ブルース・ウィリスが俳優引退を発表すると同時に、失語症の診断を受けたことを公表。過去には、同じく俳優のシャロン・ストーンやエミリア・クラークが、脳疾患の後遺症で失語症になったことを明かしている。(フロントロウ編集部)

ブルース・ウィリスが失語症の診断を受けたことを明かす

 フロントロウでお伝えしたが、映画『ダイ・ハード』シリーズや『アルマゲドン』、『シックス・センス』など、これまでに数々の大ヒット映画に出演してきた俳優のブルース・ウィリスが、一線を退くことが明らかになった。俳優引退は、現在抱えているいくつかの健康問題に加え、失語症の診断を受けたことがきっかけで決断されたものだという。ちなみに、失語症に関して、ブルースの症状がどれくらい進行しているかは現時点では明かされていない。

画像: ブルース・ウィリスが失語症の診断を受けたことを明かす

失語症とは

 失語症は言語障害の一種で、脳が損傷してしまったことが原因で聴く・話す・読むといった機能が失われた状態を指す。

 具体的には、相手の話を理解できない、何か言おうとしても言葉が出てこない、言いたい言葉を間違えてしまう、言葉が上手く発音できない、相手の言うことを真似できない、文字や文が読めない、文字の意味が分からないといった症状があり、日常生活において意思疎通が難しくなってしまうこともある。

過去に失語症を公表した4人のセレブ

 ブルース以外にも過去に複数のセレブが失語症を公表している。

シャロン・ストーン

画像: シャロン・ストーン

 映画『氷の微笑』や『カジノ』などの出演作で知られる俳優のシャロン・ストーンは、2001年9月、43歳(当時)のときに脳動脈瘤を患い、その後、約2年間にわたって失語症に悩まされたこと公表している。

 のちに、シャロンはそのときのことを振り返って、「脳卒中の後遺症で吃音になり、2年間、字が読めなかったんです。屈辱的な時間を過ごしました。ドラマ『ロー&オーダー』に出演したときは、セリフに苦労しました。克服したからこそ、今こうしてこの話をすることができます。自分の語彙力を最大限に発揮して話をすることができてとても気分が良いです」と、米The Hollywood Reporterのインタビューで語っている。

エミリア・クラーク

画像: エミリア・クラーク

 2011年、当時出演していたドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』の第1シーズンの撮影終了後、次のシーズンに向けてトレーニングをしていた際に突如激しい頭痛に襲われた俳優のエミリア・クラークは、搬送先の病院でクモ膜下出血と診断され、手術を受けた。

 それから約8年が経った2019年に初めてその事実を公表したエミリアは、「脳の外傷が原因で失語症という症状に悩まされていました。(中略)どん底まで落ち込んだときは、もう終わりにしてしまいたいとすら思いました。病院のスタッフに『死なせてほしい』とお願いしたこともあります。私の夢であり人生のすべてでもある役者という仕事は、言語やコミュニケーションが中心です。それを失ってしまったときは、絶望しました。幸い、ICUに移ってから約1週間ほどで失語症は治りました。私はまた話せるようになりました」と、米New Yorkerに寄稿した手記に綴っている。

ランディ・トラヴィス

画像: ランディ・トラヴィス

 音楽界で最も権威ある賞と言われるグラミー賞を過去7回受賞しているカントリーシンガーのランディ・トラヴィスは、ウイルス性心筋症のため入院したあと、2013年に脳卒中を発症。その後遺症で話す能力、言葉を理解する能力の両方を失った。

 現在も失語症との闘いは続いており、2019年に出版した回顧録『Forever and Ever, Amen: A Memoir of Music, Faith, and Braving the Storms of Life(原題)』で、「私の場合、脳は機能しており、(妻の)メアリーの言うことは理解できるのですが、文章らしい返事はできませんでした。家に帰った当初は、ほとんどしゃべれませんでした。『A』という文字が言えるようになるまで、3カ月間、言語療法を受けました。それから1年半ほどで、『うん(Yup)』『いいえ(Nope)』『バスルーム(Bathroom)』が言えるようになりました。『愛してる(I Love You)』やそのほかのフレーズもいくつか言えるようになりましたが、(言える言葉は)それほど多くありません。このすべてが、私にとって非常に悔しいことでした。自分の体という名の殻に閉じこもっているような感覚に陥りました」と、失語症を患ってから現在にいたるまでのプロセスや心境を明かしている。

ディック・クラーク

画像: ディック・クラーク

 音楽番組『American Bandstand(原題)』やクイズ番組『Pyramid(原題)』の司会を務めた有名司会者のディック・クラークは、2004年に脳卒中で倒れ、右半身の麻痺と失語症が残った。その年、ディックは毎年恒例だったアメリカの国民的年越し番組『Dick Clark's New Year's Rockin' Eve(原題)』を欠席せざるを得なくなり、2005年に復帰したときも、まだ思うように話ができない状態であったが、「昨年、脳卒中で倒れました。その結果、私はひどい状態になりました。歩き方や話し方を学び直す必要がありました。長く、厳しい闘いでした。私のスピーチは完ぺきではありませんが、少しずつ前進しています」と番組で語っている。

 ちなみに、2012年にディックが亡くなったあとも、彼の名前を冠した『Dick Clark's New Year's Rockin' Eve』は続いており、現在は音楽オーディション番組『アメリカン・アイドル』などの司会で知られるライアン・シークレストがホストを務めている。

(フロントロウ編集部)

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