海外のモデルやデザイナーらが山本寛斎を追悼
日本を代表するデザイナーの山本寛斎は、2020年3月に急性骨髄性白血病であることを公表し、闘病生活を送っていたけれど、残念ながら病気を告白した約4ヵ月後の7月21日に76歳でこの世を去った。
ロンドンで日本人として初めてファッションショーを開催した山本寛斎は、デヴィッド・ボウイのアルバム『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars(ジギー・スターダスト)』をリリースした頃のほとんどの衣装を手がけ、そのほかにもエルトン・ジョンなどの衣装も担当。
山本寛斎のコレクションは、アバンギャルドでカラフルな色使いのものが目を引くけれど、日本の伝統を取り入れたデザインなども豊富で、見ているだけで活力が沸いてくるものが多かった。日本だけでなく世界で活躍し、影響を与えた山本寛斎へ、海外のモデルやデザイナーが追悼のメッセージをSNSにアップしている。
デザイナーのマーク・ジェイコブス
山本寛斎から大きな影響を受けたマークは、その感謝の気持ちをインスタグラムに長文でこう綴った。
「1980年、17歳の頃に山本寛斎を紹介してもらえるという名誉なことがあった。当時の僕は、ニューヨークでパーソンズ・スクール・オブ・デザインの生徒だった。寛斎の並外れた創造力の大ファンだったんだ。僕は社交的で、野心的な熱意、パッション、尽きることのないエネルギーに満ちていたという点で、他の学生とは違っていた。ファッションについて学ぶ好奇心やハングリー精神を持ち、ヒーローから学びたいと思っていた。ルームメイトがジュエリーブランドのデザイナーであるロバート・リー・モリスのもとで働いていたのだけれど、彼を通して、初めて寛斎のファッションショーを見る機会を得て、最終的に寛斎本人にも会ったんだ。寛斎は、若き頃の僕のエネルギーと創造力のある精神にとても感銘を受けてくれたことを覚えている。そして寛斎は、次のコレクションのテーマとなる想像上の場所『The Kansai Restaurant』をお祝いした『Happening/after-party』を考えて企画するという夢のような機会を与えてくれた。どれだけラッキーだったか??!!実際にラッキーというのは、準備したことがうまくチャンスに遭遇したときにあるもの。僕は能力を十分に発揮し、最後のディテールに至るまで完璧に仕上げる準備が整っていた。底力を発揮して、とても価値のあることを学んだ。そして、のちに自分のショーを作るときのやり方に影響するような経験を与えてもらった。僕に特別な光を見出してくれて、僕が飛ぶために必要な羽を与えてくれて、寛斎には今になっても感謝の気持ちでいっぱいです。親愛なる友が恋しくなるでしょう。安らかにお眠りください」
モデルのベラ・ハディッド
ベラは山本寛斎のオフィシャルインスタグラムを引用して、自身のインスタグラムに「安らかに眠ってください」とコメント。
シンガーのデヴィッド・ボウイのチーム
今は亡きボウイと山本寛斎の懐かしい写真をアップして「安らかに眠れ、山本寛斎。日本のデザイナーである山本寛斎が、7月21日に76歳で亡くなったことを悲しみと共に報告します。私たちの想いはこの悲しい時を過ごす彼の家族と親しい人たちとともにあります」とコメントし、生前ボウイと親しかった山本寛斎を偲んだ。
DJのミシェル・ゴベール
ファッション界に欠かせない存在であり、数多くのコレクションの音楽を手がけるミシェルは、「ポップ、ファッション、未来、日本の伝統を1着にまとめた山本寛斎が亡くなったことを聞いてとても悲しい。彼のユニークなビジョンは、私自身が大ファンだったデヴィッド・ボウイが早くに察知していました。ジギー(※ボウイのこと)は、寛斎なしでは同じようにはいかなかっただろう。2017年に京都で彼に会えたことを光栄に思います。寛斎、安らかに眠れ」とコメントし、2017年に京都で行なわれたルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)のコレクションで会った時の写真を添えた。
山本寛斎はこの世を去ってしまったけれど、彼のレガシーは多くの人に受け継がれ、生前最後の仕事となったオンラインイベント『日本元気プロジェクト2020 スーパーエネルギー!!』は、7月31日の20時からYouTubeやニコニコ動画、そしてFacebookなどで配信されることが決定している。(フロントロウ編集部)