歯が汚い! 1920~1930年代のハリウッド事情とは?
ハリウッドがサイレント映画からトーキー映画へと変わろうとしていた1920年代~1930年代を舞台にした『バビロン』を作るにあたり、デイミアン・チャゼル監督は“リサーチにおける右腕”と呼ぶパトリック・マーフィーと共に資料をあさり、歴史家やエキスパートと語り、当時のハリウッドをビジュアルから社会問題まで深く研究したという。
その細かいリサーチの結果はストーリーだけでなく、一見では気づかないようなところにも隠されている。例えば、『バビロン』では美しく着飾った俳優や業界人たちの歯や爪が汚いことに気づいただろうか? 当時のアメリカは衛生面でまだまだ改善の余地が多く、歯磨き文化も確立されていなかった。だからこそ、サイレント映画からトーキー映画へと変わりセリフをきちんと言う必要が生まれたとき、デンタルケアをしてこなかった多くの役者が苦労したと言われている。そして、トーキー映画がハリウッドスターの歯のお直し文化、つまり“芸能人は歯が命”という考えを主流にし、そんな映画スターたちの美しい歯に憧れた一般層でのデンタルケアを流行させた。
ハリウッドの文化と歴史の徹底したリサーチが背景に見えるこの演出について聞くと、チャゼル監督は笑いながらこう語った。
デイミアン チャゼル:「歯の黄色さに気づいてくれてありがとう。歯についてのコメントはほとんど聞かないので、気づいてもらえて嬉しいです。なぜなら、私たちはこの件で随分と議論を重ねましたからね。時代ものの作品では当時のディテールが欠落していることに気づくと嫌になる。だからこそ、現代の歯科衛生の恩恵を受けた歯を使うのは嫌でしたし、爪も汚いままにしたかった。そのように、キャラクターのなかに不完全があるということこそ、ビジュアルに一貫して欲しいものだとみんなで思うようになったのです。私は、美しさと醜さを並べるのが好きなんですよ。映画の登場人物たちは、カメラの前に立ち、パーティーに出席して、そこにはハリウッド特有の美しさがある。しかし少し近づいて化粧を落とせば、実に醜い面が見えてくる。映画全体を通してそのような二面性を持たせることこそ、その背景にあった哲学だったのです」
2、3回観るほど面白くなる、スクリーンに隠されたチャゼル・マジック
チャゼル監督が『バビロン』に仕込んださまざまな“仕掛け”にすべて気づくには、1回の鑑賞では絶対に足りない。『バビロン』ではフレームをパノラマビューのキャンバスのように提示して、観客がフレームのさまざまな部分に「視線を流れるように移しながら」観られるようにこだわったそうで、「観客につねにどこを見れば良いか促さない映画作りが好きなんです」と語った監督は、総勢250人のキャストで成し遂げようとしたことを明かした。
デイミアン チャゼル:「この映画ではすべてのキャラクター、すべてのシーン、すべてのフレームに明と暗を組み込みたかったのです。映画のどの場面にいるかによって比率は変わりますが、つねに明と暗が存在している。例えばパーティーシーンのようにたくさんのことが一度に起きている場面では、フレームのなかに美しいことと醜いことの両方を入れるようにしました。非常に密度が高い映画なのです。フレームがいっぱいの時、別のことが同時進行で行なわれている。つまりそれは、初観賞時にはフレームで起きていることの一部しか観られていないことになります。もちろん初観賞時に満足してほしいですが、複数回観ることで楽しみが増える映画でもあるのです。
例えば、私たちはハリウッドの当時の人口構成を細かくリサーチしました。この数字は30年代に入り急激に変わり、その変化はメインキャラクターの間で見て取れますが、背景に映る人たちやクルー、映画界の重役でも見て取れます。私たちは彼らを慎重にキャスティングしたのです。当時のハリウッドは低俗なアートとされており、ハイソサエティからは尊敬を得られないサーカスのような場所でした。だからこそ、アメリカ社会のつまはじき者にも扉が開かれていた世界だった。しかしトーキー時代になり、ハリウッドの評判が高まり、収益も倍増すると、扉は閉ざされ、私たちが知る白人だらけのオールド・ハリウッドの時代が幕開けるのです。こういった描写はすべて、シーンの背景で起きています。だから初見で気づくのは難しいかもしれない。水面下で多くを表現したため、2、3回観て気づくことがあると思います。もちろん、皆さんが2、3回観たいと思ってくれるならばね(笑)」