも主演を務めた。
そしてその名を世界中に轟かせたのは、1963年に公開されたディズニー映画『メリー・ポピンズ』。映画の企画当時に妊娠中だったジュリーは、ディズニーの創設者ウォルト・ディズニーに「あなたを待ちます」と言わしめるほどの美声と演技力の持ち主であり、そんなジュリーが主演した『メリー・ポピンズ』は世界中で大ヒットを記録。
『メリー・ポピンズ』でアカデミー賞主演女優賞を受賞したジュリーは、1965年にアメリカで年間ランキング1位となった映画『サウンド・オブ・ミュージック』でも主演を務め、その歌声をあますことなく披露した。
「My Favorite Things(私のお気に入り)」は、JR東海のCMで耳にしたことがある人も多いはず。
そんなジュリーは、1997年に、医療ミスでその歌声を失ってしまう。
その年、ブロードウェイのショーに出演していたジュリーは喉に不調を感じ、医師は声帯に嚢胞があると診断。嚢胞を取り除く手術を受ける。2週間で戻ると言われていたジュリーの声はその後戻らず、ジュリーは手術を担当した医師2名に対して、医療過誤訴訟を起こした。訴訟は2000年に決着し、その内容は明かされていない。さらに2010年には、ジュリーが当時の喉の不調は「声帯にできる筋肉の擦痕」だったと明かし、「私には癌もなければ、結節もなかった。私には何もなかったんです」と告白した。
声を失くして22年、ジュリーが今明かすこと
歌声を失ったとはいえ、その後も精力的に俳優や声優、さらには作家として第一線で活動するジュリー。そんな彼女が、英The Guardianのインタビューに応じた。
両親に感謝していることはと聞かれたジュリーは、ただ一言、こう答えた。
「私の声を見つけたこと」
その歌声が、その人生を切り開く武器だったジュリー。天から与えられた才能を失くした苦悩は今でも続いており、人生最大の哀しみを聞かれたジュリーはこう話した。
「歌声を失ったこと。私は手術を受けなければならず、残念なことにそれは成功しなかった。それ以来、私は歌えなくなってしまった」
ジュリーは、自身のアイデンティティであった歌声を失ったことで、うつ病に苦しんだことを明かしており、米AARP The Magazineで、「声帯から結節を取り除く手術から目覚めた時、私の歌声はどこかへ消えてしまっていた」と当時を振り返っていた。
ジュリーはその後、出演した米トーク番組『The Late Show(原題)』のなかで、セラピーに通うことが人生を通して助けになったと明かしている。(フロントロウ編集部)