編集部のアンテナがビビビッと反応した映画・映像作品を、独断と偏見込みで紹介する連載企画『編集部の推し映画深読みレビュー』。第三弾は、インド版リアル『ビリー・エリオット』として世界中の映画賞を席巻している感動のドキュメンタリー『コール・ミー・ダンサー』です。(Text:kagura)

 Netflix映画『バレエ:未来への扉』のモデルにもなった、18歳でダンスに目覚めバレエの虜になった遅咲きのインド人ダンサーが、年齢など様々な障壁を乗り越え世界を舞台に大きく花開いていく様子を追ったドキュメンタリーを、FRONTROWならではの視点でレビューします。

『コール・ミー・ダンサー』あらすじ

 ムンバイの大学生マニーシュは、ある一本の映画に出会ったことからストリートダンスに興味を持ち、独学でダンスの腕を磨いていった。ダンス番組のオーディションを勝ち抜き、テレビで注目を浴びたことをきっかけに、出演者からダンススクールに通うことを勧められる。

 将来は安定した仕事に就けるようにと願っていた両親から反対されつつも、門扉をたたいたダンススクールでバレエを教えるイェフダと出会い、マニーシュはバレエにのめり込んでいく。優れた運動能力とたゆまぬ向上心を持つマニーシュに、イェフダも必死で応えるが、バレエダンサーとして活躍するには、マニーシュは年を重ねすぎているという残酷な現実に直面することになる…。

夢 VS 年齢:年齢を理由に諦めない人生

 マニーシュが体現している今作のテーマは、「何歳になっても努力によって夢は叶えることができる」ということ。

 24歳で憧れのバレエダンサーにはなれない、という残酷な事実を突きつけられたマニーシュ。彼の場合、肉体的な面での年齢の制限ではあるが、一種のエイジズムに直面したのだった。エイジズムとは、年齢に対する偏見や固定観念、それに伴って起こる差別のことで、世界的には、性差別(セクシズム)、人種差別(レイシズム)と並ぶ、大きな差別問題の1つになっている。

 イェフダにダンスの才能を見出されたマニーシュは、当時21歳。同じ頃、ダンサーとして天賦の才能を持った14歳の少年・アーミルもイェフダの前に現れる。イェフダは、二人をライバル関係において切磋琢磨させるため、二人一緒に個人指導をするようになる。

 イェフダの狙い通り、二人はお互いに高め合うようにして通常9年かかるトレーニングを3年で終わらせ、アーミルはその生まれ持った才能を持ってロンドンの名門バレエ学校へ見事入学を果たす。取り残されたマニーシュは既に24歳で、年齢的にもうバレエダンサーになることはできない、という現実に向き合うことになる。

 もし自分がマニーシュの立場だったら、アーミルを成長させるために道具として使い捨てられたんだと、いじけて自暴自棄になり夢を諦めていたのではないかと思うが、マニーシュは決してそうはならなかった。

夢を叶える人の本質とは?

 最近は流石に「もうこの歳なんだから、そろそろこうしなさい」と、面と向かって言う人は多くはないかもしれない。しかし、どちらかというと個々人が「もう自分は◯歳だから、こんなことはもう無理かも」と、周囲の考えや視線を勝手に推し量って、自分自身で制限をしてしまう人が多いのではないだろうか。それ程無意識的に「年齢の壁」は大きく立ちはだかっている。

 では、年齢という制限を超えて夢を叶えることができる人の本質とは何なのだろうか。世の中にはアーミルのような天才型の人と、マニーシュのような努力型の人に分かれる。殆どの人は努力型で、このタイプに必要なのは当然、第一に「諦めずに努力し続けること」。それに加えてマニーシュの場合は、周囲の人間から愛される人間性をもっていたこと、これが一番の彼の成功につながった本質なのではないかと、このドキュメンタリーを見進めていくうちに気付かされる。

