「2人目どうする?」という夢に突如として現れた壁
2歳の子どもがいる我が家では、子どもが生まれてからずっとしてきた会話がある。それは、「2人目どうする?」というもの。同じ月齢の子どもを持つ友人たちの間でも、つねに「うちは1人が限界」「今話しあってる」「どうしようかな〜」などといった言葉がよく飛ぶ。しかし“どうしよう”も何も、そもそも我が家では子どもをもう一人もうけるという選択肢そのものが取り上げられる可能性が出てきた。
その理由が、超党派の議員連盟(会長・野田聖子少子化担当相)が2022年秋の臨時国会での提出を目指している、第三者から提供された精子や卵子を使った生殖補助医療に関する新法。
2022年4月にその新法のたたき台が明らかになった。精子・卵子の供給や生殖補助医療の提供ができるのは認定医療機関に限定する、提供された精子や卵子を使って治療ができるのは法律上の夫婦に限定する、代理母出産を禁止する、独立行政法人がドナーとドナー利用者の情報を100年保管する、成人した子どもの開示請求に応えるが内容はドナーの意向に沿う、などといったルールが明記されたが、その内容には批判が多い。
2019年にドナー数世界最大の精子バンクであるクリオス・インターナショナルを利用して子どもを授かった我が家の場合は女性同士のカップルであるため、“治療ができるのは法律上の夫婦に限定する”という新法が作られると、日本では子どもを授かるための治療ができなくなる。海外に行く余裕がなく、リスクが潜むSNSなどでの精子提供に手を出したくない我が家は、つまり、第2子は作れないということ。
日本では男性の100人に1人が無精子症だと言われており、さらに、2019〜2022年にクリオスで精子提供を受けた400組中半数ほどがシングルの女性、2割弱が同性カップルと、法的に結婚していない人々の間でも精子提供が求められていることがわかっている。だからこそ、妊娠の方法や家族のカタチの変化がするなか、それに合わせた新法の成立が期待されていたのだが、一体何が起きてしまったのか?
新法の提出を進める議員連盟にプレゼンも行なってロビー運動をしている、クリオス日本事業担当&一般社団法人こどまっぷアドバイザーの伊藤ひろみ氏に実情を聞いた。
「出自を知る権利」保障されず、世界スタンダードではないルール
新たな法案のたたき台では、今後は独立行政法人が精子・卵子の提供者の情報を100年間保存して、子どもは成人したときに開示要請をできるが、開示内容はドナーである提供者の意向次第とされた。これは子ども側の「出自を知る権利」を念頭に置いた対応のようだが、この内容では権利が認められているとは言えないとして、ドナーチルドレンや専門家から強く批判が挙がっているという。
伊藤氏:「現状のたたき台だと、自分の身元情報を公的機関に登録して開示しても良いという方のみから精子提供が受けられることになるのですが、例えば18年とか20年とか月日が経った後にドナーの気が変わったら、身元を特定する情報は子どもに伝えなくても良いというルールになってしまっているんです。そんなルールの国はないんです。一度開示すると決めたら、もうそれは取り消せない。親たちも開示を前提にそのドナーを選ぶわけですから。だからこの仕組みでは保障しているとは言えないからおかしい、確実に保障してください、というのが精子提供によって生まれたお子さんや研究者の方々の意見です。クリオスを使う「親」の7割も、この権利の保障を望んでいます。この法案を子どもを軸に考えると出自を知る権利が最も重要な部分なのですが、今回のたたき台でそこが曖昧になっているのは、ドナー側に譲歩したと言わざるを得ません。開示を義務付けるとドナーが不足することを懸念しているようですが、その認識は社会全体で変えていくべきです」
