キアヌ・リーブスは、俳優への道を進める前に、まず母親にあることを話していたという。(フロントロウ編集部)

家族仲が良いキアヌ・リーブス

 1989年公開の映画『ビルとテッドの大冒険』や1991年の『マイ・プライベート・アイダホ』などに出演し、若い頃から高い人気を誇り続けている俳優のキアヌ・リーブスは、10代の頃から芸能活動をしてきたにもかかわらず、気取らず、誰に対しても丁寧な態度を取る“良い人”として知られている。

 キアヌは家族仲も良く、映画プロデューサーとして働く妹カリーナ・ミラーが手掛けた作品のプレミアでカリーナに同伴し、彼女の母校である女子校で巻き越した騒動の思い出を振り返ったり、第92回アカデミー賞授賞式では母パトリシアをエスコートしたり、白血病を患っていた別の妹のために病院に多額の寄付をしてきたりしてきた。

 そしてそんな関係は、キアヌが思春期の時期にも変わらなかったよう。

画像: キアヌ・リーブスと母、妹。

キアヌ・リーブスと母、妹。

キアヌ・リーブス、まずは母親に質問

 キアヌによると、俳優になろうと思い、行動を起こしたのは15歳の頃だったそう。とはいえ、15歳という年齢はまだまだ子供。そこでキアヌは当時、母親にある質問をしたと、映画『コンスタンティン』のプレスで話している。

 「15歳の頃に、母の元へ行って、『僕が俳優でも良い?』って聞いたんだ。母は、『あなたがなりたいものなら何でも』って。その後3週間で、僕は(演劇界の重鎮)ユタ・ヘーゲンによる(教科書の)『Respect for Acting』を使う演劇クラスに入った。僕は良い子だったんだよ。まあ、母が何て言おうが関係なかったけど、一応ね」

 俳優になるための相談などでなく、自分が俳優で良いかを聞いたキアヌの強い意思や、それを全面的に支持した母パトリシアの姿勢こそが、今のキアヌに繋がっているものなのかもしれない。

学校には馴染めなかったキアヌ・リーブス

 とはいえ、キアヌにとって学校はあまり良い思い出のある場所とはならなかった。2008年に英Daily Mailのインタビューで、キアヌは、5年間で4つの高校に通ったことを明かしている。

画像: 学校には馴染めなかったキアヌ・リーブス

 勉学の面では大丈夫であり、チェスチームにも入っていたそうだけれど、質問をしすぎる性格で、それによって問題に巻き込まれることもあったそうで、とくに教師たちと上手くいかなったことを、こう振り返っている。

 「自律性が欲しかった。でももし君が僕に何かを押しつけたいとなれば、君と僕の間には問題が生まれるだろう」

 16歳で退学となった経験もあり、その通知を受け取ることは「もちろん、おもしろいことではなかった」と語るキアヌだけれど、その後17歳でカナダからアメリカのカリフォルニア州へ渡り、俳優への道を切り開き始める。

 今のキアヌに至るには、乗り越えてきた様々な経験があった。(フロントロウ編集部)

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