大ヒット青春コメディ『ブックスマート』のオリヴィア・ワイルド監督による待望の新作『ドント・ウォーリー・ダーリン』は、心理スリラー。そこで描かれたのは、女性が感じている恐怖。(フロントロウ編集部)

 ※この記事には、『ドント・ウォーリー・ダーリン』のネタバレが含まれます。

“理想郷”とは誰にとっての理想なのか

 映画『トロン:レガシー』や『TIME/タイム』の俳優として知られたオリヴィア・ワイルドが、『ブックスマート』での鮮烈な監督デビューによって映画監督として高い人気を得ている。そんな彼女の最新作『ドント・ウォーリー・ダーリン』は、青春コメディだった前作とは打って変わって、“無意識に心臓に負荷がかかるよう”な心理スリラーで、前作よりもド直球フェミニズム映画だ。

 “理想郷”であるヴィクトリーという街が舞台の本作だが、一方で多くの女性が肌で理解できる“現実”が描かれている。それは一体どういうことなのか。

 完璧な生活を保障された街ヴィクトリーでは、夫は家を持ち、毎朝車で仕事に出かけていく。妻は夫をサポートし、家事と育児をして、時間があれば他の妻たちと集まる毎日。これが“理想”とされるのは簡単に理解できるが、一方で、それぞれが自分にとっての理想と比べてみた時に、まったく同じだという人はどれくらいいるのだろうか?

画像: “理想郷”とは誰にとっての理想なのか

 毎日家にいたくない、仕事をしたい、自分ばかりが夫のサポートをしたくない女性は多い。しかし家事育児をして、夫を献身的に支えて、常に身なりを整えているのが“理想”の女性とされるめんどくささは、多くの女性が理解できるところ。

 また、専業主夫になりたい男性もいる。つまりヴィクトリーという理想郷は、女性の選択の権利を制限することに問題意識がなく、ステレオタイプな男性像を良しとする価値観の人々にのみ適用されるもの。そしてこの映画では、インセルという人々が問題になる。

インセルとは?

 この物語が取り組んだ大きなテーマの1つである、インセルという存在。インセル(incel)というのはinvoluntary celibateを混ぜた単語で、「不本意な(involuntary)」「禁欲(celibate)」をしている男性を指す。

 女性と付き合えないため不本意な禁欲をしている状態で、自分たちがモテないのは女性側の責任だとして、自分たちを拒否する女性たちを非難する。また、自分が抱える問題は女性パートナーがいれば解決すると思っている。欧米では銃乱射事件や大量殺人事件の犯人がインセルだったケースも多々あり、社会問題のひとつとして捉えられており。日本では、秋葉原通り魔事件の犯人である加藤智大がインセルだったと指摘されている。

 アリスの夫であり、彼女を誘拐して仮想現実に監禁したジャックは、現実でもアリスと同棲していたため、典型的なインセルとはいえないが、ワイルド監督は、クリス・パインが演じたヴィクトリーを治めるフランクが「インセルコミュニティのヒーロー」をモデルにしたキャラクターだと明かしている。

画像1: インセルとは?

 そのモデルとは、ハーバード大学やトロント大学で教鞭を取った経歴があるジョーダン・ピーターソンで、監督は彼のことを「エセ知識人」だと批判。ジョーダンはインセルコミュニティの心に刺さるようなメッセージを発信してきており、劇中で現実のジャックがフランクのポッドキャスト番組にハマっていたところで、分かりやすくジョーダンのような発信者とインセルコミュニティの関係性が示されている。

 ただ、ジョーダンは様々な分野で問題発言が多いとはいえ、彼自身は結婚していて子どもも2人いる。また、インセルから英雄視されている代表的な人物としては、2014年にカリフォルニア州で刺殺・銃殺によって6人を殺し、その後自殺したエリオット・ロジャーがあげられ、ジョーダンとは違って英雄視されている彼自身もインセルだった。

 さらに、劇中におけるフランクの発言は、ミステリー感を残そうとしたためか意図が不透明なものが多く、彼がインセルを率いる権力者という印象は持ちづらかった。監督の発言や、現実でのジャックの外見を見るかぎりは、監督はインセルの問題を提起したかった意図があるのだろうが、“多くの人が持つミソジニーの行きつく先の地獄”というシンプルなテーマで作品を追求したほうが説得力が増したのではないだろうか。

 そのため、ジャックはインセルとして考えるよりは、女性が個別の意思を持った人間であるということを無視して、自分の良いように扱おうとする、女性蔑視の価値観を持つ男性として捉えるほうがすんなりくる。事実、現実にもそういう男性は少なくないのだから。

画像2: インセルとは?