「あと、例えクリオスが認められたとしても、利用者にはドナープロフィールを閲覧する権利はなくなり、血液型以外の情報がわからない状況で病院に供給することになりそうです。でもそれでいいのかなと私は思っていて。本当はそこを議論したかったんです。ドナーがどんな人かを知ることは親にとっても子供にとっても大切なことなのですが、優生思想だと一方的に批判する方もいて、議論そのものが始まりません。ドナー精子を使って子どもを授かった方が、よくドナーのことを“サンタさん”とか“あしながおじさん”のような話で伝えるんです。助けてくれた心やさしい男性、という存在です。例えばもし、子どもの頃の写真を見ることができたら、この子が、具体的な男性が存在し、提供してくれたんだというイメージを持つことができます。病歴やアレルギーなどの医学的な情報もあれば尚安心です。あと日本に住んでいる、海外にルーツを持つ方だっているわけですので、ドナー情報が一切わからず、日本人ドナーの提供しか受けられないっていうのはおかしいと思います。やっぱり人となりぐらいは知る権利があるんじゃないかなと思うんです」
ちなみに、筆者が妊娠するための治療を行なったイギリス(※)では、2005年に改定された法律で子どもの出自を知る権利が保障されて、子どもは18歳になった時点でドナーの氏名や最終登録住所の住所など詳細な情報を知ることができる。ドナー側の匿名性を排除したこの法律は、養子や精子・卵子提供で誕生した子どもを対象にした研究で、生物学上の親が誰であるかを知ることが子ども側の精神的な恩恵につながることがわかった結果の対応だった。英医療制度NHSは、この精神的な恩恵は「(ドナーとドナーチルドレンの間に)接触があるかどうかにかかわらず」見られたとしている。
※日本産科婦人科学会は病院で精子提供を受けられるのは「法的に婚姻している夫婦のみ」としているため、性的マイノリティや選択的シングルマザーを対象に精子提供や治療を行なっている医療機関は限られており、多くが提供を公言していない。筆者も日本の病院にて「国内の多くの病院では倫理上できない」と言われたため、国際精子バンクであるクリオス・インターナショナルから精子提供を受けて、イギリスの病院に配送してもらい、イギリスで体外受精を行ない、出産は日本で行なった。詳しくはこちらの記事で語っている。
当事者の声の不在、データを基にした議論が求められる
ドナーを使って子どもを授かり、無精子症の夫婦も知る筆者にとって、今回の法案が向かっている方向は、状況の悪化に見える。一体、当事者の声のどのような部分が危惧されてこのような結果になってしまったのか? しかし伊藤氏は、そもそも当事者からの十分なヒアリングが行なわれずに議論が進んでしまっているという問題点を指摘する。
伊藤氏:「2020年末に卵子・精子提供によって生まれた子どもの親子関係を規定する特例法案ができた時に、精子提供によって生まれた人や専門家の方が、出自を知る権利を保障しないのはおかしいということを参考人として発言しました。出自を知る権利については、様々なメディアでも問題提起が行われています。しかし、今親になろうとしている方々が、適切な治療や支援を受けられずに苦しんでいることは、なかなか取り上げてもらえません。AIDによって生まれたことを親から告知され、幸せに暮らすお子さんもいらっしゃるのですが、そうした声もなかなか伝わりません」
「日本は当事者数人にインタビューして勝手に結論を作ってしまう傾向があると思います。例えば、6月8日にクリオス主催のオンラインセミナーに登壇してくださるケンブリッジ大学のスーザン・ゴロンボク教授は、精子・卵子提供を受けた男女のカップルのみならず、レズビアン・カップル、選択的シングルマザーまで、多様なケースを各数十組ずつ、しかも10年、20年と経年にわたり同じ家族を調査した結果を定量的に測って論文化していて、ヒアリングを超えたエビデンス・ベースの結果を発表されている方なんです。その方が、同性カップルやシングルの方のもとに生まれたお子さんは発育に何の問題もなく、むしろ親子関係が(男女の親がいる伝統的な家族形態に比べて)より良いと結論づけているのです。それを知らずして、日本では勝手に、同性カップルの元にいると不幸になるとか、親が1人だと駄目だといった決めつけをする。家族のカタチについても、科学的な議論をしなきゃいけないんです。欧米の方が多様な家族が多いですし、調査も進んでいるので、日本は欧米とは違うと言いきるのではなく、欧米から学べることは学び、少子化の中、かつ、子どもたちのイジメ問題や自己肯定感の低さが問題になっている中で、日本において幸せな家族を増やしていくにはどうしたらいいかということを考えてほしいと思いますね」
