エド・シーランが、自分には社会的に“男らしい”とされる特徴があまりないことから、幼少期に「自分は少しゲイかもしれない」と思ったことを告白。エドの発言の背景に潜む、有害な男らしさの問題を考える。(フロントロウ編集部)

エド・シーランが「ゲイかもしれない」と思った理由

 10月29日に活動休止期間明け初となるニューアルバム『=(イコールズ)』をリリースしたシンガーソングライターのエド・シーラン(30)が、アルバムのプロモーションのためにオランダのポッドキャスト『Man Man Man(原題)』に出演。そのなかで、幼い頃に“周囲の他の男の子たちと自分は違う”と感じていた過去を打ち明けた。

画像1: エド・シーランが「ゲイかもしれない」と思った理由

 「僕はとてつもなく男らしいような人ではないんだ。紛れもなく、女性っぽい部分も僕にはあるんだ」とエドはポッドキャストで語り、次のように続けた。「ミュージカルが好きだし、ポップミュージックが好きだし、ブリトニー・スピアーズが大好きだ。僕の“男らしい”部分と言えば、きっとビールを観ることやフットボールを観ることだね」。

 エドが“男らしさ”の例としてあげた、「ビールを飲むこと」や「フットボールを観ること」は、必ずしも男性だけの趣味ではなく、“女性らしさ”の例にあげた「ミュージカル」や「ブリトニー・スピアーズの音楽などのポップミュージック」といった趣味も必ずしも女性だけのものではないが、社会的には、いずれも“男らしい趣味”、“女性らしい趣味”とされることが多い。

 また、こちらも“男性の趣味”として見られることが多い「車」も趣味ではないとして、「僕は車にも夢中にならないしね。良い車は好きだけど、車には魅了されないんだ」とも語ったエド。彼は、幼少期には社会的に“男らしい”とされる特徴がなかったために、自身のセクシャリティについても考えさせられたとして、「自分は少しゲイかもしれない」と思ったとも明かしている。

画像2: エド・シーランが「ゲイかもしれない」と思った理由

エド・シーランの発言から考える「トキシック・マスキュリニティ」

 もちろん、“女性らしい趣味”や“男らしさがない”ことは、男性として同性の男性に恋愛感情を抱くゲイであることとは決してイコールではない。しかしながら、幼少期のエドがこのような考えに至った背景には、近年、問題視されるようになった「トキシック・マスキュリニティ(Toxic Masculinity)」の概念があると言える。

 日本語では「有害な男らしさ」や「男らしさの呪縛」とされている「トキシック・マスキュリニティ」とは、社会が男性に対して“男らしさ”を設定し、その“らしさ”に沿わない行動や思想を罵ったり、バカにしたりして排斥することや、またはその概念のことを示す。

 そして、有害な男らしさは、特に“ホモソーシャル”によって深まっていくと言われている。ホモソーシャルとは、同性同士、とくに男性同士の繋がりのことを指す言葉。男性同士は、有害な男らしさが作り出した“女が好き”“男の友情”といったような価値観を共有して絆を深める場合があり、男性同士はその友情を証明するために同性愛を否定することになる。その結果、幼少期のエドのように“男らしさ”がないと感じると、“男らしさ”で繋がっているホモソーシャルのなかに馴染めていないのではという考えから、自分はホモソーシャルが否定している同性愛者ではないかという考えに至ると言える。

画像: エド・シーランの発言から考える「トキシック・マスキュリニティ」

 何の問題もないミュージカルやポップ音楽が好きだという行動を子供に疑問視させてしまうことこそ問題。エドの今回の発言からは、トキシック・マスキュリニティという問題の根深さが見える。

 ちなみに“女の子はこれが好き、男の子はこれが好き”というジェンダーごとの傾向は子供が選んでいることで確実に存在するという意見もあるが、例えば、2017年にイギリスで行なわれた実験では、大人たちは性別を知らない赤ちゃんをあやした際、ワンピースを着た男の子の赤ちゃんとは人形やぬいぐるみで遊び、ズボンを着た赤ちゃんとはパズルや車のおもちゃで遊ぶという結果に。周囲の大人たちが知らず知らずのうちにジェンダーによって対応を変えていることが明らかになった。(フロントロウ編集部)

This article is a sponsored article by
''.