 仮想現実でのジャックは、仕事で成功していて、車つきの一軒家に住んでいて、センスが良く、人間関係も問題ない。仮想現実、つまりアリスが自分の傍にいるようになった途端に、努力せずともすべてが上手くいくようになるというのは、あまりに都合が良い話だが、彼らのなかではひたすらに女性の存在がすべてを良くするようだ。

違和感に気づいた女性は頭がおかしいと言われる

 アリスがヴィクトリーの秘密に気がつく前に、マーガレットは仮想現実の真相に気がついていた。そんな彼女のことを周囲は頭がおかしくなったとウワサする。そして“病気”だとして治療しようとする。

 女性が差別や性暴力などに声をあげると女性側がおかしいとされることは歴史的に繰り返されてきたことで、社会問題のひとつと認識されているが、このシーンはまさにそれを描いていると言える。

画像: 違和感に気づいた女性は頭がおかしいと言われる

 一方で、マーガレットの存在は重要だが、制作陣は彼女を上手く活かせなかったことは残念でならない。マイノリティの死を、マジョリティキャラクターを引き立てるために使用することは、映像において問題だと指摘されてきた。本作はフェミニズム映画だが、黒人女性であるマーガレットの役どころは些細で、ホワイトフェミニズム(白人女性だけのためのフェミニズム)の失敗から脱却できているとは言えないだろう。

 さらに、マーガレットを演じたキキ・レインが、彼女の出演シーンはほとんどがカットされる結果となったことを明かしていることを考えると、マーガレットというキャラクターを上手く活かした作品にできていたらと思わずにはいられない。

子どもがいるということ

 本作ではクライマックスで、アリスの隣人バニーがヴィクトリーは仮想現実であることを知っていることが明らかになり、彼女はアリスが現実に戻る後押しをするが、自分は仮想空間で生まれた自分の子どもたちと離れたくないという理由から、ヴィクトリーに残ることを選ぶ。

 この展開は物語においてインパクトのあるものではあるが、そこまで重要でもない。しかし現実と照らし合わせると、監督がここで指摘したことを認識しておくことは重要だろう。本作の設定においては、現実に戻ってしまえば子どもたちに二度と会えなくなるということがバニーの行動の理由だが、何にせよ、自分が守らなければいけない子どもがいるということは、女性の行動や選択に大きな影響を与える。

画像1: 子どもがいるということ

 決して子どもは女性の足かせだと言っているわけではなく、例えば現実では、女性が子どもたちを抱えてシングルマザーとして生きていくのは難しかったり、その後の裁判も非常に大きな労力を要するものになる可能性があったりするなどの問題がある。

 一方で、フランクの夫であり、子どもがいるかは明示されなかったシェリーが最後に覚醒したことも興味深い。彼女はフランクを殺したが、それはヴィクトリーを支配するため、つまり悪側のトップになるためのようにも受け取ることが可能だった。彼女の覚醒は一体何を意味するのだろうか。

画像2: 子どもがいるということ

 あまりに当たり前に女性の人権が抑圧されている社会では、じわりじわりと真綿で首を締められるような苦しさに呼吸が締めつけられる。そんな息が詰まる閉塞感と緊張感を、見ているだけで疑似体験させられる本作。記事の最初で、“無意識に心臓に負荷がかかるよう”な心理スリラーと表現したのは、そういう理由だ。劇中でアリスは“理想郷”から脱出したが、それは現実のほうが女性にとって理想郷だということは意味しない。果たして私たちにとっての夢のような世界はどこにあるのだろうか。

(フロントロウ編集部)

This article is a sponsored article by
''.