Disney+ (ディズニープラス)のドラマ『ハイスクール・ミュージカル:ザ・ミュージカル』への楽曲提供や、マドンナやジャネット・ジャクソンら大物アーティストのプロデュースで知られるシンガーソングライターであるジョシュ・カンビーにインタビュー。2020年以降の混沌とした世界の中で感じた世界の静寂と距離を表現したという新曲「Dancing, Just Distancing」に込めた思いや、幅広いアーティストと仕事をする上での極意、そして、デビュー前のオリヴィア・ロドリゴの秘話まで、たっぷり話してくれた。(フロントロウ編集部)

数々の大物たちの楽曲を手がけてきたジョシュ・カンビーが新曲「Dancing, Just Distancing」をリリース

 ジョシュ・カンビーがソングライター/プロデューサーとして仕事をする上で常に心に留めている言葉は、日本語の「初心」という言葉だそう。その“初心を忘れない”という姿勢にも表れているが、ジョシュはマドンナやジャネット・ジャクソン、カイゴ、リタ・オラら多くの大物アーティストたちと仕事をしてきた自身のキャリアを、「幸運だったとしか言いようがない」と謙遜しながら話す。

画像: 数々の大物たちの楽曲を手がけてきたジョシュ・カンビーが新曲「Dancing, Just Distancing」をリリース

 そうした大物たちとの楽曲制作を重ねながら、2017年にオランダのトップDJであるアーミン・ヴァン・ビューレンの「Sunny Days」にボーカルとして参加したことをきっかけに、シンガーとしてのキャリアも歩み始めたジョシュ。

 フロントロウ編集部では、コロナ禍で経験した心境を反映したという新曲「Dancing, Just Distancing」をリリースしたタイミングでジョシュにインタビューをすることができたので、「幸運だった」という、シンガーソングライターとしての自身のキャリアを振り返ってもらった。

 今や押しも押されもせぬスーパーポップスターとなったオリヴィア・ロドリゴのデビュー前の秘話まで飛び出した今回のインタビューでは、新曲「Dancing, Just Distancing」についてはもちろん、なぜ「初心」を大切にしているかについてや、日本での思い出、そして、リリースを控えたシンガーとしてのファーストアルバムについてまで話してくれた。

ジョシュ・カンビーにインタビュー

画像: ジョシュ・カンビーにインタビュー

まずは新曲「Dancing, Just Distancing」について訊かせてください。この曲は新型コロナ禍で感じた心境が反映されているそうですね。

「大勢のアーティストたちが、コロナ禍で起きていることについて書くことを強いられていたと思う。正直、僕としてはそういうのを避けていたんだ。誰もが、自主隔離や自粛生活についての曲を書いているような気がしていたからね。そう思っていたなかで、しばらくして、愛する人と一緒にいられないことで、その人たちとの間に“距離”が生まれてしまったように感じたんだ。FaceTimeやZoomで繋がれたとしても、それはまた別物なわけでさ。僕としても、人々の間に距離ができたことで、関係性がこじれ始めてしまったような気がした。友人や家族のことを思った時に、ある種のメタファーになるんじゃないかと思ったんだ。この世界は今、距離を置いてダンスを踊っているんじゃないかってね。そのせいで、僕らの間が割かれてしまっている。そういう考えが、この曲のベースになったんだ」

このままダンスを続けるの?
ダンスは 僕らを遠ざけるだけなのに
もうチャンスを使い果たしたの?
ダンスが 僕らを遠ざけるだけなら
ー「Dancing, Just Distancing」より

サウンド的にはダンサブルなものになっていて、一見すると、コロナ禍で多くの人たちが経験した混沌とした状況とは結びつかないようなものになっています。サウンドに込めた想いを教えていただけますか?