 画面に映るマニーシュは、いつもキラキラと瞳を輝かせた優しい表情をしていて、喋り方や振る舞いも常に穏やかで周囲の人を和ませるような雰囲気なのだ。声を荒げたり、暴力的に怒りを見せたりするような様子は一切ない。編集でそのように切り取られているのかも?とも思ったが、本編以外の動画などを見ても、やはり常に柔らかい物腰で周りにいる人々を笑顔にさせるような姿を見せている。とにかく周りにいる人が、「ああ、この子は本当にいい子だな」と思う様な魅力が溢れ出ている。その結果、マニーシュが行く所行く所、必ず彼を応援してくれる人が現れるのだ。

 一番大きな存在は勿論、師匠のイェフダだ。ダンスだけがあれば何もいらないという、孤独で気難しい老人だったはずが、自分の命を賭けてでもマニーシュをプロのダンサーにしたいと、親子以上の運命共同体のような関係にまで絆を深めることとなる。

 マニーシュがイスラエルへと渡航する事が決まった際も、芸術家をサポートするパトロンと出会い、その後何年も経済的にマニーシュをサポートしてくれるようになる。マニーシュがダンサーとしての実力があるのは基本としても、それ以上に皆彼の人間性に惚れ込み、応援せずにはいられなくなってしまうのだ。

 ダンススクールに通い始めまだ両親から反対されていた頃、家族で親戚の村を訪れた際に、マニーシュはひとりで祖母に会いに行った。そしていつものキラキラした瞳で「僕ダンスしてるんだけどね、おばあちゃん見たことあるかな?」とスマホで動画を見せる。 祖母は孫のダンスの動画を見た後に「すごいね、死んだおじいちゃんが見たら喜ぶよ」と、心からの優しい言葉をかける。すかさずマニーシュが、アメリカのバレエ団に入るのが夢だと打ち明けると「自分が本当にしたいことをしなさい。あなたはそのままで大丈夫、心配ないから。(マニーシュの父にも)そう言っておくから」と、自己肯定感が爆上がりするような、“これぞ親に言ってもらいたいこと”を全部祖母が言ってくれる。親戚中で一番上の立場の祖母をも、マニーシュの真っ直ぐな人間性とその魅力で、ナチュラルに口説き落として味方につけてしまうのだ。

 あるインタビューで、最初親がダンスに反対していたことについても「両親はただダンスがお金になるということを当時は知らなかっただけで、心配してくれたからこそ反対してくれていた」と、恨み節など一切なく話している。どうしたらこんなに良い子に育つのだろうと疑問に感じられてくるが、それはマニーシュの祖母から受け継いできたものなのだろう。きっとマニーシュは小さい頃から祖母に「あなたのままで大丈夫、生きているだけで立派だよ」そういういう風に言われて育ってきたのではないだろうか。そのためマニーシュには卑屈なところがなくて、一本筋が通ったような内面にしっかりとした自信の備わった、「人から愛される」自己肯定感の高い人間へと成長していった。

 諦めずに努力をすれば夢は叶う。置かれた場所で腐らずにしなやかに咲き誇る。いくら実力があっても映画『ブラック・スワン』のように、ダンスにのめりこむほど、ライバルに勝とうと思うほど、ダークサイドに堕ちていく。夢を叶えるための道のりは決してひとつではないけれど、このドキュメンタリーに映されるマニーシュの生き方は、彼なりの夢を叶える人の本質を見せてくれている。

 本作は、様々な障壁に立ち向かいながらも夢を叶えたいと願う人にエールを送る内容で、それでいて昭和のスポ根のような人間の嫌なところやドロドロしたところを全面に映し出すわけでもなく、マニーシュの才能、情熱そして人柄に魅了され、優しい気持ちになって応援したくなるような心が洗われるドキュメンタリーだ。

『コール・ミー・ダンサー』11 月 29 日(金) 新宿シネマカリテほか全国公開

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