マライア・キャリーやセリーヌ・ディオンを圧倒する歌声を持ち、ビヨンセやレディー・ガガのキャリアに影響を与えた絶対的歌姫、ホイットニー・ヒューストン。最高のエンターテイメントと絶賛の映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』の題材になっているホイットニーの何がスゴかったのかを解説。

「ジャンルと人種の壁」を歌って壊した女性

画像: 「ジャンルと人種の壁」を歌って壊した女性

 1980年代には多くの黒人アーティストが活躍していたが、“黒人のジャンル”とされたR&B、HIP-HOP、ソウルなどのチャートでの活躍に限定されていた。そんな時代にデビューした22歳のホイットニーは、デビューアルバム『ホイットニー・ヒューストン』で全米アルバムチャート1位を14週にわたり獲得。

 黒人女性として初めてMTVの視聴者に広く支持され、ティーン誌Seventeenの表紙も飾り、まさに国民的スターとなったホイットニー。“メインストリームのメディアに黒人の女性スーパースターが登場する”という状況を初めて作ったホイットニーは、黒人女性シンガーたちのために扉を開けただけでなく、モデルをはじめ、多数の業界で活躍する夢を黒人女性たちに与えた。

画像1: ホイットニー・ヒューストンは何がスゴかった? アメリカ初の国民的な黒人女性スーパースター

「私が幼い頃からそばにいて、夢を見るのはどんなことなのかを教えてくれた女性」ーアリシア・キーズ、ABC Newsのダイアン・ソイヤーに語って

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「あのような偉大なレベルに到達して壁を越えることができる才能を持った彼女は、非常に特別なアーティストであり、生き物でした。彼女はさらに、グローバルな方法で世界に影響を与えることができた。それは幼い私にとって、とても刺激的なことでした。夢と希望を与えてくれたのです」ーハル・ベリー、Inquirerに語って

デビュー3枚目のシングル「How Will I Know」はカラフルなMVが10代を中心としたMTV視聴者に支持され、ホイットニーはMTVビデオ・ミュージック・アワードを初受賞。

“ザ・ヴォイス”と呼ばれる歌声で、多くのシンガーの歌い方を変えた

画像: 1991年スーパーボウルでのパフォーマンスは史上最高の国歌斉唱と未だに称えられている。

1991年スーパーボウルでのパフォーマンスは史上最高の国歌斉唱と未だに称えられている。

 “ザ・ヴォイス”と呼ばれたホイットニー・ヒューストンの歌声は、あのマライア・キャリーとセリーヌ・ディオンが「初めて聴いたときに魅了された」「信じられないような歌声」とそれぞれ圧倒されるほど唯一無二のもの。ホイットニーを見てヴォーカル・レッスンを受けることに決めたピンクや、ホイットニーを通して“歌えることと歌い方を知っていることの違い”を知ったジェニファー・ハドソンなど、ホイットニーの存在はのちの多くのシンガーの歌い方にも影響を与えている。

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「彼女のようになりたかった。彼女の歌声は完璧。力強いけど、落ち着く。ソウルフルでクラシック。彼女のビブラート、音程、コントロールも(完璧)」―ビヨンセ、プレスリリースで語って

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「いつもホイットニー・ヒューストンのような歌声が出したいと思っていた」―アデル、VH1で語って

キャリア初の全米シングルチャート1位とグラミー賞をもたらした「Saving All My Love For You」。一途な愛を歌ったこのキャリア2枚目のシングルから7曲連続で全米1位を獲得。

映画『ボディガード』で歴史を作り、女性たちのギャラを押し上げた

画像: 映画『ボディガード』への出演は、ケヴィン・コスナーからのラブコールで実現した。

映画『ボディガード』への出演は、ケヴィン・コスナーからのラブコールで実現した。

 1992年の映画『ボディガード』で女優デビューを果たしたホイットニー・ヒューストンは、サントラのために多数の新曲を収録。このサントラは未だに史上最もヒットしたサントラ1位に輝いていて、劇中歌「I Will Always Love You」は史上最も売れた女性ソロアーティストのシングル*として現在も君臨している。そして映画は当時の歴代ヒット映画トップ10にランクイン。その後多くの製作者が同じ成功を夢見て映画とサントラを作ってきたが、未だにホイットニーの成功は唯一無二のものとなっている。

 1996年の映画『天使の贈りもの』では、当時の黒人女性としては最高額の1000万ドルで契約。ホイットニーがここまでギャラを上げたことは、ハル・ベリーをはじめとした後の黒人女性のギャラの相場に大きく影響したと言われている。

*フィジカルセールス

画像: 映画『天使の贈りもの』は当初ジュリア・ロバーツが候補にあがっていたが、デンゼル・ワシントンの強い願いでホイットニー・ヒューストンにオファーされた。

映画『天使の贈りもの』は当初ジュリア・ロバーツが候補にあがっていたが、デンゼル・ワシントンの強い願いでホイットニー・ヒューストンにオファーされた。

卓越したアレンジ力の才能も持ったホイットニー。「I Will Always Love You」も実はカントリーシンガーのドリー・パートンの同名曲をホイットニー流にアレンジしたもの。

クィアアンセムを生み出したLGBTQ+アイコン

画像: オフィシャルデビュー前の1982年、ホイットニー・ヒューストン初のプロカメラマンとの写真撮影より。

オフィシャルデビュー前の1982年、ホイットニー・ヒューストン初のプロカメラマンとの写真撮影より。

 ホイットニー・ヒューストンがデビュー当時女性と交際していたことは、映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』でも描かれる。本人はセクシャリティについて詮索されることを嫌ってきたが、ジェンダーフリーな歌詞で、“愛してくれる誰かと踊りたい”と歌うサビで知られる曲「I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」はクィアアンセムとして支持されるなど、LGBTQ+アイコンであることに変わりはなかった。

