ライバルであり仲間だったイーサンとリヴァー
映画『ビフォア』シリーズや『ガタカ』、『6才のボクが、大人になるまで。』など、今でも愛される数々の作品に出演してきたイーサン・ホークは、1985年の映画『エクスプロラーズ』でデビュー。その次の出演作は、1988年のショートフィルム『Lion's Den(原題)』や1989年の『今を生きる』が挙げられ、その俳優人生は早い時期から順風満帆。
しかし見えないところで、葛藤があったことは知られている。じつはイーサンは、1986年に全米公開された不朽の名作『スタンド・バイ・ミー』のオーディションを受けていた。しかしそこでロブ・ライナー監督に言われたことは…。
「君はすごく良いんだけど、その役は鳥の名前の他の子供にあげたところなんだ」
鳥の名前の子供。そう、それはもちろん、故リヴァー・フェニックス。イーサンは、デビュー作『エクスプロラーズ』でリヴァーと共演しており、2人はリヴァーが亡くなるまで連絡を取る間柄だった。そしてリヴァーは、同世代の俳優のなかでも実力派であり、1988年には『旅立ちの時』でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされるなど高い評価を得ていた。
イーサンがリヴァーの死から学んだこと
成功しているリヴァーの姿を見ることで、当時は嫉妬していたというイーサンだけれど、1993年に23歳でリヴァーが突然この世を去る。リヴァーが突然いなくなったことで、彼と競争していたことは時間の無駄だったと感じたと、2016年に参加したオースティン・フィルム・ソサエティのイベントでイーサンは話している。
そしてリヴァーの死は、イーサンにある大きな教えを与えたという。それについて、英The Guardianのインタビューで話した。
「僕の初めてのスクリーン・パートナーはサンセット大通りで薬物の過剰摂取で死んだんだ。知ってるだろ?彼は最も輝く光だったのに、業界が彼を蝕んだ。そしてそれは、僕にとっての最も大きなレッスンでもあった。僕がなぜロサンゼルスに住んだことがないかという理由を1つあげるのならば、僕みたいな役者にとって、あのような環境に身をおくことは危険すぎるからだ」
リヴァーは1993年の10月31日に、妹のレイン・フェニックスと弟のホアキン・フェニックス、そして当時の恋人で俳優のサマンサ・マシスと、ロサンゼルスにあるサンセット大通り、さらにその一角で音楽のカルチャームーブメントを起こしてきたサンセット・ストリップにあるクラブのザ・ヴァイパー・ルームを訪れていた。
イーサンは、リヴァーの死には、彼が過ごしていた界隈の環境的要因が大きいと感じているよう。そんな学びを明かしたイーサンは現在では4人の子供の父となり、第1子のマヤ・ホークも俳優として活躍している。
ちなみに、リヴァーと非常に仲の良かったことで知られるキアヌ・リーブスは、リヴァーを「並外れて美しい魂。光」と表現している。仲間たちから口々に「光」と言われるリヴァーの死から、今年で27年が経った。(フロントロウ編集部)