2014年にメルボルン大学が同性カップルを親に持つ500人の子ども(約8割が女性の親、約2割が男性の親)を対象に行なった調査によると、同性カップルを親に持つ子どもは健康全般と家族の結束力においてその他の家庭よりも6ポイント高いスコアを示したという。さらに、2016年に発表された調査結果でも、 同性の親を持つ子どもと異性の親を持つ子どもの間で身体的・精神的な健康における差はないことが分かり、“同性カップルの親を持つ子どもは幸せになれない”という意見を科学的な調査が否定している。
また、6月初めにクリオス主催のオンラインセミナーに登壇したケンブリッジ大学のスーザン・ゴロンボク教授によると、精子・卵子提供によって生まれた子どもの健康や幸福感は従来の方法で生まれた子どもと変わりないことや、生殖補助医療を利用した親は自然妊娠の親に比べて幼少期に子どもとの関係が良好であったことなどが、調査から分かっているという。ゴロンボク教授は1980年代から多様な家族のカタチについての研究をしている世界有数の専門家で、2020年には、数十年にわたる調査結果をふまえながら変化を続ける家族のカタチについて語った著書『We Are Family: The Modern Transformation of Parents and Children』を発表し、そのなかで、どのような家庭であっても愛情に満ちている家庭で育つ子どもたちは豊かに成長できることを伝えている。
ドナー不足の日本、新しい法案でそれがさらに深刻化?
日本では、男性の100人に1人が無精子症だと言われている。さらにクリオスのデータからは、日本で法的に結婚していない多くの女性が精子提供による妊娠を望んでいることがわかっている。そんな日本では、そもそもドナーが不足している。クリオスのようなサービスはそんな問題を緩和できる手段なのだが、「精子や卵子の供給とそれを使った不妊治療は厚労相が認定する医療機関が行なう」、「両者を橋渡しする斡旋業者は許可制かつ営利目的は禁止」とされている今回のたたき台のまま法案が通れば、クリオスは現状のままでの展開が難しくなる可能性があるという。
伊藤氏:「日本では今、無精子症のご夫婦を対象に行っているAIDにおいて、匿名であってもドナーが不足しています。しかしそれは、医学部や病院内のドナーをひっそりと募っていることが要因の1つです。社会の認識を変えていけるよう、提供精子を必要とする人がいるということやドナーになることの意味を対外的に発信し、一般から広くドナーを募るようにすれば、身元を開示できるドナーを集められると思っています。そして、デンマークやアメリカでその役割を担ってきたクリオスのノウハウを、日本に持ち込みたいのです」
「私の夢は、クリオス・ジャパンを設立することです。極端な話、クリオス・ジャパンは非営利団体として設立できるかもしれません。でも、海外のクリオスは日本で言うところの「合同会社」で、営利企業です。海外のドナーの利用が継続できなくなると困る方が大勢います。クリオスは株式上場を目指しているわけではないですし、利益よりも安全性の確保を第一に、諸外国での営業を行ってきました。医療機関のみならず、精子バンクが提供精子を集め、全国の医療機関に提供するということが、ドナーにとっても患者さんにとっても望ましいことだと考えています。私たちの実績を見たうえで、あるべき精子提供・斡旋の姿を判断していただきたいです」
第三者の精子や卵子を使った不妊治療のルールを定める「特定生殖補助医療法案(仮称)」は、2022年秋の臨時国会への提出を目指し協議が進められている。議員たちには当事者や専門家の声をしっかりと聞いて、変化している日本の実情を冷静に見て判断してもらいたい。(フロントロウ編集部/K)