1989年の映画『リトル・マーメイド』は、ミュージカル・アニメーションが魅力的なストーリー、印象的なキャラクター、優れた音楽で観客を魅了した“ディズニー・ルネッサンス時代”を幕開けた作品である一方で、そのクィアな要素やテーマから、LGBTQ+コミュニティにおいても特別な作品として知られている。『リトル・マーメイド』とLGBTQ+のリンクを探求する。(フロントロウ編集部)

『リトル・マーメイド』における「クィア・コーディング」

 主人公のアリエルが愛し愛される人を求め、古い考えを持つ父親が自分たちとは違うという理由で娘の思いを否定するという『リトル・マーメイド』のストーリーに、自分の経験を重ねたというLGBTQ+当時者の話は少なくない。

 ただ、『リトル・マーメイド』における最も有名なLGBTQ+のレプリゼンテーションは、ディズニー史上最もアイコニックなヴィランのひとりである、海の魔女アースラであることは間違いない。

 アースラはディヴァインという有名なドラァグクイーンからインスピレーションを得たキャラクターであることは、広く知られた話。『リトル・マーメイド』のプロデューサーであり劇中歌の作詞を担当したハワード・アッシュマンがディヴァインの大ファンだったこともあり、彼の後押しを受けて、ジョン・ウォーターズ監督作品で知られるディヴァインのインパクト大な存在感、特徴的なメイク、奇抜なファッションセンスが、アースラのキャラクター構築に大きな影響を与えた。

画像: 有名ドラァグクイーンのディヴァイン(Divine)。

有名ドラァグクイーンのディヴァイン(Divine)。

 実際に、アースラの大げさな物言い、派手なスタイル、芝居がかった話し方はドラァグカルチャーを連想させるもので、未だに、ドラァグショーではアースラへのオマージュを込めたパフォーマンスをするクイーンがいる。そして、6月9日に公開予定の実写版でアースラ役を演じるメリッサ・マッカーシーも、ドラァグクイーンを演技のインスピレーションにしたことをEntertainment Weeklyのインタビューで認めている。

 また、アースラというキャラクターは、ジェンダー・フルイド(性別の流動性)を表しているという見方もある。アースラは「魔女」とされてはいるが、劇中ではその性別は曖昧に描かれており、彼女のルックスや態度には、俗に言うフェミニン(女性的)な特徴とマスキュリン(男性的)な特徴の両方があり、ジェンダーの流動性を体現しているとされてきた。

 ちなみに、『リトル・マーメイド』のアースラのように、キャラクターの言動や態度、特徴でLGBTQ+であることを暗示させることをクィア・コーディングと呼ぶ。クィア・コーディングは、アメリカで映像作品における“非道徳的”なコンテンツを禁じた1930年代初頭~1960年代後半のヘイズ・コード時代にとくに多用されたが、60年代以降のハリウッド作品にも多く見られ続けた。クィア・コーディングには、LGBTQ+当事者のステレオタイプを助長させるという問題や、クィア・ベイティング(※LGBTQ+の消費者を惹きつけるためにLGBTQ+の要素の示唆や暗示という形で利用すること)だという批判は根強いが、『リトル・マーメイド』のクィア・コーディングには革新的だったとする声の方が多い。

LGBTQ+アイコン、ハワード・アッシュマンの功績

 『リトル・マーメイド』が公開された1989年のアメリカは、7割(69%)の人が同性婚に反対していた時代だったうえ、80年代から続くエイズ危機で、LGBTQ+コミュニティが非常に多くの困難と差別・偏見に直面していた時代。言うまでもなく、ハリウッドの大手配給会社の作品におけるLGBTQ+のレプリゼンテーション(表象)は乏しく、そんな時代のディズニー作品にLGBTQ+の要素が残されたことは、例え暗示であったとはいえ画期的なことだった。

画像: 1989年のNYプライド・パレード。エイズ危機に対する行政の対応不足が訴えられた。

1989年のNYプライド・パレード。エイズ危機に対する行政の対応不足が訴えられた。

 『リトル・マーメイド』の大ヒットはのちの映像界におけるクィア・レプリゼンテーションにも影響を与えたが、本作の立役者となったのが、『リトル・マーメイド』のプロデューサーを務め、挿入歌の多くをアラン・メンケンと共作したハワード・アッシュマン。同性愛者であるハワードは、自身のユニークな視点と経験を『リトル・マーメイド』に吹き込んだ。

 例えば、当初は配給側から人気がなくしてお蔵入りの声もあった劇中歌「パート・オブ・ユア・ワールド」。これは、“夢を追うこと”や“自分を信じる”という映画のテーマを歌う名曲だが、“自分も仲間になれる別の世界を求める”という歌詞は、アウトサイダーのアンセムとしてLGBTQ+当事者に高く評価された。ディズニープラスで配信されている彼のドキュメンタリー『ハワード -ディズニー音楽に込めた物語』では、ハワードが重役を説得して同曲を残すことに尽力したことが明かされている。

 時には配給側と意見が対立してクビになりそうになりながらも、自身のユニークな視点と経験を『リトル・マーメイド』や、その後制作した『美女と野獣』や『アラジン』にも活かし、のちの映画やテレビづくりにも影響するレガシーを残したハワード。ウォルト・ディズニー・カンパニーが個人に与える最高の栄誉賞とされるディズニー・レジェンドにも選出されている彼は、エイズにより、『リトル・マーメイド』が公開された直後の1991年に40歳の若さで他界した。

 しかしそんな彼のレガシーは、その後の作品に残されている。2023年6月9日に公開される実写版『リトル・マーメイド』は、オリジナルのエッセンスを残しながら、現代のマインドを加えたリテリングが行なわれているそうで、社会規範に縛らないストーリーテリングをしたハワードの精神が受け継がれている予感がする。

 加えて本作は、アリエルと父親のトリトン王、エリック王子と母親のセリーナ女王にそれぞれ異人種の俳優が起用されており、この人種を超えたファミリー構造は、養子縁組やチョーズン・ファミリー(※血縁的なつながりにこだわらず、お互いで選んで家族になったファミリー)と縁が深いLGBTQ+コミュニティが共感する点ではないだろうか。

 スクリーンに現実世界の多様な個性を反映するのは今や当たり前の時代だが、その黎明期に、ハワード・アッシュマンという人物がいたことは忘れないでいたい。(フロントロウ編集部)

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