俳優のウィル・スミスとジェイダ・ピンケット・スミス夫妻の約30年にわたる関係のなかで、つねに名前が挙がる存在だった、ジェイダの“もう一人の男性”、2パック(本名:トゥーパック・シャクール)。ジェイダは2023年10月に発売した自伝『Worthy』のなかでも、2パックとの関係や彼への強い思いに触れている。ウィルが「猛烈な嫉妬に苦しみました」と認めている、2パックとの関係とは?

ジェイダ・ピンケット・スミスとウィル・スミスの出会い

 当時すでにコメディ番組『ベルエアのフレッシュ・プリンス』で大ブレイクしていたウィル・スミスは、コメディ番組『A Different World』に出演していたジェイダ・ピンケット・スミスを見て、「僕たちのエネルギーには、魔法のような何かがあると分かっていた」と、ジェイダが司会を務めるトーク番組『Red Table Talk』で振り返った。

画像: ウィル・スミスとジェイダ・ピンケット・スミスは1997年12月31日に結婚。©Will Smith/Instagram

ウィル・スミスとジェイダ・ピンケット・スミスは1997年12月31日に結婚。©Will Smith/Instagram

 テレビで見たジェイダに夢中になったウィルは、彼女に会うために『A Different World』の撮影現場を訪問。しかしジェイダは不在で、代わりにジェイダを紹介してくれるはずだった男性と一緒にいたシェリー・ザンピーノと恋に落ちて結婚。2人は1子をもうけた。

 その後、ウィルとジェイダは何度かの「ニアミス」を経験したあと、LAのジャズバーできちんと対面。その瞬間、ウィルは「自分は一緒にいるべき相手と一緒にいないことに気づいた」そうで、ジェイダへの気持ちがあまりに強すぎて、妻シェリーと食事をしていたレストランのトイレで号泣したこともあったという。

 そして2015年、ウィルはシェリーと離婚するとすぐにジェイダに連絡。「今、誰かと付き合ってる?」と聞き、ジェイダが「いいえ」と返答すると、「良かった。今から君は俺と付き合っているから」とウィルが言って、2人の交際はスタート。ジェイダはそんなウィルの言葉に乗ってウィルと暮らしはじめた自分を「バカ」だと『Red Table Talk』で笑ったが、2人は1997年に結婚し、1998年にジェイデンが、2000年にウィロウが誕生した。

画像: ウィルの前妻との息子トリッシュ(右)、ウィルとジェイダの子どもジェイデン(右から2番目)とウィロウ(中央左)

ウィルの前妻との息子トリッシュ(右)、ウィルとジェイダの子どもジェイデン(右から2番目)とウィロウ(中央左)

ジェイダ・ピンケット・スミスと2 Pacの出会いと関係

 ジェイダと2パックが出会ったのは、ジェイダがウィルに出会う何年も前。メリーランド州のアート系の高校バルチモア・スクール・オブ・アーツで同級生だった2人は、すぐに意気投合。ジェイダは2パックのことを「ソウルメイト(魂の伴侶、運命の人)」と呼んでおり、2人にはつねにロマンスの噂があったが、2人ともプラトニックな関係だと否定してきた。

画像: ジェイダ・ピンケット・スミスと2パック。2パックはギャングスタラップのイメージが強いが、貧困問題や女性の中絶の権利などアメリカの社会問題を反映させた楽曲を多く残しており、最も偉大なラッパーのひとりとして知られている。

ジェイダ・ピンケット・スミスと2パック。2パックはギャングスタラップのイメージが強いが、貧困問題や女性の中絶の権利などアメリカの社会問題を反映させた楽曲を多く残しており、最も偉大なラッパーのひとりとして知られている。

 ジェイダが自伝『Worthy』で明かしたところによると、2人の間には「人生に永遠に影響を与えることになる絆」があり、10代の頃に一度だけキスをしたことがあるそうだが、「私たちの間には全くと言っていいほどロマンチックな相性はありませんでした」という。ジェイダにとって、2人は互いをソウルメイトと呼ぶ親友同士だったのだ。

 ただ、ウィルが1人目の妻シェリーと離婚した1995年、2パックはジェイダに結婚を申し込んでいた。当時2パックは性的暴行の罪で服役中で、獄中から手紙でプロポーズをしてきのだという。「彼は、自分の全存在は私がイエスと言うことにかかっているから出来るだけ早く返事をくれと言ってきました」と自伝で明かしたジェイダ。2パックとの未来を検討してみたというが、彼と肉体的な関係を持つことは考えられなかったため、プロポーズを断ったという。

ウィル・スミスが「猛烈な嫉妬」をした、ジェイダと2Pacの親密さ

 ジェイダは2パックではなくウィルを選んだわけだが、ジェイダがソウルメイトだと明言する2パックの存在は大きく、ウィルは2021年に発売した自伝『Will』の一章でも、友人とはいえ、ジェイダが別の男性を尊敬し愛することを受け入れる成熟さが若い自分にはなかったと明かしている。

