ロックなファッションでキャリアの初期からアイコンとなったアヴリル・ラヴィーン
16歳でアトランティック・レコードと契約を結び、17歳だった2002年にリリースしたデビューアルバム『レット・ゴー』がいきなり母国カナダやイギリスなどでアルバムチャートの1位を獲得して、若くして世界的なスターとなったアヴリル・ラヴィーン。10代の心情を率直に歌詞に綴った音楽で多くのファンの心を掴んだのはもちろんのこと、アヴリルはそのパンクなスタイルで若者たちのファッションアイコンにもなった。
デビュー初年度から引っ張りだこになり、音楽アワードなどの様々なステージでパフォーマンスを行ない、そこでお披露目するファッションもたびたび話題になったアヴリルだったが、実は、デビュー初期の頃の衣装やヘアメイクはそのほとんどが自前のものだったという。
今回、来たるニューアルバムからの先行シングル「Bite Me」のリリースに際して米Nylonとのインタビューに臨んだアヴリルは、「振り返ってみると、笑えることもいくつかある」とキャリアの初期の頃について語ると、「私にはスタイリストがいなくて、1年間は繰り返し自分のスーツケースから自分の服を取り出して着ていた」ことを明かした。
また、担当がついていなかったのはスタイリストだけではなく、「メイクやヘアの担当もいなかった」とアヴリル。「私はストレートで汚いロックなヘアスタイルという感じだったけど、それが私を私らしくしてくれたとも思う」と語り、結果的に自分らしいスタイルを確立することに繋がったと分析した。
「最初の頃は、飛行機に乗って、車を手配して、車にスーツケースを乗せてどこへでも自分で運転して行った」と、キャリアの初期の頃にはあらゆることを自分自身で行なっていたことを明かした上で、次のように続けた。
「当時のことを振り返ると、『どうしてレーベルやマネージメントは、『彼女には、髪を乾かしたり洋服ラックを準備したりしてくれるようなヘアやメイクの担当が必要かもしれない』ってならなかったんだろう?』って思う。私が思い返すのはそういうことで、『もっと手伝ってもらってもよかったのに』って思うよ」。
今となっては、誰か専属のスタッフがついてくれていたらと語るアヴリルだが、何もかもを自分で手がけていたからこそ、飾らない等身大のアヴリルとしての魅力に誰もが惹かれたのだろう。(フロントロウ編集部)