ダコタ・ジョンソン、2世セレブだけど高校を卒業を機に自活
官能小説を原作とする映画『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』でヒロインを演じて一躍ブレイクし、その後の続編2作でも体当たり演技を見せたダコタ・ジョンソンは、すでにご存じの方も多い通り、母も父も著名な役者という裕福な家庭に生まれた2世セレブ。
映画『ワーキング・ガール』でゴールデン・グローブ賞のミュージカル/コメディ部門の主演女優賞を受賞した俳優のメラニー・グリフィスと、近年では映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』に出演した俳優のドン・ジョンソンを両親にもつダコタだけれど、経済的に自立したのは、高校卒業してすぐとハリウッドのお嬢様にしてはかなり早かった。
ダコタが両親のお金に頼らなかったのは、メラニーとドンの「学生のあいだは経済的に支援するけれど、学校に行かないなら支援はしない」という方針のため。
父のドンが、高校卒業を間近に控えたダコタと将来について話し合った際の親子の会話を最近出演したトーク番組『Late Night with Seth Meyers』で振り返った。
「高校生活が終わりに近づいた頃、ダコタと話をしたんだ。『カレッジを見学にいかないのかい? 』みたいな感じで聞いてみた。そうしたら、彼女は『ううん、私はカレッジにはいかないから』と答えたんだ」。
父に返した「ひと言」
ドンが「カレッジに行かないってことは、もう君は僕らからの経済的なサポートは受けられないってことだよ」と、進学しないなら援助はしないと告げ、これからどうやって生活していくつもりかと尋ねると、ダコタは、たったひと言こう返したという。
「大丈夫。そんな事、心配しないで」
母メラニーがドンとの2度目の離婚後(※)に再婚した、俳優のアントニオ・バンデラスが監督を務めた映画『クレイジー・イン・アラバマ』で10歳にして子役デビューしたダコタは、17歳でモデル事務所のIMGと契約。高校卒業後に大手タレント・エージェンシーのウィリアム・モリス・エージェンシーと契約し、俳優としてのキャリアを本格的に歩み始めた。
※メラニーとドンは、1976年に結婚したが6ヶ月後に離婚。1989年に再び結婚し、ダコタが生まれた。その後、1996年に再び離婚した。
エージェンシーと契約を結ぶ前から、将来は絶対に俳優として成功してみせると決意を固めていた様子のダコタ。
ドンいわく、ダコタは先述の会話の3週間後には、デヴィッド・フィンチャー監督によるSNSサイト、Facebookの創設者マーク・ザッカーバーグらを描いたヒット映画『ソーシャル・ネットワーク』への出演を決めてきたそうで、我が娘ながらあまりの行動力に驚いたことを明かしている。
家庭環境は複雑だったものの、セレブの子供だからといってダコタを経済的に甘やかさなかったメラニーとドンの毅然としたポリシーのおかげか、現在のダコタは、地に足のついた、驕りや気取ったところがまったくない親しみやすい人物だと評判。
その証拠に、ロサンゼルスの空港で働く職員がTikTokでこれまでに応対したセレブの態度を評価する動画を公開した際、ダコタがパスポートを忘れて空港に来てしまい、そのおかげで飛行機の出発時間を遅らせてしまったという衝撃のエピソードを披露したのだが、ダコタはうっかり屋さんではあるものの、とても礼儀正しく良い人だと説明。次に会った時、飛行機を遅らせた一件のことをイジると、一緒になって笑ってくれたと明かしていた。(フロントロウ編集部)