画像: ウィル・スミスが「猛烈な嫉妬」をした、ジェイダと2Pacの親密さ

 2パックと妻の間にあった愛を「伝説的」だったと自伝の中で表現したウィルは、当時は2人のその親密さが自分の「心をむしばんだ」と認めており、「自分が正しいと信じたもののためなら闘って死ぬ覚悟がある」2パックを前にして、「自分自身を臆病者だと思う」ようになったそうで、「私は自分が彼のような存在でないことを憎み、猛烈な嫉妬に苦しみました。自分もジェイダにそのように見て欲しいと思ったのです」と告白した。

 そして、「ジェイダと私が結婚を誓い合い、私たちの関係に時間を割く必要があるせいでパックに割ける時間が減ったとき、私の未熟な心は、それをひねくれた形での勝利と受け取りました。ジェイダは模範であり、頂点であり、女王の中の女王でした。もし彼女がパックではなく私を選んだのなら、私が臆病者であるはずがありません。あそこまで認められた気がしたことはほとんどありません」と続けた。

 結果的に、ウィルは2Pacとは何度か同じ部屋にいたことがあるものの、「パックに対するジェイダの愛のせいで、私は彼とは友達になれませんでした。私はあまりに未熟だったのです」と綴った。

2Pacが他界して27年、未だにその存在は大きい

 1996年9月、2パックはラスベガスで銃撃を受けて死亡。25歳だった。ウィルが脅威に感じるライバルだった2パックの死は、ウィルとジェイダの結婚生活のなかで、2パックをさらなる大きな存在とした。それは、2021年のウィルの自伝と、2023年のジェイダの自伝の両方で、2パックの名前が出てきたことからも明らかだろう。

 ちなみに、ジェイダと2パックは彼が亡くなる少し前に大喧嘩をして、一時的に疎遠になっていた。通常ならばそのうち仲直りをしていたが、2パックは帰らぬ人に。ジェイダは2018年に『Red Table Talk』で、「あの死は私の人生における巨大な出来事だった」と娘ウィロウと母の前で明かし、「彼はずっと長くそばにいると信じていた」「彼は私を置いていなくなった」と泣きながら思いを激白。

画像: 自伝『Worthy』のPR活動をするジェイダ・ピンケット・スミス。

自伝『Worthy』のPR活動をするジェイダ・ピンケット・スミス。

 現在ジェイダは自伝『Worthy』のPR活動のために米メディアへの出演を続けているが、Access Hollywoodとのインタビューでは、2パックの写真を見て号泣。未だに彼の存在と不在に大きな影響を受けていることを伺わせた。

 そんなジェイダは『Live with Kelly & Mark』でこう語った。「自伝を読んでもらえば、私たちがなぜあそこまで親密だったのかが理解できると思います。私たちは家族同然だったのです。2人とも薬物依存に苦しむ母親を持ち、家庭で得られていなかったものを、お互いとの友情から得ていたのです」。

現在は『別居婚』をしているが「離婚できない」

 『Worthy』の中で、ウィルとは2016年から「法的なこと以外はすべて別れた」生活を送っていることを明かしたジェイダ。しかし離婚のつもりはなく、「もう一度、素晴らしい愛を見つけることはできない」と米情報番組『Today』で明かし、双方との関係を「癒し」ながら、2人にとって最も良い夫婦の形を模索中なのだそう。

画像: 現在は『別居婚』をしているが「離婚できない」

 そしてウィルの方は、ジェイダが自伝本の宣伝のために出演したポッドキャスト番組『On Purpose with Jay Shetty』に手紙を渡し、こう妻に伝えた。

 「今、『Worthy』の最後のページをめくったところです。あなたのそばで人生の大半を生きてきたにもかかわらず、衝撃を受け、唖然とし、不意を突かれ、笑い、そして感化され、そして悲嘆に暮れている自分に気づいたことに驚いています。家族の集まりで逸話を聞くのとはひと味異なり、こうして凝縮されたあなたの話を受け止めるのは本当に圧倒的でした。あなたは、パワーと繊細な感性が融合した稀有な存在です。あのような深みまで掘り起こすのは容易なことではなかったと思います。私はあなたに拍手を送り、敬意を表します。もし私が30年前にこの本を読んでいたら、間違いなくもっとあなたを抱きしめていたでしょう。今から始めます。著者クラブへようこそ。あなたを限りなく愛しています。さあ、メルローでも飲んで休んでください」

 夫の言葉を黙って聞いていたジェイダは、「彼は私がメルローを飲めないことを知っているのに」と笑い、目に涙を浮かべながら、「本当に美しい言葉。だからあのおふざけ者と離婚できないの」と言った。

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