Photo:スプラッシュ/アフロ、ニュースコム
多くの人がSNSを使うようになり、著名人や企業に対する批判の声もあげやすくなった。一方で行き過ぎだとの声も多く、「キャンセル・カルチャー」と呼ばれて問題となっている。(フロントロウ編集部)

キャンセル・カルチャーとは?

 SNSが多くの人に使われるようになり、多くの人々が連帯出来るようになったことで、性差別や人種差別などに対する変化がより一層叫ばれ、その結果変化が生まれている。一方で、ある言葉が議論の中心となっている。

 「キャンセル・カルチャー

 これは単純にいえば、ボイコットと似たもの。著名人や企業などを対象に、主にSNS上で発生し、ある人物がした発言や行動が問題となり、SNS上でその人物の“キャンセル”が叫ばれ番組出演がなくなったりする出来事が起こる。

画像: ※イメージ画像です。

※イメージ画像です。

 不適切な問題や発言をした人物に責任を求めることは当然であり、対象が企業であれば不買運動は昔からあった。しかしキャンセル・カルチャーで問題となりがちなのは、インターネット上に残っていた今とは時代の状況が違う昔の情報が掘り起こされたり、批判が誹謗中傷へ悪化してしまったり、1人1人は個人的に批判の声をあげたつもりでも、他の批判と集まって大きなかたまりとなり相手へ向けられることになったり、モブカルチャーとも言われる数の暴力となってしまったり、批判の目的が問題を起こした人や団体に学ぶ機会を与えることではなく、彼らのキャリアを抹殺することになってしまったりといった点があげられる。 

 とはいえ、昔の発言や行動といえど、その昔がどのぐらい前のことなのか、その人物が現在でも同じような差別発言や行動をしていたのか、その内容が犯罪だったのか、その人物の社会的立場はどのようなものなのか、などで事の大きさは変わってくる。

 例えば、数えきれないほどの女性達が過去の性暴力被害を告発し、2017年にハリウッドで大きく起こったMeTooムーブメントも、キャンセル・カルチャーに入る。しかし、その結果は明白。MeTooムーブメントはハリウッドから世界中に拡散し、女性差別の改善に大きな影響を与えた。また、ハリウッドの超大物プロデューサーであるハーヴェイ・ワインスタインは性犯罪者として法の裁きを受け、23年の実刑判決を受けた。

画像: MeTooとともに叫ばれた「Time's Up(時間切れ)」と書かれたリボン。

MeTooとともに叫ばれた「Time's Up(時間切れ)」と書かれたリボン。

 一方で心理学者のオードリー・タン博士は、過去の現場での態度を元共演者たちに指摘された俳優のリア・ミシェルと、恋人をランプで殴ったとして暴行罪で逮捕・起訴されたのちにSNS上の誹謗中傷に悩まされ自殺したキャロライン・フラックを例に出して、SNSによって拡大・結束する社会についてこう話す。

「“キャンセル”は、いつイジメと重なると思いますか?リア・ミシェルの残念な行動を共演者たちが指摘し、リア・ミシェルはそれに言及しましたが、私はキャロライン・フラックが残念ながら自殺したことを取り上げたいと思います。変化を求めたこれらの声は、実際にはどのような結果を望んでいたのでしょうか?残念なことですが、私達は自分が何かを言う時に、相手がどう反応するかは分からないのです」

キャンセル・カルチャーは言い訳?

 では自分の発言や行動に対して何も責任を取らなくて良いのか? コラムニストで作家のチャールズ・M・ブロウは、キャンセル・カルチャーというものは存在せず、権力を持つ側が責任逃れに作り出したものだとしてこうツイートしている。

「有名人だとしても、それは人だ。他の人と同様にミスもするだろう。その影響を受け入れるしかない。私もその経験はある。でも、君はそれに文句は言えない。君がそれをしたんだから!君の行動には結果がある。学んで進め」

 作家のブリット・ベネットも、キャンセル・カルチャーという言葉が状況を分かりづらくしていると、「あぁ、ね。キャンセル・カルチャー。以前は“(行動に対する)因果”として知られていたもの」とツイート。

 また、作家のオーウェン・ジョーンズもキャンセル・カルチャーは言い訳に使われているだけであり、キャンセル・カルチャーは意味のないものだとした。

「ウディ・アレンは映画を作り続けている。スカーレット・ヨハンソンはいまだに演技で数億円を支払われている。ローレンス・フォックスの最近のTVドラマは2ヵ月前だ。ジェナ・マーブルスのYouTubeチャンネルは残ってる。ジミー・キンメルは司会でいまだに年間1,500万ドル(約17億円)支払われている。“キャンセル・カルチャー”は意味のないものになった。大体の時に、“キャンセル・カルチャー”は非常に裕福で非常に力を持つ人々が、自分達が過去にその巨大で公のプラットフォームを使って言ったことが物議をかもした時に、自分達は被害者だというフリをする手段となっている」

 ※映画監督のウディ・アレンは養子だった娘が7歳の頃に性的虐待されたと告発。俳優のスカーレット・ヨハンソンは、映画『Rub& Tug(原題)』でトランスジェンダー男性の役にキャスティングされ、批判を浴び、降板した。俳優のローレンス・フォックスは、王室のメーガン妃は人種差別の被害者ではないと発言して批判された。YouTuberのジェナ・マーブルスは、数年前の動画で黒人差別であるブラックフェイスをし、アジア系に対する差別発言をしたことでYouTubeチャンネルを休止している。トーク番組司会者のジミー・キンメルは、90年代にブラックフェイスをしていた動画が批判を浴び、謝罪した。

