KFCカーネルおじさんの過去
食べ終わったあとに、チキンを持っていた手の指をなめてしまうほど美味しいとして人気のケンタッキーフライドチキン(KFC)は、カーネル・サンダースの呼び名で知られる、1890年生まれのハーランド・デーヴィッド・サンダース氏が生み出した。
サンダース氏は1920年代終わりからガソリンスタンドのオーナーをしており、1930年にその片隅にカフェをオープン。そして1940年に、今なお愛される11種類のハーブ&スパイス、圧力鍋を使った唯一無二のオリジナルチキンのレシピを確立させた。KFCは意外にも、第2次世界大戦前から続く歴史を持っているのだ。
そしてその時代が、今とはまったく違う時代だったのは当然のこと。それゆえに、サンダース氏には今では考えられない経歴がある。
カーネル・サンダースが逮捕された銃撃戦
1920年代後期にサンダース氏がオーナーを務めていたのは、シェルのガソリンスタンドで、その宣伝のために彼が行なったのは、町中の様々な場所に看板をペイントすること。
すると、ライバルであるスタンダードのガソリンスタンドでオーナーをしていたマット・スチュワートという人物がサンダース氏の手法に不服を持ち、サンダース氏がペイントした看板に上からペイント。
サンダース氏は、ガソリンスタンドのオーナーになる前に様々な仕事を経験しているが、喧嘩が原因で何度もクビになるなど、血気盛んな人物でもあった。そのため、マットの行動に気がついたサンダース氏が取った行動は、それを止めなければ撃つと彼を脅すこと!
しかしマットもまた、血気盛んな人物であったと言える。サンダース氏にそう脅された彼だが、看板に上からペイントするのを止めないどころか、それをする時に拳銃を携帯した。
その結果、最悪の事態が起こってしまう。
ある日、ふたたびマットがペイントをしているという報告を受けたサンダース氏は、2人のマネージャーを引き連れてマットがいる現場へ向かい、マネージャーの1人は拳銃を持って行った。
すると、3人の姿を確認したマットは、拳銃を発砲。その銃弾はマネージャーの1人に当たり、彼は命を落としてしまった。そしてサンダース氏はマネージャーが持っていた拳銃を素早く取り、マットを撃った。
銃弾はマットに当たり、彼の命に別状はなかったが、彼はサンダース氏に向かって「撃つな!お前はもう俺を殺した」と叫んだという。
現場にいた3人は全員、警察が逮捕。マットはその後、マネージャーを殺した罪で18年間の実刑判決を受けた。一方でサンダース氏の発砲は正当防衛とされ、刑務所に入ることはなかった。
この事件が起こったのは1930年代のことであり、今とは時代が違う。とはいえ、世界的フランチャイズチェーンを生み出した人物の経歴として聞くと、驚きを隠せない逸話。
米Gizmodeは、ジョシュア・オゼルスキーによる本『Colonel Sanders and the American Dream(原題)』で、事件のさらなる詳細が書かれているという。(フロントロウ編集部)