33歳になった1974年にロンドンにSEXというブティックをオープン。その数年前の1971年までは小学校の教師だった。写真は1982年にロンドンで撮られたポートレイト写真。
当時のパートナーであるマルコム・マクラーレンがマネージャーを務めていたセックス・ピストルズへの衣装提供を通して、知名度を拡大。写真は、ヴィヴィアン・ウエストウッドが参加したセックス・ピストルズのライブより。
ヴィヴィアン・ウエストウッドが立ち上げたファッション学校の生徒だったアンドレアス・クロンターラーと恋に落ち、45歳になった1992年に結婚。ジョイントコレクションを発表するなど、公私共のパートナーだった。
ロンドンでのVivienne Westwood AW20/21のプレゼンテーションにて。“I Love Crap(くそなものが大好き)”と描かれた缶バッジを指さして。
ファッションショーではいつも、明るく、元気で、カラフルなヴィヴィアン・ウエストウッドがみんなをリードしていた。
バックステージではこんなシリアスな表情を見せることも。
社会にポジティブな変化を与えている人に贈られるSwarovski Award for Positive Changeを2018年に受賞したときには、トロフィーを持っておふざけ。
スーパーモデルのナオミ・キャンベルとはナオミが若手モデルの頃から仲良し。
公式アカウントで最初に死を伝えた時のメッセージに「デザイナー&アクティビスト」という肩書が添えられたように、社会を良く変えるためのアクティビズムをライフワークのひとつとしていたヴィヴィアン・ウエストウッド。とくに気候変動問題には注力していて、気候変動と闘い熱帯雨林を守る団体Cool Earthのアンバサダーを務めていた。
2020年にロンドンでのロックダウンが解除された直後には、アメリカの戦争犯罪を告発したジュリアン・アサンジのアメリカへの送還に抗議するために、オールド・ベイリー刑事裁判所の前に巨大な鳥かごを吊り下げるデモ活動を行なって話題を集めた。
(フロントロウ編集部)