ジョン・レノンの息子が父親に捨てられたと感じた瞬間
音楽史に名を残し、1度は名前を聞いたことがあるほど有名な元ザ・ビートルズのジョン・レノンは、生涯で2度の結婚を経験。日本人アーティストのオノ・ヨーコと結婚していたのは有名な話だけれど、オノ・ヨーコと結婚する約7年前にあたる1962年にシンシア・レノンと結婚。その後父親と同じ道をたどるミュージシャンとなるジュリアン・レノンがシンシアとジョンの間に誕生。
今回ジョンが1度目の結婚の時に誕生したジュリアンが、英The Guardianの日曜版であるThe Observerにて、父親ジョンのことを語った。ジュリアンはウェイブリッジにあるケンウッドと呼ばれる邸宅に住んでいた頃はかなりジョンと親密だったという。その後、ジョンがオノ・ヨーコと出会い、結婚。ジョンが家族と離れてオノ・ヨーコの元へ行った時のことを「そのとき父親は忽然と消えた。少なくとも僕にはそのように感じたんだ。彼(ジョン)とオノ・ヨーコは、公に、深く、恋をしていたよ。そして僕と母親は、捨てられたように僕は感じた」と語った。
しかし、ジョンが家族から去った後、ジュリアンとシンシアを気にして様子を見に来てくれていた人がいたという。それは、ビートルズでジョンと一緒に活動していたポール・マッカートニー。ジュリアンは「誰もが僕たちのことを忘れたわけではなかった。ポールは僕と母親がどうしているかを見に来てくれて、その後に『ヘイ・ジュールズ』を書いたんだ」と、ポールが気遣ってシンシアとジュリアンの様子を見に行っていたことを明かした。
ジュリアンを励ますためにポールが作詞作曲した「ヘイ・ジュールズ」は、後に「ヘイ・ジュード」と楽曲のタイトルが変えられ、ビートルズの楽曲としてリリースされ大ヒットを記録。ポールのライブでは必ず歌われ、どの会場でも大合唱が起こる定番の曲となっている。(フロントロウ編集部)