コンプリケイテッド(2002年)
15歳の時に大物プロデューサーのL.A.リードにパフォーマンスを見たその場で億レベルの契約をオファーされ、17歳の時にこのメガヒット曲でデビュー。ブリトニー・スピアーズやクリスティーナ・アギレラといったセクシー系ポップシンガーが業界をリードしていた2002年に、突如として現れたスケータールックのロックガールがその年最も売れた女性シンガーの座を手に入れた。
スケ8ター・ボーイ (2002年)
アルバム『レット・ゴー』のメガヒットでトレンドセッターにもなったアヴリル。「スケ8ター・ボーイ」のミュージックビデオで見られる、Tシャツにネクタイ、ブラックネイル、コンバースという“アヴリル・ルック”は、2000年代を代表するスタイル。
アイム・ウィズ・ユー (2003年)
リアーナがのちにサンプリングしたほどアイコニックな、デビューアルバムのサードシングル。ファンに捧げたい曲を2018年にSNSで聞かれたアヴリルは、「デビューアルバムからのノスタルジックな『アイム・ウィズ・ユー』ね。パフォーマンスする時にファンとの一体感を感じられる大好きな曲」と答えた。
ドント・テル・ミー (2004年)
セカンドアルバム『アンダー・マイ・スキン』のファーストシングルとなった同曲のように、自立した女性の視点で歌ったフェミニストソングを多く歌うアヴリル。同曲が収録されたアルバムは全米チャート初登場1位を記録し、日本ではセールス200万という驚異的な数字を打ち出した。
マイ・ハッピー・エンディング (2004年)
アルバム『アンダー・マイ・スキン』のセカンドシングルは、アルバムのファーストシングルを超えるヒットとなり、全米シングルチャートのトップ10にランクイン。2010年のバンクーバー五輪の閉会式でパフォーマンスされたこの曲は、ツアーでいつもリクエストされるファン人気の高い曲。
ガールフレンド(2007年)
キャリア初の全米シングルチャート1位を獲得したアヴリル最大のヒット曲。同曲が収録されたアルバム『ベスト・ダム・シング』は米英日を含む15カ国で1位を記録し、日本ではデビュー以来3枚連続でのミリオン達成という快挙を達成。日本の洋楽史上、いまだこの記録は破られていない。
ホエン・ユーアー・ゴーン (2007年)
『ベスト・ダム・シング』に収録されたパワーバラード。ちなみに当時のアヴリルは、2006年にSUM 41のデリック・ウィブリーと結婚し、2008年に自身のブランドAbbey Dawn(アビー・ドーン)を立ち上げてデザイナーとして成功しと、公私ともに幸せ絶頂。
ワット・ザ・ヘル(2011年)
同曲が収録されたアルバム『グッバイ・ララバイ』のプロモーションのために来日した直後に、東日本大震災が発生。アヴリルは即SNSに投稿を行い、「ジャパン、愛してる。諦めないで頑張ってください。愛と祈りを送ります」と追悼メッセージを送った。そして年内には再来日を果たし、日本のファンと交流。
ネヴァー・グローイング・アップ (2013年)
全米シングルチャートのトップ20入りした、5thアルバムからのシングル。アヴリルは同アルバムの制作に参加したニッケルバックのチャド・クルーガーと恋に落ち、交際わずか1ヵ月ほどで婚約してカナダの日である2013年7月1日に結婚。2人は2015年9月に離婚を発表した。
ヘッド・アバーヴ・ウォーター(2018年)
原因不明の体調不良に苦しんでいたアヴリルは、30歳の誕生日の直後に、マダニによって媒介する感染症ライム病と診断される。約2年間ベッドの中で死さえ感じる壮絶な闘病生活を送ったアヴリルは、そのなかで、最新曲「ヘッド・アバーヴ・ウォーター」を制作。水の中にいるような息苦しさの中でも、自分の声を生きる原動力に闘い続けたいという強い祈りを歌った。ファンに向けたオープンレターでこの経験を赤裸々に明かしたアヴリルは、約5年ぶり・6枚目のアルバムを『ヘッド・アバーヴ・ウォーター』と名づけ、2月15日に全世界同時発売されるアルバムで暗闇からの完全復活を遂げる。
(フロントロウ 編集部)
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