※この記事には、映画『ハリー・ポッターと死の秘宝』のネタバレが含まれます。
アラン・リックマン、その10年の思い出
舞台俳優として実力を鍛え、映画『ダイ・ハード』や『ラブ・アクチュアリー』といった人気作品への出演でも有名なアラン・リックマンには、1992年からつけていた日記が26冊あった。2016年に死去するまで書かれていた日記では、文字だけでなくイラストが描かれたり、色がつけられたりもしていた。そんな彼の日記を抜粋した本『Madly, Deeply: The Diaries of Alan Rickman(原題)』が10月に発売となる。そしてその一部を、英The Guardianが公開。なかには、彼がセブルス・スネイプを演じた『ハリー・ポッター』シリーズの思い出も多く詰まっていた…。
2001年2月19日には、1作目の撮影の思い出として、「『ハリー・ポッター』最終日。最後に、フクロウのヘドウィグがグレートホールを飛び、ニンバス2000をハリーの膝に落とした。[ヘドウィグの]トレーナーのデイヴは心配で寝ていなかったが。シンプルで素晴らしいことたち」と綴っており、ファンの頭にも懐かしい思い出がよみがえってくる。
しかしじつは、彼はスネイプ役を降りようと考えていたと見られる。2002年12月4日には、「[エージェントの]ポール・リオン・マリスと『ハリー・ポッター』を辞めることについて話した。彼はそうなると思っている。しかしふたたび話がまとまらない。『ハリー・ポッター』はもうないと繰り返しているが、制作陣はそれを聞きたがらない」と書かれているのだ。
しかし、心の中にある迷いは別として、撮影にはプロフェッショナルな姿勢で臨んでいたアラン。2003年7月30日には、「[監督の]アルフォンソは静かに私に激怒していた。それを長引かせるには、私は彼を好きすぎるため、セットの外で待ち、解決した。彼はよくある『ハリー・ポッター』のプレッシャーを感じていて、俳優たちよりも先にカメラのリハーサルを初めていたが、子どもたちには監督の指示が必要だ」と、俳優として監督を理解し、そして未成年だったダニエル・ラドクリフ、エマ・ワトソン、ルパート・グリントのことも気に掛ける思いを記している。さらに、スネイプ先生らしいこんな思い出も。
「9月28日。『ハリー・ポッター』。ダニエル&ルパートの頭を叩いた。体罰について大騒ぎになるだろう」
マクゴナガル先生役のマギー・スミスとアランは仲が良かったため、「11月11日。ダンブルドアの部屋でマギーと…。私のスピーチは意味不明だった。そのため、大爆笑の嵐。さらにマギーの『ラヴェンダーの咲く庭で』のプレミアでの話。“ミリアム・マーゴリーズ(※)はスパンコールを着たシャーマン戦車みたいだった”」という楽しい思い出話も。
※『ハリー・ポッター』シリーズのスプラウト先生であり、映画『ラヴェンダーの咲く庭で』でもマギーと共演した。
しかし、その後もアランはスネイプ先生を演じながらも、辞めるという選択も持ち続けたよう。気持ちに変化があったのは、『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』でのことだったと見られる。2006年1月30日の日記で、彼はこんな気持ちを書き記している。
「ついに、『ハリー・ポッター5』にイエスと言った。気持ちはとくに上がっても下がってもいない。“見届けろ。これはお前の物語だ”という思いが勝つ」
一方で彼は日記で制作陣への辛辣な批判をたびたび綴っており、プロデューサーのデヴィッド・ハイマンとデヴィッド・バロン、『不死鳥の騎士団』以降を担当した監督のデヴィッド・イェーツへの不満は大きかったよう。「7月9日。『ハリー・ポッター6』。ニューヨーク。自然史博物館でのパーティー。たくさん食べ、それ以上に飲みたいという欲求は、3人のデヴィッドの頭を近くの壁に打ちつける必要性と同等のレベル。キャラクターの成長や素晴らしい影響は得た(見事だ)。しかし物語はどこだ????」とまで書いている。
しかし、さすがの彼も『死の秘宝』の撮影では感慨深くなっていたよう。「[2009年]11月26日。スネイプの死。10年近くが経った。2人の人物のおかげだ…」「デヴィッドに言ったことがある。これは壮大で、日本的だと」との思い。
そして2010年の撮影最終日、2011年のプレミア上映日には、このような思いを綴っていた。
「1月14日。まったく眠れなかった夜の後、朝の6:30に迎えがきた。シーン350。もしくは…、セブルス・スネイプの最後の呼吸。10年の付き合いになるダン、エマ、ルパートとともにいる。(エマはブラウン大学の休暇中)。ナギニの血で私の喉は血まみれだ。3人は眉をひそめ、荒く息をしている。この月日における特別なシーンを思い出すのは難しい。なぜなら、判断は現場ではなく会議室で決められてきたからだ。私たちは何をなぜ考えているのかを[監督の] デヴィッド・イェーツが(時には物語を語りながら…)話したとおりに聞き、そこに少しのクリエイティビティが入ってくる」
「7月7日。『ハリー・ポッター7』パート2。すべてが終わった。1時間ほどかけてトラファルガースクエアへ。そこに着いたら、レッドカーペットだらけだった。1つのスクリーン、プラットフォーム、インタビュアー、そして数千人が“スネイプ、スネイプ、セブルス・スネイプ…”と叫び歌っていた。夜8時の映画のためにレスタースクエアにカーペットが敷かれた。私は、映画は見るには落ち着かないと思った。スネイプの物語を語るためには途中を変える必要があり、カメラは集中力をなくしたから。しかし観客はとても満足していた」
アランの私的な日記からは、俳優としての彼のプロフェッショナルさや、子役たちを見守った大人としての彼が見えてくる。その他にも、リーアム・ニーソンと食事へ行った日のことや、『ラブ・アクチュアリー』の思い出など、映画好きなら胸が熱くなる内容が盛りだくさん。日本での発売は未定だが、読める日を待ちたい。
(フロントロウ編集部)