ビートルズが再結成のオファーを蹴った理由
ザ・ビートルズは、メンバーのジョン・レノンがクオリーメンというバンドを1957年に結成し、その後メンバー交代などの紆余曲折を経て、1960年にザ・ビートルズという、現在最も世界中で知られているバンド名と言っても過言ではない名前に改名。
そして1962年に楽曲「ラヴ・ミー・ドゥ」でデビューし、人気絶頂期に解散。デビューから半世紀が経つ今もなお世界中の人から愛されているビートルズだけれど、解散してからは、1980年に亡くなったジョンに捧げたジョージ・ハリスンの楽曲「All those YearsAgo(過ぎ去りし日々)」にリンゴ・スターとポール・マッカートニーが参加したことはあったけれど、一度も再結成することはなかった。
しかし今回、リンゴが再結成にまつわる逸話を英The Mirrorに明かした。リンゴは「クレイジーなオファーがあったんだ」と語り、当時の金額で5,000万ポンド(約67億円)、現在に金額に置き換えると約2億ポンド(約270億円)で再結成のオファーがあったという。莫大な金額だけれど、世界的大スターであるビートルズが再結成するなら、妥当な金額。リンゴが言った「クレイジーなオファー」とは、一体何がクレイジーだったのか?
じつは、クレイジーだったのはその公演の前座。なんと再結成を提案したプロデューサーは、前座に人vsサメの闘いを計画していたよう。リンゴは「僕たちはお互い電話し合い、お互いの考えを確認した。けど、オープニングアクトが男性がサメと闘うというものだったからやめようと決めた。だから僕らは『ないな』と思ったんだ」と、まさかのサメが原因で再結成の話がなくなったことを明かした。
ジョンやジョージが亡くなって、もうメンバー全員で集まることが出来なくなってしまった今、サメと人間の闘いが前座ではなければ、再結成していたのかと思うと、そのプロデユーサーを責めたくなる気持ちもある。
また、リンゴはこのインタビューで「もしジョンとジョージが生きていれば」についても言及。ジョンは多くの人が知っている通り、1980年12月にマーク・チャップマンという男性に自宅前で射殺され、ジョージはポールの借家で生活していた2001年11月に肺がんで亡くなっている。
リンゴは「もしジョンとジョージが死んでいなかったら、きっと再結成の可能性はあったと思う。ポールと僕はまだその道を歩んでいるからね。ジョンもその道を進んでいたと思う。ジョージはわからないけど。でも僕たちはまだ自分が好きなことをやっていたと思う」と、再結成の可能性を否定しなかった。
リンゴは80歳、ポールは78歳になっても世界中を駆け巡り、多くのファンに力を与えているだけに、もしビートルズが再結成していれば、どんな世界を、そしてどんな音楽を作っていたのだろうか。(フロントロウ編集部)