※この記事には、映画『ドント・ウォーリー・ダーリン』のネタバレが含まれます。
フランクのモデルは「インセルコミュニティのヒーロー」
青春コメディ映画『ブックスマート』で鮮烈な監督デビューを果たしたオリヴィア・ワイルド監督が、スリラーのジャンルに挑戦。しかし監督らしく、フェミニズム色全開の『ドント・ウォーリー・ダーリン』は、ふたたび彼女の才能を示した。主演はフローレンス・ピューで、彼女の夫をハリー・スタイルズが演じる。その豪華なペアが注目を集めているが、クリス・パインが演じるフランクというキャラクターも非常に重要な役どころ。
本作は、女性を自分のコントロール下に置きたい男性たちの有害性、そしてそれに知らず知らずのうちに巻き込まれる女性たちを描いた物語で、そういった男性たちから人気を博すヒーロー的男性としてフランクが登場する。彼についてワイルド監督は、米Interview Magazineにおけるマギー・ギレンホールとの対談で、「あのキャラクターはジョーダン・ピーターソンという、インセルコミュニティにおけるエセ知識人ヒーローをベースにした」と話した。
インセル(incel)というのはinvoluntary celibateを混ぜた単語で、「不本意な(involuntary)」「禁欲(celibate)」をしている男性を指す。彼らは自分たちがモテないことに屈折した負の感情を抱いており、自信をつける努力や、ありのままを受け入れる努力などをするわけではなく、自分たちがモテないのは女性側の責任だとして、自分たちを拒否する女性たちを非難する。オンラインにおけるコミュニティで過激な発言をし、実際に犯罪に走ることも多いため、近年問題となっている。
カナダ人出身のジョーダンは、ハーバード大学やトロント大学で教鞭を取った経歴がある一方で、保守的で差別的な発言で問題になることも多い。フランクのモデルである彼について、監督は、「ジョーダン・ピーターソンという男は、インセルたちのムーブメントを正当化している。なぜなら彼は元教授で、作家で、スーツを着ていているから、インセルたちは彼らの考えは真剣に受け取られるべきだと感じることができる」と指摘した。
ジョーダン・ピーターソンが監督の発言に反応
カナダやアメリカ、イギリスではインセルによる事件が多く発生しており、銃乱射事件や大量殺人事件も多数含まれる。2014年にカリフォルニア州で刺殺・銃殺によって6人を殺し、その後自殺したエリオット・ロジャーは、インセルコミュニティの間で英雄化されている。2018年にカナダのトロントで車を使って歩行者を轢き、10人が死亡した事件を起こしたアレク・ミナシアンは、犯行前にフェイスブックで「インセルの反乱はもう始まっている!チャドやステイシー(※)を全員打倒する!最高の紳士エリオット・ロジャー万歳!」と書き込んでいた。
※インセルコミュニティでは、“自分たちをバカにして振り向かない女性”のことをステイシー、女性に人気の男性をチャドと呼ぶ。
インセルは世界中に存在し、日本で2009年に秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込み、17人を無差別殺傷した加藤智大もインセルだったと指摘されている。
そんなインセルのコミュニティにおいてヒーローだと言われたことについて、豪Sky News Australiaのインタビューでピアース・モーガンにそう思うかと聞かれたジョーダンは、「もちろんです。なぜダメなんですか?」と回答。そして、こう続けた。
「長らく、人々は私を糾弾してきました。なぜなら、私は失望している若い男性たちに向けて話してきたからです。ひどいことです。弱い立場にいる彼らは声をあげられるべきだと思っていました。人々がどのように自信を失くさせられているのかを理解するのは、非常に難しいことです。そして多くの若い男性が、そのカテゴリーに入れられている。彼らはカジュアルに侮辱を受ける。“インセル”といったものですよ。それは一体どういう意味ですか?そういった男性たちは、とても選り好みする女性たちに自分をどう魅力的に見せられるか知りません。それは女性たちにとっては良いことでしょう。選り好みしたら良い。それは彼女たちの才能だ。自分の男に高いレベルを求める。筋は通っている。しかし疎外された男性たちは孤独で、何をすれば良いか分からず、加えて他の人々からは虐待されるのです」
インセルやそのコミュニティは、なぜか女性と付き合ったらすべては解決すると思っていることや、女性を憎んでいるのであれば女性と距離を置けば良いのに、なぜかむしろ攻撃的に(時には命までもを狙って)女性に接近するといった問題が指摘される。また、社会においては女性のほうが化粧やダイエットといった自分を変える努力を過度に求められており、ルッキズムにもさらされているが、彼らにはその社会問題は見えていない。さらに、女性の恋人がいないことで劣等感を抱く原因には、女性からの視線だけでなく、男性同士の間での見下しや異性愛規範などがあるが、彼らはその根本的問題にも対峙しない。
そしてジョーダンもそういった問題をまったく無視して、女性に対して批判的なトーンとともに、女性の恋人がいない男性はバカにされて可哀想だと話しており、なぜ彼がフランクのモデルであるかが理解できる。
また、インセルは、日本で言ういわゆる“非モテ”の話で、自分たちには関係ないと考える人もいるかもしれないが、恋人がいたとしても、彼らのコミュニティが持つミソジニーに繋がる価値観を無意識に身につけている男性は少なくない。『ドント・ウォーリー・ダーリン』は女性が1人の人間であるという理解・感覚が持てない男性の問題を克明に描いた。そしてその男性たちが集まった時に何が起こり得るのか。ジョーダンの話や、これまでに実際に起こった事件を見てみれば、本作は決して単に面白いフィクションなどではないことが理解できる。そして願うなら、女性たちが生きる世界がどれだけ構造的に面倒なものかまで理解されてほしい。
(フロントロウ編集部)