 晩年はLGBTQ+コミュニティとの距離も縮まり、1999年にはNYのプライドパレードでサプライズパフォーマンス。2000年にはLGBTQ+雑誌Outで「あなたが誰と寝ていようが私は気にしない」と言ってLGBTQ+コミュニティへの支持を表明した。

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「彼女は何年も前から私のヴォーカル・アイドル。(「Born This Way」)を書いたときも、彼女の歌声を思い浮かべました。(中略)もしグラミー賞を受賞したらホイットニーに感謝しようと思っていました」ーレディー・ガガ、グラミー賞受賞スピーチでホイットニー・ヒューストンの名前を出した理由をライアン・シークレストの番組で聞かれて。

「I Wanna Dance With Somebody」は全米・全英を含む世界15ヵ国以上で1位を獲得し、ワールドワイドなダンスソングとして成功した。

80年代と90年代を代表するファッションアイコン

画像1: 80年代と90年代を代表するファッションアイコン

 80年代と90年代は音楽だけでなくファッションでもトレンドセッターだったホイットニー・ヒューストン。スーツ、レザージャケット、ショルダーパッド、スパンコールと、そのスタイルはファッショントレンドのメドレーのよう。

画像2: 80年代と90年代を代表するファッションアイコン

 さらに、死から約10年経った2022年にMAC Cosmeticsからスペシャルラインが発表されるくらい、多くのアイコニックなヘアメイクも見せ、ビジュアル面でも時代を代表するアイコンだった。

画像3: 80年代と90年代を代表するファッションアイコン

1992年の「I'm Every Woman」は90年代の女性にとってのエンパワーメントソングとして愛された。

成功をほかの女性のために使った女性

画像: マライア・キャリーと1998年MTV VMAにて。

マライア・キャリーと1998年MTV VMAにて。

 90年代を代表するエンパワーソング「I’m Every Woman」をヒットさせたホイットニーは、マライア・キャリーとの“女性同士の対立”を作り出そうとするメディアをピシャリとたしなめるなど、女性をサポートする女性だった

 役者として成功すると、今度はプロデューサーとして多くの映画を製作して黒人女性たちを主演に起用して、若い女性たちのキャリアをバックアップ。1997年のテレビ映画『シンデレラ』では、まだ若手だったブランディに主演を任せ、自身はフェアリーゴッドマザー役で作品の知名度をあげることに尽力。映画は米ABCで約20年ぶりに高い視聴数を記録し、エミー賞ノミネートも達成。ブランディはキャリアを大きく躍進させた。

画像: テレビ映画『シンデレラ』のプレミアにて、ブランディとホイットニー・ヒューストン。

テレビ映画『シンデレラ』のプレミアにて、ブランディとホイットニー・ヒューストン。

画像6: ホイットニー・ヒューストンは何がスゴかった? アメリカ初の国民的な黒人女性スーパースター

「私にとって彼女は夢。私に『できるんだ!』って初めて思わせてくれた人」―ブランディ、VH1 Divasのレッドカーペットにて


 ポピュラー・カルチャーを大きく動かしたホイットニーのレガシーは、未だに多くのアーティストのなかに宿っている。そんなホイットニーの人生を多くのファンが高く評価する形で描き、“劇場がステージになる”と謳われている映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』は12月23日公開。観たら絶対にベスト盤が欲しくなる同作。同タイミングで、世界初DVD化4曲/日本初DVD化3曲を含む全33曲のミュージック・ビデオを収録した貴重なMV集付き最新ベスト盤『ホイットニー・ヒューストン|ジャパニーズ・シングル・コレクション -グレイテスト・ヒッツ-』が発売されているので合わせてチェックしてほしい。

<リリース情報>
ベストアルバム
『ホイットニー・ヒューストン|ジャパニーズ・シングル・コレクション -グレイテスト・ヒッツ-』
3枚組<2CD+DVD> SICP31591~31593  歌詞・対訳・解説付
特別価格¥4,400(税抜価格¥4,000)
2022年12月21日(水)発売
代表曲・ヒット曲を今すぐ再生

世界初DVD化4曲/日本初DVD化3曲を含む全33曲のミュージック・ビデオを収録した貴重なMV集付き最新ベスト盤。

劇場公開映画
『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』
12月23日 (金) よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国の劇場にて公開
映画公式サイト
サウンドトラックはコチラ

画像7: ホイットニー・ヒューストンは何がスゴかった? アメリカ初の国民的な黒人女性スーパースター

映画館が<最高のステージ>になる!『ボヘミアン・ラプソディ』の脚本家が新たな音楽映画を製作。歌姫ホイットニー・ヒューストンはいかにしてスターダムを駆け上がり、<グレイテスト・ソング>を生み出したのか?

ホログラムコンサート
『ホイットニー・ヒューストン ホログラムコンサート』
2023年1月26日~28日 東京
2023年2月11日~12日 名古屋
2023年3月25日~26日 大阪
公式サイト

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ホログラムで蘇ったホイットニー・ヒューストンが、生バンドや、ダンサーたちとともに名曲の数々を歌い上げる。これまでラスベガスやイギリスなどで上演され、地元ファン/メディアから大絶賛されたホログラムコンサートが待望の日本初上陸!

(フロントロウ編集部)

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