『ファイト・クラブ』の原作者であるチャック・パラニュークは、親の死後に、日々に変化があったという。(フロントロウ編集部)

チャック・パラニュークが経験した親の死、その後

 デヴィッド・フィンチャー監督、ブラッド・ピットとエドワード・ノートン主演で1999年に公開された映画『ファイト・クラブ』は、公開直後は低評価を受けるも、その後カルト的人気を博し、様々な映画雑誌で史上最高の映画ランキングにランクインしてきた異色作。

 そんな『ファイト・クラブ』の原作者であるチャック・パラニュークは、ゲイであることをオープンにしており、夫とは30年ほどの付き合いになる。チャックは長く大型トラックメーカーに勤務した経験を持ち、夫が航空機の仕入れの仕事をしている時に出会ったそう。とてもブルーカラー(※)な生活をしていたというが、2014年には英The Quietusのインタビューで、生活はまったく異なるものになったと話しており、2人は一緒に人生を歩んできた。
 ※直訳すると青い襟となり、製造業や建設業などの現場で働く労働者を指す。作業服は青色が多かったことが語源と言われる。対してホワイトカラーは、スーツで勤務するオフィス系労働者を指す。

 とはいえ、スペインメディアEL PAÍSのインタビュアーは、ここ数年でより一層、チャックが夫について話していると感じているとして、その変化は何なのかと質問。するとチャックは、私生活における出来事について明かした。

画像: チャック・パラニュークが経験した親の死、その後

 「両親の死が決定的でした。2人が生きている時に恥ずかしがらせたくなかったんです。ホモセクシュアリティは2人が賛成するものではなかったので。そして、夫はよりそれ(ゲイであること)に不安がないのもあります。2018年にローマ映画祭に招待されたんですが、一緒にレッドカーペットを歩き、写真撮影をした時に、彼は私を後ろからハグしてきたんです。あまり公にそういうことはしないですが、あれはすごく自然でした」

 チャックの実の父親フレッドは、1999年にフレッドが当時交際していた彼女の元夫に、彼女ともども殺された。母親については、2011年に発表した『Damned』の執筆のかたわら、がんで闘病していた母親の世話もしており、苦労したことを英The Guardianのインタビューで明かしている。また、義父は2018年にがんで亡くなったそう。

 チャックが親たちとどのような関係であったのかは、第三者には分からないことだが、自分のセクシャリティを完全には受け入れていなかった身内がいなくなったことで、自由になった面があるのだろう。また、長年の夫との可愛らしいエピソードは読者の心をほっこりさせた。

(フロントロウ編集部)

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