『スタンド・バイ・ミー』、『旅立ちの時』、『マイ・プライベート・アイダホ』…。多くの作品に出演し、その存在感からトップ若手俳優としての確固たる地位を築いていたリヴァー・フェニックス。生きていたら50歳となっていたリヴァーを、写真で振り返る。(フロントロウ編集部)

フェニックス家の第1子リヴァー

 1970年8月23日に生まれたリヴァー・フェニックスは、その後全員がショービズの世界に足を踏み入れたフェニックス兄弟姉妹の第1子。第2子はシンガーのレイン・フェニックス、第3子にオスカー俳優のホアキン・フェニックス、第4子に元子役のリバティー・フェニックス、末っ子に俳優のサマー・フェニックスがおり、幼少期には5人でストリートパフォーマンスを行なっていた。

 映像の57秒から、ストリートパフォーマンスを行なう子供達の映像が見られる。

画像: 1983年頃に撮影されたフェニックス家。

1983年頃に撮影されたフェニックス家。

 フェニックス家といえば、1970年代にカルト団体の「神の子供たち(Children of God/現:ファミリー・インターナショナル)」に所属していた過去があり、リヴァーは米Esquireのインタビューで、「奴らは汚い。人の生活を破壊してる」と話すなど、怒りを隠すこともなく語ってきた。1977年に神の子供たちを脱退した一家の名字は元々「ボトム」だったけれど、アメリカに帰国後、灰から蘇る伝説の鳥である「フェニックス」を名字にした。


演技派子役から個性派俳優へ

 そしてリヴァーは、1982年から83年にかけて放送されたドラマ『Seven Brides for Seven Brothers(原題)』でメインキャストを演じ、子役として有名になる。その後もドラマへの出演を続けたけれど、次第に活躍の場は映画に。1985年公開の映画『エクスプロラーズ』がデビュー作となったリヴァー。この作品の主演はイーサン・ホークで、2人はその後、若手俳優として競いあった。

画像: 『Seven Brides for Seven Brothers(原題)』より。

『Seven Brides for Seven Brothers(原題)』より。

画像: 『エクスプロラーズ』より。PARAMOUNT PICTURES / Album/Newscom

『エクスプロラーズ』より。PARAMOUNT PICTURES / Album/Newscom

 その翌年はリヴァーにとって大激変の年となる。1986年に公開され、リヴァーの名を世界的に有名にした作品といえば、『スタンド・バイ・ミー』。アカデミー賞の脚色賞、ゴールデングローブ賞の作品賞と監督賞にノミネートされた本作で、リヴァーは、主人公の親友クリスを演じ、その存在感を世界に知らしめた。本作の主題歌であり、当時リバイバルヒットしたベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」のミュージックビデオにもリヴァーは出演している。

画像: 『スタンド・バイ・ミー』より。ⓒUnited Archives/Impress/United Archives/Newscom

『スタンド・バイ・ミー』より。ⓒUnited Archives/Impress/United Archives/Newscom

 1988年には、『旅立ちの時』の演技でアカデミー賞とゴールデングローブ賞の助演男優賞に、18歳でノミネートされた。 本作で共演したリヴァ―とマーサ・プリンプトンは、交際していた時期がある。

画像: 『旅立ちの時』より。ⓒUnited Archives/Impress/United Archives/Newscom

『旅立ちの時』より。ⓒUnited Archives/Impress/United Archives/Newscom

画像: マーサ・プリンプトンとリヴァー・フェニックス。

マーサ・プリンプトンとリヴァー・フェニックス。

画像: 1988年公開のリヴァーの出演作『ジミー/さよならのキスもしてくれない』より。ⓒUnited Archives/IFTN/Newscom

1988年公開のリヴァーの出演作『ジミー/さよならのキスもしてくれない』より。ⓒUnited Archives/IFTN/Newscom

 1991年に出演した『マイ・プライベート・アイダホ』で、リヴァーは、ヴェネツィア国際映画祭、全米映画批評家協会賞、インディペンデント・スピリット賞の主演男優賞を受賞。本作で共演したキアヌ・リーブスとリヴァーは大親友だったことも有名。2人は、リヴァーが当時交際していた恋人を通じて知りあったと言われており、2人とも俳優業のかたわら音楽活動に熱心だったことや、セレブっぽくないタイプだったことで、すぐに仲良くなったという。

画像: 『マイ・プライベート・アイダホ』より。ⓒIFA Film/United Archives/Newscom

『マイ・プライベート・アイダホ』より。ⓒIFA Film/United Archives/Newscom


バンド活動にもかなり力を入れていた

 リヴァーが組んでいたバンドAleka's Attic(アレカズ・アティック)は、リヴァーの妹レインがボーカルのバンド。レインは、Aleka's Atticの未発表曲を今でもリリースしており、2020年のリヴァー生誕50周年にも、新たな楽曲「ALONE U ELOPE(原題)」を発表した。

 また、リヴァーの弟ホアキンが、2020年度の第92回アカデミー賞主演男優賞を受賞した際に引用した「愛を持って人を助けよ。その末に平和がある」は、リヴァーが17歳の頃に作詞した楽曲「LOST IN MOTION」の歌詞。レインは、リヴァーがその部分を歌う映像も、2020年のリヴァーの誕生日に公開した。

 ちなみに、フェニックス家は全員ヴィーガン。ホアキンは動物の権利を守るためのデモにたびたび参加していることで有名だけれど、リヴァーも生前は熱心に活動しており、PETA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)による動画にも出演している。また、当時交際していたマーサがレストランでシーフードをオーダーした際に、泣いてレストランを出て行ったというエピソードもある。


リヴァー・フェニックスの死

 そんなリヴァーは、1993年10月31日に、当時交際していた俳優のサマンサ・マシスやホアキン、レインとともに、セレブが多く訪れるハリウッドのナイトクラブThe Viper Roomを訪れた。サマンサが英The Guardianに明かしたところによると、当初は長居する予定ではなかったそうだけれど、演奏していたバンドにリヴァーも急遽参加することとなり、滞在時間が延びたという。そしてその後、床に倒れて痙攣しているリヴァーをサマンサが発見。すぐに、当時19歳だったホアキンを呼んで救急車を呼んだけれど、リヴァーは帰らぬ人となった。死因は、薬物の過剰摂取といわれている。リヴァーの遺灰は散骨された。

 映画『愛と呼ばれるもの』で共演したリヴァーとサマンサ。

 その死から27年が経った現在でも、いまだにリヴァーは多くの人々に愛されている。レインは2019年に、兄の名を冠したアルバム『リヴァー』を発表。ホアキンは、リヴァーこそが自分を俳優の道に引っ張り込んでくれた人物だと明かし、トロント国際映画祭の特別賞であるTribute Actor Awardを受賞した際に、兄への感謝を口にした。キアヌは、2019年に応じた米Peopleのインタビューで、リヴァーのことを「並外れて美しい魂。光」と表現している。

画像: リヴァー・フェニックスの死

(フロントロウ編集部)

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