「良い質問だね。僕が一番好きな音楽は、幸せな時に踊れて、悲しい時には泣けるような曲なんだ。だからといって、必ずしも毎回そういうアイディアを引っ張り出してくるわけではないんだけどさ。この曲に関しては、僕自身も含め、大勢の人々が悲しい日々を経験することを余儀なくされている時期について歌ったものになっている。とは言っても、僕としては、悲しみに溺れるような曲にはしたくなかった。言うなれば、万が一これが最後のダンスになるのなら、思い切り踊れるような方向性にしようと思ったんだよ」


“『イタリアまでミュージックビデオを撮影しに来ないか?』って言われてね。それで、『ええ、分かりました』って返したっていうのが始まり。そんなの想像できるかい? すべてはそこから始まったんだ”


踊れる曲といえば、あなたがブレイクするきっかけになったのは、オランダのトップDJであるアーミン・ヴァン・ビューレンとの「Sunny Days」がきっかけでした。カイゴとリタ・オラの「Carry On」にもソングライターとして参加するなど、ダンスチューンを数多く手がけていますが、ダンスミュージックには昔から親しまれていたのでしょうか?

「ものすごく若い頃からというわけではないんだ。ダンスミュージックを発見したのは、知り合いのなかでも比較的遅いほうだったよ。僕にとっては、スウェディッシュ・ハウス・マフィアがきっかけだった。『Until One(アンティル・ワン)』っていうアルバムは知っているよね? リリースされてすぐに買ったんだけど、フォーマットに圧倒されたんだ。アルバムを通して、ずっと曲が繋がっているんだからね。もしCDを持っていたら、車の中とかでも聴いてもらえたら、素晴らしい音楽体験をしてもらえると思うんだけどさ。ダンスミュージックではあるんだけど、そもそも曲自体が素晴らしいし、ソングライティングも、ミュージシャンとしてのあり方も素晴らしい。あのアルバムを聴いて、僕はダンスミュージックにのめり込んだ。自分もこの音楽ジャンルの一部にならないといけないって思ったんだ」

ソングライターとしてビッグネームのアーティストの楽曲制作に関わることになったきっかけと、その後、シンガーとしてブレイクしたきっかけを教えてください。

「幸運だったとしか言いようがないんだ。今でもよく、(自分が収めた成功を肯定することができない)インポスター症候群のような症状を感じることがあるよ。『僕はどうしてこんなに運がいいんだ?』っていう風にね。『もし誰かに、僕はこの立場に相応しくないって思われたら、別の問題を抱えることになる』って思うこともある。それは置いといて、僕は音楽ビジネスを学ぶ大学へ通っていたんだ。どうすれば音楽で生計を立てられるのかを学びたくて。昔から音楽は大好きで、映画音楽を聴いて育ったし、自分でも映画音楽やジャズといった音楽を作っていてね。音楽に携わりたいって思っていた。最終的にどうなったかというと、(テレビ局の)FOXに曲を提供できたんだよ。無償のインターンから繋がって、コマーシャルにダンスミュージックを提供したんだ。そこで、最初のギャラとして220ドルをもらえた。『これだ! まさか実現するとは』と思ったよ。その時から業界に足を踏み入れて、以来、音楽を作り続けてきた」

ジョシュ・カンビーがプロデュースに参加したマドンナの「Joan Of Arc」。

「その後で、トビー・ギャッドと仕事をすることになった。(コミュニティサイトの)クレイグスリストで彼がアシスタント・エンジニアを募集していたんだ。彼は素晴らしいソングライターで、ビヨンセの『If I Were A Boy』とか、ファーギーの『Big Girls Don't Cry』、ジョン・レジェンドの『All Of Me』といった、偉大すぎる名曲を書いている人だよ。どうにか、彼と一緒に働けることになってね。彼は本当に親切で、僕にとってのメンターさ。一緒にマドンナをプロデュースしたんだけど、そこから、これも信じられないことなんだけど、多くのアーティストとの仕事に繋がったんだ。そうしたアーティストの1人がアーミン(・ヴァン・ビューレン)だった。それで、一緒に『Sunny Days』のコーラスを書いていた時に、作業部屋には他にも何人かソングライターがいたんだけど、シンガーは1人もいなかったんだ。その時に僕が、『僕シンガーなので、この曲歌いますよ』みたいなことを言い出したわけじゃないんだけど、誰かが歌う必要があるよねっていう状況になった。そこで僕が、『僕、歌ってもいいですけど』っていうことを言ってみたというわけ。その2週間後に電話がかかってきて、『イタリアまでミュージックビデオを撮影しに来ないか?』って言われてね。それで、『ええ、分かりました』って返したっていうのが始まり。そんなの想像できるかい? すべてはそこから始まったんだ。信じられないよね」


“僕はあらゆるプロデュースやソングライティングのセッションに、初心者として、学びに行くつもりで臨むんだ。音楽への愛を持ってね”


お話にあったように、様々なアーティストに楽曲提供をされているわけですが、ソングライターとして、幅広いサウンドを手がける上で心掛けているのはどんなことですか?

