ファン垂涎のドキュメンタリー『ミーティング・ザ・ビートルズ・イ・インド』がついに日本公開!
インドでザ・ビートルズに会ったーー。
9月23日より全国順次ロードショーする映画『ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド』はそのタイトルどおり、23歳のときに失恋による傷を抱えてインドのアシュラム(僧院)の門を叩いたポール・サルツマン監督が、偶然その時期に同じアシュラムを訪れていたジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人と一緒に瞑想を学んだ奇跡の8日間について初めて明かすドキュメンタリー。当時、ビートルズの許可を得て彼らとの日々をカメラに収めた監督は、帰国後その写真を地下室に保存したまま、32年後に娘のひと言で思い出すまでその存在をすっかり忘れていたという。
ビートルズは超越瞑想運動の創始者マハリシに招かれて訪れたインドで、代表作にして最高傑作と謳われるアルバム『ザ・ビートルズ』(通称『ホワイト・アルバム』)の楽曲の多くを作ったとされている。映画では、そんなビートルズの最高傑作『ホワイト・アルバム』誕生に遭遇した監督が、ビートルズ研究の第一人者マーク・ルイソンと共にインドを再訪。超越瞑想の推奨財団の創設者でもあるデヴィッド・リンチ監督や、ナレーションを担当したモーガン・フリーマンの助けを借りながら、瞑想のこと、そして本邦初公開となるビートルズの貴重な未公開写真や関係者からの貴重なインタビューを通して、ここでしか見られないビートルズの新たな素顔を明かす。
ポール・サルツマン監督がビートルズや映画製作の秘話を明かす【インタビュー】
――今回の映画はいろいろなジャンルの大物が出演しているため、映画製作にGOサインが出るまでにさまざまなハードルを越える必要があったと思います。どのようなプロセスで進めていったのでしょうか?
サルツマン監督:まず一番大変だったことは、簡単に大物には会えないということですね。彼らには、マネージャーやエージェントがいますが、必ずしも本人に伝えてくれるとは限らない。まず会うことさえも難しいですが、“本人たちに自分の意志を伝えること”が一番大事な方法です。人によっても違いますが、まずはモーガン・フリーマン。実は私は1965年に差別をなくす市民運動をしていたことがあり、そのことに彼が非常に興味を持ってくれて、過去に私の2本の作品に出演してくれたことがありました。そのため、彼のLAのエージェントと連絡を取って今回はナレーションとして参加していただくことが出来ました。次にデヴィッド・リンチの場合は、手掛かりがなかったので探してくれる所に頼みました。色々駆使してやっとの思いで、彼のパーソナルアシスタントにコンタクトが取れました。電話では、ただザ・ビートルズの話をするのではなく、“瞑想”に関してこういうものが作りたいと話したら、相手はすぐに理解を示してくれました。そして、パリにいるデヴィッド・リンチ本人にメールで一生懸命に思いを伝えたのです。例外的にすぐに返事を頂いて、パーソナルアシスタントには「普通、次の日に連絡来ることなんてないのに、リンチがすぐに返事してくれて驚いたよ。良かったですね」と言ってくれました。最終的に、リンチは私にも凄く優しく接してくれて、時間なども気にすることなく、素敵な時間を一緒に過ごすことが出来ました。最後にバンガロー・ビル。ハワイに住んでいたのですが、彼もたくさん探して見つけ出しました。これから撮影が始まるというときに、私は「ところで、あなたは“バンガロー・ビル”のモデルということで、たくさんインタビューされたんでしょうね」と尋ねたら、「いや、初めてです!」と言われて非常に驚きました(笑)。つまり目的をしっかりと説明して、どういう意図で私が存在していて、また相手に納得してもらえるのかをしっかり考えて伝えることができれば、それが大物であろうと一般の方であろうと、ちゃんと答えてくれているのです。つまり、そこまで到達する道のりをどうやってクリアするのかということが一番大事なのです。
――ビートルズのメンバー全員と過ごせるなんてすごいことですよね。あなたとの関係においてメンバーそれぞれはどのような存在だったか教えていただきたいです。
サルツマン監督:ジョージ・ハリスンは、私にとって一番話しやすい存在でした。とにかく素晴らしい話がたくさんできましたし、地に足がついていて、とても聡明で優しい人です。ジョン・レノンとも、もちろん楽しい会話がたくさんできました。彼はユーモアのセンスが抜群。楽しそうに相手をからかって、人を傷つけることはないけど、ストレートな表現ではなく少しひねった冗談を言う人でした。恐らくメンバーの中で、一番頭のいい、スマートな人だったと思います。ポール・マッカートニーは、最も外交的な人。誰とでも仲良くなれるタイプで、誰にでも優しく接することが出来る人でしたね。4人の中では一番付き合いやすい人だったと思います。普通はジョージが一番大人しいと言われているのですが、あの時は、リンゴ・スターが一番口数少ない印象です。とても心の優しい持ち主だったと思います。彼はいつも16ミリのカメラを持っていて、 インドでの経験を作品として撮りたいという意志を持っていました。ただ撮っていると自分自身が入らないので、2日間彼からカメラを渡されて「撮ってほしいんだ」と言われていました。カメラで撮った後に、木の下で本を読んでいたらリンゴが、ザ・ビートルズの日々が収められた100フィートくらいの長さのフィルムを私に渡してくれて、「これはいつか、きっと意味のあるものになると思う。だから、君にあげるよ」と言ってくれました。それで今回、必死になって探したんだけど、まだ見つからなくて...その宝物がどこにいってしまったのか…!
