世界中で愛される『ピーターラビット』の裏には、ある1つの愛の物語がある。(フロントロウ編集部)

ビクトリア朝時代を生きたビアトリクス・ポター

 1902年に出版された『ピーターラビットのおはなし』は、これまでに世界中でシリーズ累計2億5,000万部の発行部数を誇る大人気絵本。いたずらっ子なウサギのピーターが生き生きと動き回る様子は、子供から大人まで多くの人から愛されている。

 そんなピーターラビットを生み出した作者のビアトリクス・ポターは、1866年にイギリスのロンドンに生まれた。アッパーミドル階級の出身である彼女の家庭では、犬やうさぎから、へびやこうもりまでを飼育しており、彼女は弟と一緒に生き物や自然の絵を描いていたそう。

画像: ビクトリア朝時代を生きたビアトリクス・ポター

ビアトリクス・ポターとノーマン・ウォーン

 そんな彼女が『ピーターラビットのおはなし』を出版した19世紀後半や20世紀初頭は、女性は働くべきではないという時代。出版社であるフレデリック・ウォーン社のオフィスへ出向く時にも、女性であるビアトリクスには付き添い人がいなければいけなかった。しかしそんななかでも、ビアトリクスはある人物と愛を育むことになる。

 それは、彼女の担当編集者だったノーマン・ウォーン。

 フレデリック・ウォーン社の創業者であるフレデリック・ウォーンの3人目の息子であり、ビアトリクスの創作をサポートしたノーマン。2人の周囲には常に家族や付き添い人がいたことから、ビアトリクスとノーマンが2人きりになる時間はなかった。

画像: ビアトリクス・ポターとノーマン・ウォーン

 しかしそれでも2人の間には愛が生まれ、1905年7月25日に、ノーマンはビアトリクスに手紙でプロポーズをする。ビアトリクスの両親は、“商売人”であるノーマンとの結婚に大反対となり、婚約が公にされることはなかった。

 そしてその1ヵ月に、ビアトリクスを悪夢が襲う。

 8月25日の朝、ビアトリクスの元に、ノーマンが病気であるという知らせが届く。そしてその日の午後、ノーマンはこの世を去った。37歳という若さでこの世を去った彼の死を引き起こしたのは、白血病だった。

生涯ノーマンへの愛を忘れることはなかったビアトリクス

 この出来事は、当然ビアトリクスに大きな影響を与えた。ノーマンが死去した後、彼女はノーマンの妹であるミリーと近しい関係を築いた。ノーマンの葬式の1ヵ月後には彼のお墓の元を訪れ、その周りに花を植えるために、ノーマンの兄の妻であるメアリーに花に関する相談をしている。

 その年の秋に彼女は、自分の収入を使って湖水地方に34エーカー(約4万2,000坪)の土地と家を購入する。湖水地方の家で過ごすというのは、ビアトリクスとノーマンが夢に描いていたことだとされている。

 ビアトリクスは、土地を購入するにあたって出会った弁護士のウィリアム・ヒーリスとその後1913年に結婚することになる。しかし1905年に知り合った2人は、1908年までは再会することはなかった。また、ビアトリクスは生涯、ウィリアムとの結婚指輪に加え、ノーマンとの婚約指輪をつけ続けたという。

(フロントロウ編集部)

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