レネー、キャリア史上最高の演技
『ジュディ』は、2019年9月27日にアメリカで公開された伝記映画。1939年に公開された映画『オズの魔法使い』でドロシー役を務めた名子役、ジュディ・ガーランドの悲しき晩年をレネー・ゼルウィガー主演で描いた本作が大絶賛されている。
北米には約5,000もの映画館があるが、『ジュディ』がオープニング上映されたのはわずか461館。それにもかかわらず、公開された週末の興行収入は、1,500館以上で上映されたディズニーの実写版『ライオンキング』を上回る約3.3億円(約300万ドル)という健闘ぶり。アメリカで9月末に発表された週間興収ランキングでは、4,200館で上映されたブラッド・ピット主演映画『アド・アストラ』や3,500館で上映されたジェニファー・ロペス主演映画『ハスラーズ』に迫る勢いとなっている。
この成功を受けて、『ジュディ』は今後上映館を1,400~1,500館ほどに拡大する見込み。米Varietyによると、来場者の60%が女性で、80%以上が35歳以上だったという。
レネーはこの映画のためにブロンドヘアーを黒く染め、歌の練習をしたという。役のオファーを受けたときは「なぜ私に?」と思っていたと米New York Timesでは語っていたが、彼女の演技は絶賛される結果に。レネーは、トロント映画祭でジュディを演じたことについて、「魔法」のようだったとコメントした。
ジュディ・ガーランドとは?波乱万丈な人生
物語の題材になったジュディ・ガーランドは13歳でデビューし、47歳の若さで亡くなった。デビュー当時彼女は、事務所から肥満気味であることを指摘され、当時のハリウッドでダイエット薬として使われていた覚せい剤を常習するようになってしまう。
その後『オズの魔法使い』の主人公ドロシー役に大抜擢されると、アカデミー子役賞を受賞するほどの評価を得た。その後彼女は映画『若草の頃』などの作品に次々と出演するようになる。
しかしこの頃にはすでに彼女の精神も身体もボロボロになってしまっていた。米E! Onlineによると、彼女は幼い頃から会社にダイエット薬として覚せい剤を与えられ続けたため、たびたび精神錯乱を起こしており、また、常習的なセクシャルハラスメント、パワーハラスメントによるストレスや、会社側からの圧力による強制的な人工中絶などが度重なり、自殺未遂を繰り返していたという。
32歳の時に出演した映画『スタア誕生』では、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされたものの、ワーナー・ブラザースは彼女の撮影中の遅刻や欠席を理由にジュディを批判し、結局賞は逃した。
それから体調を崩して何度も自殺未遂を繰り返したジュディだったけれど、38歳の頃に収録したライブ・アルバムはグラミー賞の最優秀アルバム賞に選ばれ、ジュディ自身も最優秀女性歌唱賞を受賞。
しかしその後は、表舞台に姿を現さないように。1969年6月22日に47歳の若さで亡くなった彼女の死因は、薬物の過剰摂取。警察の発表では、自殺ではなく事故とされている。
それでも笑っていたジュディ
これほどまでに、苦難続きの人生であったにもかかわらず、ジュディは常に着飾り、楽天的にふるまっていた。
1960年にハーバート・クレッツマーが行なったインタビューで彼女は、「どうして皆さん、私に不幸のオーラが漂っていると言ってくるの?」と言い、「私の人生は悲観的なものではありません。というか、最近はよく笑います。とくに自分自身に対して。もし自分を笑うことができなかったら、生きた心地なんてしないですよ」と語っている。
LGBTQ+アイコンでもある
ジュディは1960年代のアメリカにおいて同性愛への理解を示していた数少ないセレブの1人で、同性愛が社会的に罰せられていた当時、ジュディの『オズの魔法使い』での役名からとった「ドロシーの友達(friend of dorothy)」が、同性愛者であることを隠語としてLGBTQ+コミュニティで使われた。
LGBTQ+のプライドの象徴として用いられているレインボー・フラッグは、映画『オズの魔法使い』でジュディが歌った「オーバー・ザ・レインボー」にちなんでいるという説もある。
そんなジュディのゲイ・アイコンとしての立場を意識してか、主演のレネーは、ヨーロッパプレミアの際にレインボーカラーの傘を持って登場した。
エンターテイメント界では、ジュディが受けたような虐待やハラスメントが水面下で問題となっていると言われており、映画のヒットをきっかけにそんなハリウッドの闇にスポットライトが当たることに期待する声もある。女優として激動の人生を生きて、それでも笑顔を失わなかった女性ジュディ・ガーランドの自伝映画『ジュディ』。日本での公開発表が待たれる。(フロントロウ編集部)