駆け出しのジュリア・ロバーツ、若き日のセレブたちの交流
映画『食べて、祈って、恋をして』や『オーシャンズ』シリーズ、『エリン・ブロコビッチ』などで知られるジュリア・ロバーツは、1989年の『マグノリアの花たち』で評価され、1990年の『プリティ・ウーマン』で一躍世界的に名前が知られるように。
『プリティ・ウーマン』の公開当時は弱冠23歳だったジュリアにとって、1990年前後は激動の日々。1990年のゴールデングローブ賞では、前年に公開された『マグノリアの花たち』での演技によって助演女優賞を受賞。トロフィーを持つジュリアの笑顔は愛らしい!
ジュリアも若いということは、ほかのセレブも若かった。ボン・ジョヴィのリーダーであるジョン・ボン・ジョヴィや、俳優のローラ・ダーンとジュリアの交流はこの頃からあり、今は大御所となった世代の若き日々が写真に残っている。
可愛らしいカップルだったジュリア・ロバーツとキーファー・サザーランド
そしてこの頃のジュリアといえば、映画『スタンド・バイ・ミー』や、のちのドラマ『24 -TWENTY FOUR-』の主演キーファー・サザーランドとラブラブカップルとして有名だった。1990年に公開された『フラットライナーズ』で共演し、交際に発展した2人は、傍から見ていてもお互いに大好きなことが伝わってくる。
2人は1991年4月に婚約し、6月に結婚式を挙げる予定だったが、式の3日前に延期を発表。さらにジュリアが、式が予定されていた日に俳優のジェイソン・パトリックとアイルランドへ旅行していたことが明らかになり、批判の声があがることに。ジェイソンは1987年の映画『ロストボーイ』でキーファーと共演しており、2人は親しい友人だった。一方で別れの原因には、一気に有名になったジュリアに対してキーファーが複雑な感情を抱いていた、キーファーがダンサーと浮気をしていたといったウワサもある。
ちなみに、キーファーはジェイソンに激怒していたと言われているが、2人はその後も友人であり続け、2011年にはブロードウェイ舞台で共演。2021年にはポッドキャスト番組にそろって出演し、司会者がジェイソンにジュリアとどこへ旅行したのかと質問。ジェイソンが「すべてはニュースになっていましたよ。真実は…」と言ったところで、キーファーがコソッと「アイルランド」と言い放つというイジりまで見せたほどだった。
何にせよ、当時のジュリアとキーファーは若く、そして世界的に有名になるという変化の中にいたのは事実。ジュリアもキーファーも年と経験を重ねた後に、当時若かった自分たちが結婚を止めたことは正しいことだったと振り返っており、キーファーは2016年にポッドキャスト番組『The Jess Cagle』で、「とても勇気がいることだったと思います。他の物事も含めて、『私はこれをできない』と言うのは」と話して、ジュリアの決断に理解を示した。
別れるに至ったことは残念だけど、幸せだった当時の2人のキュートさは、今見ても褪せない。
(フロントロウ編集部)