ロバート・ダウニー・Jr.の父ロバート・ダウニー・Sr.が死去
マーベル映画『アイアンマン』や『シャーロック・ホームズ』シリーズなどで知られる俳優のロバート・ダウニー・Jr.の最愛の父で、おもに映画監督として手腕を振るったロバート・ダウニー・Sr.が85歳でこの世を去った。
ロバートはインスタグラムを通じて父の逝去をファンたちに報告。仲が良かった父を「ボブ・D」という愛称で呼んだロバートは、持病のパーキンソン病との闘いの末、米現地時間の7月6日に安らかに息を引き取ったという父の死について次のように綴った。
「安らかに眠ってください、ボブ・D・Sr.(1936~2021年)。昨夜父はパーキンソン病との過酷な闘いの末、睡眠中に穏やかに息絶えました。父は真の異端的な映画製作者であり、つねに楽観的な人物でした。僕の継母の計算によると、彼らは2000年間にわたって幸せな結婚生活を送ったようです。ローズマリー・ロジャース・ダウニー、あなたは聖人のような人。僕たちの心はあなたと共にあります」
ロバートは、いつもポジティブな視点を持ち続けたという父ロバートを”異端的な映画製作者”と称え、父の再婚相手である継母ローズマリーにも温かい言葉を送った。
父親っ子だったロバート
父ロバートは1960年代~1980年代にかけてたくさんの作品を手がけた売れっ子監督として知られ、ヒット作には白人が圧倒的優勢だったハリウッド映画界で成功を収めようとする黒人広告マンを主人公にした映画『Putney Swope(原題)』などがある。さらに、1985年から1989年までアメリカで放映された 人気SFテレビドラマシリーズ『トワイライト・ゾーン』でも3つのエピソードを監督したほか、『Word Play』というエピソードでは俳優としてゲスト出演も果たした。
いまや押しも押されもせぬハリウッドのトップスターとなったロバート(Jr.)は、5歳の頃に父の監督作『Pound(原題)』で映画デビュー。その後もいくつか父の作品に出演した。
ロバートの両親は13歳の時に離婚。その際、ロバートは母ではなく、父と一緒にニューヨークからカリフォルニアに移住した。
会社などに働きに出ている一般的な職種の父親たちと比べて、自宅で脚本などを書いていることが多かったというロバートの父。ほかの家庭の子供たちよりも一緒に過ごす時間が多く、会話も豊富だったことから、ロバートは自身が“パパっ子”だったことを認めている。
父ロバートは、当時まだ8歳だった息子にマリファナを与えるという親としては信じがたい行動に出ており、それがロバートが若くして薬物依存を患う一因になったと言われている。しかし、ロバートは、映画界を志す若者たちから絶大な支持を得ていた芸術家の父を尊敬していたといい、2014年の米Deadlineとのインタビューでは「父は変わり者たちやアーティストたちにとって、憧れの存在だったよ。(父の影響で)興味深いクリエイティブなキャリアへ進んだ人たちがたくさんいた」と語っている。
ロバートといえば、最近になり、それまでインスタグラムでフォローしていたマーベル作品の共演者たちを続々とアンフォローしてしまったことで話題に。今後はパーソナルな投稿は減り、オフィシャルな情報のみの更新となるのではと見られていたが、父への追悼はインスタグラムを通じて行なった。
ロバートは今年5月、長年の親友で自身のマネージャーを務めていたジミー・リッチ氏を亡くしたばかり。親友に続き、父を失った悲しみは計り知れない。(フロントロウ編集部)