「適切な指摘」、そして指摘から学ぶこと

 自身も俳優として活動し、批判の対象になったこともあるジャミーラ・ジャミルは、「表現の自由は、ヘイトに関わる自由を与えるものではないと理解することは非常に重要」としたうえで、「Cancel(キャンセル)」でなく「Call Out(指摘)」すること、批判の対象となった人物に学ぶ機会を与えることの重要性を、英Independentで意見した。

画像: 「適切な指摘」、そして指摘から学ぶこと

「人を批判する時は、それを批判として見るべきだと私は思う。指摘だと。でも私達は、彼ら(批判の対象になった人)が、本当にひどく法に触れていることか、そこから戻ってこられないほど人を傷つけることなどをしていないかぎり、社会にふたたび戻ってくることも許さないと言う必要はない」

 また、2018年に黒人女性の共演者が警察が探している泥棒に似ていると警察に嘘の通報をし、それを2020年に告発され、『Vanderpump Rules(原題)』から解雇されたスタッシ・シュローダーは、その後出演した米トーク番組『Tamron Hall Show(原題)』で、「特権を持つ人物として人生を生きてきました。これは私の失敗です。私が言いたいのは、私は自分を教育してこなかった。私が(社会を)知らなかったのは、私の責任です」と話し、教師を雇って人種差別について学んでいると明かした。そして彼女はこう続けている。

「私は何度も問題を起こしてきました。私こそが、私がこの状況に陥っている原因です。多くの人が、私にキャンセル・カルチャーの被害者であるかどうかについて焦点を当ててほしがっていると思います。しかし、私はまったくそう感じていません」

盛り上がりに参加しているだけ?

 いいねやオンライン署名などオンラインの世界でのアクティビズムはClicktivism(クリックティビズム)と呼ばれるけれど、批判をする人のなかには自分の意見があるわけではなく、ただ正しいことをしているとアピールしたいだけで批判に加わっている人も多いとされる。自分は社会的に正しいことをしているという美徳だけをアピールだけして実際には行動しないことはVirtue Signalling(美徳シグナリング)や、怠けるという意味のSlackと合わせてSlacktivism(スラックティビズム)と呼ばれる。

 しかしもちろん、このテーマにも議論がうまれる。例えば、2015年の夏にイギリスのプロテインブランドが、水着姿の女性モデルの写真に「ビーチでの身体は出来上がった?」とのキャッチコピーを使った広告を展開。女性に自分たちの体型を恥じさせるとして大きな批判を浴び、オンライン署名が立ち上がり、企業側は広告を取り下げた。

 批判の対象となるのは、多くが女性蔑視であったり、人種差別的であったり、セクシャリティを差別するもの。歴史的に長年抑圧されてきた集団は、声をあげることができなかったり、その声を無視されたりしてきた。そしてそういった軽度の差別が容認されることで、さらに深刻な差別を引き起こし、差別されている側が命を落とすこともある。

 しかし、どのような状況であっても誹謗中傷はしてはいけないこと。さらに、批判することが加速して優越感に浸るようになってはいけないと、アメリカのバラク・オバマ前大統領はObama Foundation summitで呼びかける。

画像: 盛り上がりに参加しているだけ?

「自分は潔白だ、障害に直面することはない、政治を分かっているといったような考えは、早く捨てたほうが良い。世界は散らかってるんだ。曖昧さは存在する。良いことをする人々にも欠点はある。みんなが闘っている人は、自分の子供を愛してるかもしれないし、君たちと共通点があるかもしれない。最近、若い世代の人々の間である雰囲気が広がっているのを感じる。そしてそれはSNSによって加速している。自分が変化を作る方法は、他の人に対して出来るだけ批判的であることであり、それをしていれば十分だというものだ。例えば、私が君が何かを正しくしなかっただとか、違う動詞を使ったということに対して、ツイートしたりハッシュタグを使ったりして、ふんぞりかえって良い気分になるんだ。『なぁ。俺がどれだけ意識が高かったか見たか?お前を指摘したんだぞ』ってね」

“行き過ぎ”はどこなのか?

 犯罪とも取れる発言や行動、対して誹謗中傷やデマなどは、誰であってもしてはいけないこと。しかし、これまで何十年も差別を受けてきた社会的集団が声をあげていることが多いのも事実。しかし、どこからが法で裁かれるほどなのかということすら曖昧であり、どこからが批判として行き過ぎなのかという問題に明確な答えはない。カリフォルニア大学の言語学教授であるアン・チャリティ・ハドリー氏は、米USA Todayにこう話す。

「社会はまだ、インターネットにおいて何が“行き過ぎ”なのかを模索しています。良いことのために使われたものが、兵器に変えられることもある。すべてのことが行き過ぎとなれる。表現の自由も行き過ぎになれますからね」

 そしてデンヴァー大学のエイプリル・アレクサンダー教授は、こう話した。

「説明責任を問う際にはSNSで声をあげなくてはいけない時があると、人々は時間をかけて学んだのです。もちろん表現の自由はあり、自分達の意見を言うことは許されています。しかしその声を使ったことで痛みを引き起こした時、私達はその痛みに取り組む必要があります」

(フロントロウ編集部)

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