『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』を見終わったあと、ヘレナ・ショーというキャラクターに戸惑いを覚えた。彼女は、インディと同レベルの考古学知識を持ち、しかも優秀な冒険者でもある。つまり、インディ・ジョーンズという最高の冒険者が、映画の中にふたり登場しているような状態だったからだ。シリーズ最終作となる可能性も高い本作でのヘレナ・ショーの役割とは何かを考えてみた。(執筆:みねまる/編集:フロントロウ編集部)

※この記事には映画『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』のネタバレが含まれます。

恋愛相手ではない女性メインキャラはシリーズ初

画像: 恋愛相手ではない女性メインキャラはシリーズ初

 過去のシリーズ作品を振り返ってみても、女性のメインキャラクターでインディ(ハリソン・フォード)と恋愛感情が発生しなかったキャラはいない。第1作『失われたアーク』では、恩師の娘マリオンと、第2作『魔宮の伝説』では、上海のクラブ歌手ウィリーと、第3作『最後の聖戦』では、オーストリアの考古学者エルザと、そして第4作『クリスタル・スカルの王国』では、ふたたびマリオンと恋仲になっている。

 『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』の女性メインキャラクターであるヘレナ(フィービー・ウォーラー=ブリッジ)は、インディの盟友バジル・ショーの娘で、インディは名付け親である。つまり、インディの娘のような存在であり、キャラクター設定上も、最初から恋愛対象としては考えられていない。

 ヘレナもインディも考古学者の子どもとして生まれ、幼い頃から英才教育を受けてきた。『最後の聖戦』では、リヴァー・フェニックス扮する13歳のインディが、父親のヘンリー・ジョーンズからラテン語で数を数えさせられるシーンがあった。ヘレナも同じように父バジルの研究に役立つことを暗記させられたに違いない。

 同じ境遇で育ったヘレナにインディは少なからず愛着を感じているからこそ、親しみをこめて「ウォンバット」というニックネームをつけたのだろう。

家族のような存在なのに、敵に囲まれたインディを置き去りにするヘレナ

画像: 家族のような存在なのに、敵に囲まれたインディを置き去りにするヘレナ

 ふたりの関係の深さを考えると、映画の冒頭でヘレナが名付け親であるインディを窮地に追い込むのは意外だ。ニューヨークの大学で教鞭をとるインディのもとを訪れ、父バジルがインディに託したアンティキティラのダイヤルを手に入れたヘレナは、敵の追っ手がいるにもかかわらず、彼を置き去りにする。

 これでは、ヘレナはまるでヴィランのようではないか。だが、このシーンはヘレナの視点から考えれば、その行動に腑に落ちる点がある。

 映画の中でヘレナは、インディに対して「必要な時にいなかった」と訴えていたが、それもそのはず、ふたりは18年間会っていなかったのだ。彼女が12歳の頃、ダイヤルの研究にのめり込みすぎて心身ともに健康ではなくなっていたバジルからダイヤルを受け取ったインディ。

 ヘレナにしてみれば、ダイヤルがインディの元に渡ると同時に交流は断たれた。頼みの大人がいなくなり父も弱っていく中で、彼女は途方に暮れ、一度も連絡をくれなかったインディに不信感を抱いたに違いない。

ポリシーに反するヘレナをインディはなぜ許すのか

画像: ポリシーに反するヘレナをインディはなぜ許すのか

 インディは、18年も連絡を取らなかったことに罪悪感を覚えているのだろう。彼は自分のポリシーに反するヘレナの行動を許している。

 ヘレナは、インディから受け取ったアンティキティラのダイヤルを闇オークションで売りさばこうとしていた。インディ・ジョーンズは、発掘した遺物を絶対に売ったりしてこなかった。考古学者として、常に遺物を博物館に保管しようと努めてきた。だが、今回はヘレナを責めない。この部分には、インディの息子に対する後悔の念も関係しているように思う。

 『クリスタル・スカルの王国』に登場したインディの息子マットは、本作には登場しないのだが、彼の行方については映画の中で言及されている。マットは、インディに反発して軍隊に入隊し、ベトナム戦争で戦死したのだ。

 マットは、マリオンとの間に授かった子どもだ。インディはマットが成人するまで彼の存在を知らされていなかったが、知らなかったとはいえ、18年以上も父親としての責務を果たせなかったという思いがあるのではないだろうか。

 その後の親子関係の破綻が結果的に息子を戦死に追い込んだとインディは考えている。だからこそ、罪悪感を覚えているヘレナに対して、歩み寄ろうと努力をしているようにも思えた。

ヘレナの役割、それはインディに「引導を渡す」こと

画像: ヘレナの役割、それはインディに「引導を渡す」こと

 ヘレナというキャラクターは、娘のような存在であり、敵にもなりえる優秀さを持つライバルのような存在でもある。しかし、彼女がこの映画に登場する理由は他にある。ヘレナはインディ・ジョーンズに引導を渡す役割を担っているのだ。

 ヘレナがダイヤルを売りにモロッコに行くと、インディは彼女を追いかけるが、ヘレナにしてみれば、ダイヤルさえ手に入ればインディは必要ない。

 モロッコでは、ヘレナとトラブルになっているギャングと、ダイヤルを狙うナチスが追いかけてくるカーチェイスがある。

 このシーンで敵が追っているのはヘレナであり、インディではない。インディがそこにいる必要はない。それでもインディは何度もハンドルを握ろうとする。インディには現実が見えていない。

 ヘレナも、相棒の少年テディにも、インディの助けは必要ない。ヘレナは自分で窮地を脱出できるし、テディは、インディよりもモロッコの道をよく知っている。ダイヤルの片割れを探す冒険の旅には、70歳のインディの能力は必要ない。ヘレナ・ショーは、この悲しい現実を、彼と映画を鑑賞している観客に突きつける役割を担っているのだ。

 インディの現役時代は終わりを迎えた。引退勧告を告げるためには、インディの代わりを任せられる自立した最高の冒険者を登場させるしかない。ヘレナは、見事にその役割を果たしている。ただし、素直に引退勧告を受け入れるかどうかは、告げられた本人次第だろう。インディアナ・ジョーンズは今後どうするのだろうか。なぜかこのままでは終わらない気もするのだ。

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