ロックバンド、プリティー・レックレスでフロントウーマンを務めるテイラー・モムセンが、ドラマ『ゴシップガール』に出演しながらバンド活動を始めた当時を振り返った。(フロントロウ編集部)

2008年にプリティー・レックレスを結成したテイラー・モムセン

 わずか2歳の時にモデル事務所と契約を結び、CMなどへの出演を経て、2000年に公開されたクリスマス映画『グリンチ』で俳優としてデビューを果たしたテイラー・モムセン。その後は2002年に公開された映画『スパイキッズ2 失われた夢の島』に出演するなど、子役としての活動を経て、2007年にスタートしたドラマ『ゴシップガール』でジェニー・ハンフリー役に抜擢された。

画像: (左から)ブレア役のレイトン・ミースター、ジェニーの兄ダン役のペン・バッジリー、セリーナ役のブレイク・ライブリー、テイラー、ネイト役のチェイス・クロフォード、チャック役のエド・ウェストウィック。

(左から)ブレア役のレイトン・ミースター、ジェニーの兄ダン役のペン・バッジリー、セリーナ役のブレイク・ライブリー、テイラー、ネイト役のチェイス・クロフォード、チャック役のエド・ウェストウィック。

 『ゴシップガール』はここ日本を初め世界的な人気を獲得したシリーズとして知られ、ドラマの人気と比例するように、テイラーも本作で本格的にブレイクを果たすことに。

 『ゴシップガール』の大ヒットにより、当時のティーンエイジャーが最も憧れるヤングセレブの1人となったテイラー。そんななかで、彼女は当時、俳優業と並行して音楽活動をスタートさせ、『ゴシップガール』に出演中だった2008年にロックバンド、プリティー・レックレスを結成。2010年にはバンドとしてデビューアルバム『ライト・ミー・アップ』もリリースした。

 バンドの結成以来、俳優との兼業で音楽活動を行なっていたテイラーだったけれど、音楽活動に専念するため、自ら『ゴシップガール』の制作陣に降板を申し入れ、2010年から2011年にかけて放送されたシーズン4をもって、惜しまれながら同シリーズを降板した。

プリティー・レックレスを結成した当時を振り返ったテイラー

 プリティー・レックレスとしておよそ5年ぶりとなる通算4作目のニューアルバム『デス・バイ・ロックンロール』のリリースが2月12日に迫っているなか、今回、テイラーが米Nylonのインタビューに応じて、プリティー・レックレスを結成した当時を振り返った。

画像: 2010年に出席したMTVヨーロッパ・ミュージック・アワードにて。

2010年に出席したMTVヨーロッパ・ミュージック・アワードにて。

 テイラーは弱冠15歳でプリティー・レックレスを結成した当時、多くの人々からロックバンドを結成したことを“若者にありがちな怒りを抱えやすい時期”だったからだと思われていたことについて、そう思われてしまうことも「理解はできる」として、「(客観的に見れば)私からしても、自分のことを真面目に取り合っていなかったと思う」と米Nylonに語っている。

 「俳優出身で、当時すごく人気だった(『ゴシップガール』という)番組に出ていたわけだからね。タブロイド紙の話題が先行していたし、馬鹿げていたようにも見えたと思う。『彼女は若いし、そういう『時期』なんでしょ』って思われていたはず。だけど私の心の中では、これは単なる『時期』じゃないって分かっていたの」とテイラーは続けて語り、周囲が“若気の至り”のように思う気持ちは理解できるとしつつも、当時から音楽活動が一時的なものにはならないことを確信していたと明言した。

 今やデビューアルバムのリリースから10年以上が経過し、ニューアルバム『デス・バイ・ロックンロール』からのファーストシングル「デス・バイ・ロックンロール」が米Billboardのメインストリーム・ロック・ソング・チャートにおいてバンドにとって通算5度目となる首位を獲得し、女性がフロントマンを務めるバンドとして初の快挙を達成するなど、プリティー・レックレスは、結成当時に多くの人が想定していたであろう“一時的な活動”の枠を超えて、すっかり現在のシーンを代表するロックバンドの1組となった。

 テイラーはバンドがここまで成長することができた秘訣について、「仕事をこなして、世界をツアーして、公演をやって、次のアルバムを作って、さらに良い曲を書いて、さらに良いアルバムを作る。それをこなし続けてきたということ」と語った上で、「最終的に10年が経過したら、周りの人たちも『そういう時期だった』なんて言えないよね」と続け、自分たちが努力を続けてきたことで、“時期”という言葉では片付けられないほどのキャリアを築くことができたと振り返った。(フロントロウ編集部)

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