2018年に大ヒットした映画『ボヘミアン・ラプソディ』で描かれた伝説のロックバンド、クイーン(Queen)。今も変わらず世界中で世代を超えて愛されるクイーンのフロントマン、フレディ・マーキュリーは、じつは移民であり難民というアイデンティティを持っていた。
移民の子供として生まれる
イギリス出身のバンドとして知られるクイーンだけれど、フレディの生まれはイギリスではなく、さらに彼はインドの血を引いている。本名はファルーク・バルサラ。ペルシャ系インド人の両親はイギリス領だったザンジバル(現在はタンザニアの一部)に仕事の関係で移り住み、そこで生まれたのがフレディ。移民の子どもとして誕生した。
フレディは幼少期をザンジバルで過ごしたのち、インドの全寮制の英国式寄宿学校に入学。その後16歳で再びザンジバルに帰国した。
革命暴動や虐殺から逃れるために難民に
16歳でザンジバルに帰国したフレディ。しかしそのころ、イギリスから独立したばかりのザンジバルは内情が不安定で、民族間の対立が深まっていた。1964年1月には革命と暴動が発生。5,000から12,000人にも上る多くの人が命を落としたこの混乱の最中、フレディの家族は無事脱出に成功し、イギリスに渡った。そうしてフレディの家族は、移民というアイデンティティを持ちながら難民になった。
「難民」とは?
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によると、難民とは、政治的な迫害のほか、武力紛争や人権侵害から逃れるために自国を去り、他国に保護を求める人々を指す。日本においての難民の受け入れは極端に少なく、2018年に日本で難民認定を受けた外国人は、わずか42人というデータも発表されている。
「移民」と違いは?
難民と頻繫に比較されるのが移民。移民は、移住の理由や法的地位に関係なく、定住国を変更した人々を指す。一般的に職を得るためや教育を受けるために、国を移動する人々を指し、安全に国に帰ることができない難民とは定義が異なる。3ヶ月から12ヶ月間の移動を短期的または一時的移住、1年以上にわたる居住国の変更を長期的または恒久移住と呼ぶ。
日本における移民の数は難民の割合とは大幅に異なる。現在日本は「世界第4位の移民大国」と言われ、日本に住む外国人は年々増加している。
ちなみに『ボヘミアン・ラプソディ』でフレディを演じた俳優のラミ・マレックは移民。ラミが生まれる前に両親がアメリカに移住しており、彼はエジプトの血をひいている。エジプト系アメリカ人のラミは、白人が主流のハリウッドで自分のような外見では主役になれないと思っていたけれど、アフリカ生まれの移民で、両親がインド人だというフレディの背景について知り、自分にもできると勇気づけられたと話している。
難民・移民として生きる17歳
ザンジバルの革命暴動から逃れるため、家族とともに難民としてイギリスに行き着いたフレディ。こうしてイギリスで新たな人生をスタートさせたフレディは、カレッジに入学。グラフィック・デザイナーを目指しながら、音楽に打ち込む。
そんなフレディは、同じ大学の友人が組んでいたバンド、スマイルのファンになり何度もライブに足を運んだ。このスマイルのメンバーこそが、のちにクイーンのメンバーとなるギターのブライアン・メイと、ドラムのロジャー・テイラー。ボーカルを探していたブライアンとロジャーにフレディが加わり、そしてのちにベースのジョン・ディーコンを迎え、クイーンとして活動を始める。
そうして楽曲「キラー・クイーン」や「ボヘミアン・ラプソディ」といったヒットをきっかけに、その地位と名声を不動のものにしたクイーン。世界的なバンドとなったクイーンの歴史のハイライトとも言われる1985年に開催されたライブ・エイドの目的はアフリカ難民救済というチャリティのためだった。
移民であり難民な上に、当時は今よりもさらに風当たりの強かったLGBTQ+というアイデンティティをもちながら活動したフレディ。どんな逆境にも負けず、栄光をつかんだフレディの勇ましい姿は、世代を超えて、世界中の人々に勇気と感動を与えている。(フロントロウ編集部)