――マハリシのもとを訪れる理由はそれぞれ違います。あなたの目から見て、ビートルズのメンバーはそれぞれどのような目的で来ていて、マハリシの教えはその心にどれほど届いているように見えましたか?
サルツマン監督:彼らが何故来たのか、プライベートなことですし、それについて話したこともなかったので、私には分かりません。私が言えることは、ジョージやジョンは瞑想することで多くのものを得て、帰ったと思います。ポールに関していえば、知ろうとしていたという感じかな。リンゴは、家族で来ていたこともあって、みんなについていくように行動していました。それぞれ何かを得て帰ったと思いますが、私には計り知れないです。
――インドでの経験で「人生が変わった」とおっしゃっていますが、その写真を30年越しに発見したことは、あなたの精神にどのような影響を与えましたか?
サルツマン監督:32年越しの今、どのような影響を与えたのかを語るにあたって、当時のインド滞在が僕の人生にどれだけ影響を与えたのか、触れさせてください。その繋がりでご説明させていただければと思っています。インドに行ったとき、今まで抱えていたストレスも消えていき、まさに自分の人生の中の何かが開くような感覚を経験しました。例えば、アメリカ人やカナダ人と比べると、インドの方はいつも心を開いてくださっている感じがします。そしてインドでは、色彩や音楽、芸術や美術、工芸、踊り、そういった全てのものが創造性を豊かにしてくれ、インパクトを与えてくれました。今回の質問は、この経験の“続き”だと思っています。つまり、インドで見つけた創造性や瞑想、精神的に与えてくれたものは全て、今も“継続”しているのです。
――今回は娘さんのひと言で写真の存在を思い出したということでしたが、そんな娘さんを最も感心させたインドでのエピソードは何でしょうか?
サルツマン監督:ザ・ビートルズは7週間という短い期間で48もの曲を生み出しました。インドでの経験が、それだけの創造性を刺激したことに感心していました。この48曲というのは、映画の中でマーク・ルイソン(ビートルズ研究の第一人者)が、アシュラムで作られたものは30曲くらいしかカウントできないと話しています。しかし、当時ザ・ビートルズが所有していたアップル・フィルムズの責任者に会った時に、「彼らはインドでどのくらいの曲を作ったんですか?」尋ねると、彼は「“正確な数を知っている。48曲だ」と答えていました。根拠も聞くと、インドから帰国したポールが48曲作ったと言っていたと話しています。つまり、娘は瞑想というものがどれほど人間に大きな力を与えて、創造性豊かにしてくれるのか。劇中でデヴィッド・リンチが「創作のアイデアを魚にたとえると、大きな魚を釣るには、こういう場所で、創作の瞑想状態に入る必要がある」と話していますが、ザ・ビートルズの実績は、それが実際に形になっているということに一番感動していました。
ポール・サルツマン監督と行くインドツアーも募集中!
ポール・サルツマン監督は映画『ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド』の公開に合わせて、「人生に多くの喜び、創造性、魂を与えてくれた」と語るインドを監督自身と巡る17日間のツアーを2023年に決行する。
サルツマン監督やザ・ビートルズのメンバーたちが経験した、インドでの“人生を変える旅”。詳細は英語のみだが、旅行代理店Bestway Tours & Safarisと監督の公式サイトで問い合わせ可能。※フロントロウではこちらの情報に関するお問い合わせは受け付けておりません。
Bestway Tours & Safaris:www.bestway.com/tours/pvt/paul-india/
ポール・サルツマン監督サイト:www.thebeatlesinindia.com/see-the-beatles-india/
(フロントロウ編集部)