コーディー・シンプソンがマイリー・サイラスとの破局を振り返る
2019年10月に交際が発覚し、2020年夏頃に破局したことが報じられるまで、およそ1年にわたってマイリー・サイラスと交際していたシンガーのコーディー・シンプソンが、地元オーストラリアのラジオ番組『Kyle and Jackie O Show(原題)』に出演して、マイリーとの破局について振り返った。
マイリーはコーディーにとって幼い頃から憧れていたアイドルで、新型コロナウイルスのパンデミックによってロックダウンが始まった際には、一緒に自主隔離生活を送るなど、順調に交際していたと見られていた2人だが、次第に、それぞれが別々の道を歩まなければいけないタイミングが訪れたと悟ったという。
コーディーによれば、破局はどちらか1人の決断というよりはむしろ、2人ともで決断したことだったといい、「それぞれの人生で別々の方向に進んでいくということを僕たちは理解していたので、2人で下した決断のようなものでしたね」と番組で明かした。
東京オリンピック出場に向けて専念する必要があったとコーディー・シンプソン
フロントロウでも何度かお伝えしてきたが、水泳選手としても過去に母国オーストラリアのクイーンズランド水泳大会で2度の金メダルに輝いたことがあるほどの実力の持ち主であるコーディーは、水泳のオーストラリア代表として、2021年に延期になった東京オリンピックへの出場を目指していた。
シンガーとしての活動に専念するために、一度は水泳選手としての活動から離れていたコーディーだったが、2020年に予定されていた東京オリンピックが新型コロナウイルスによって1年延期となったことで、本格的に水泳選手としてのトレーニングを再開。トレーニングを本格的に再開したわずか5カ月後には、得意種目である100メートルバタフライの選手としてオーストラリア代表のオリンピック選考会に出場できる権利を勝ち取った。
コーディーによれば、東京オリンピック出場への強い思いも、マイリーと別れる決断へと繋がったといい、「当時はトレーニングをスタートさせたところだったので。それもあって、僕の人生が変わろうとしていたタイミングだったので、オーストラリアへ戻ってプロとしてきちんと取り組む必要があったんです」と明かす。
一方のマイリーも、当時は、2020年12月に発表したアルバム『プラスティック・ハーツ』のリリースに向けてカムバックに本腰を入れていた時期。「彼女も新しいアルバムにかかりっきりで、ツアーに出るというところだったので」と、マイリーが忙しくなるタイミングも重なったとしたコーディーは、「まさに2人の分岐点という感じでした」と振り返った。
お互いがそれぞれの道を進むために、別れることを決断した2人。コーディーは、マイリーとの交際は良い思い出でいっぱいだとして、「一緒に素晴らしい1年間を過ごしました。新型コロナのロックダウン中には、一緒に住んでいましたしね」とも語った。
最終的には、東京オリンピック出場は叶わなかったコーディーだったが、五輪予選後には「またトレーニングに戻るのが楽しみでしかたないよ。3年後に会おう! 」とインスタグラムに綴って、2024年にフランス・パリで開催される次のオリンピック出場への意欲も見せていた。(フロントロウ編集部)