「良い質問だね。というのも、僕は音楽を代わる代わる聴く癖があるんだ。スポティファイで公開しているプレイリストには、C.タンガナ(C. Tangana)というラテンの素晴らしいアーティストから80年代のグラムな音楽まで、幅広い曲を入れている。僕は音楽そのものが大好きなんだよ。そういうわけで、幅広いジャンルのアーティストたちと仕事をする時には、それがラテンミュージックであれ、K-POPであれ、アメリカのアーティストであれ、DJであれ、一番大切なのは『音楽を作る』ことなんだ。他のことは後からついてくる。時折、優先順位が変わってしまうことがあると思うんだけどさ。ライターやプロデューサーたちは時々、自分たちのエゴを出して、自分たちが望むようなサウンドにしてしまうことがある。一番大切なのは、その曲にとっての最善を目指すことなのにね。何がベストかって、アーティストたちが30年後もステージで歌いたいと思えるような曲を作ることなんだ。僕は毎回のセッションで、そのことを意識するようにしている。言い間違えちゃうかもしれないけど、最近覚えた言葉で、『(日本語で)初心』という言葉があって。初心者の気持ちを忘れないっていう言葉だよね。あらゆることに、まるで初めて挑戦するかのように取り組むということ。僕はあらゆるプロデュースやソングライティングのセッションに、初心者として、学びに行くつもりで臨むんだ。音楽への愛を持ってね」

 ※下記にはスポティファイのプレイリストへのリンクが含まれます。表示されない場合はフロントロウのオリジナルサイトでお読みください。

『ハイスクール・ミュージカル:ザ・ミュージカル』にも、「Wondering」や「Granted」を提供されています。ドラマへの楽曲提供はどのような経緯で実現したのでしょう?

「魔法のようだったよ。これもまた、偶然の賜物なんだ。ディズニーに何人か知り合いがいて、『まだ発表されていない新作の曲を書いてみないか?』っていう話をもらったんだよ。当時は詳細についてはほとんど知らないまま、素晴らしい才能の持ち主であるジョーダン・パワーズと一緒に共同で手がけることになった。それで、僕たちが最初に作ったのが『Wondering』だったんだ。最終的に、オリヴィア・ロドリゴとジュリア・レスターが歌った曲だよ」


“オリヴィアがいかに素晴らしい人かということは、永遠に話し続けられるくらいだ。何も、オリヴィアが凄まじい成功を収めているからそう言っているわけじゃなくて、彼女は本当に素晴らしい人なんだ”


「その時はまだもらえる情報が限られていたのだけど、『選択肢を前にして立ち止まってしまっている』状況についての曲ということは分かっていたんだ。『この選択をしたら、何かを逃してしまうかな? この選択をしなかったら、逃してしまうのかな?』という歌だということはね。自分たちがミレニアル世代ということもあって、僕らはそうした状況にすごく繋がりを感じたんだ。世の中には選択肢が溢れているからさ。あらゆるオプションがあるわけで。実際、この曲はサントラという以上に大きな曲になったと思っている。心を込めて作り上げたことで、最高の曲となり、道を切り拓いてくれたんだ。番組側から、ドラマ用にもっと曲を書いてくれって頼まれたんだよ。オリヴィアや(ショーランナーの)ティムをはじめとしたみんなと仕事ができたのは最高だった」

ということは、オリヴィアともコミュニケーションを取りながら作業したのですか?

「その通り。オリヴィアがいかに素晴らしい人かということは、永遠に話し続けられるくらいだ。何も、オリヴィアが凄まじい成功を収めているからそう言っているわけじゃなくて、彼女は本当に素晴らしい人なんだ。初めて一緒に『Wondering』をレコーディングした時は、もちろん、ドラマも配信されていなかったし、彼女の曲も1曲もリリースされていなくて、彼女のレコーディングのキャリアにおける、かなり初期の頃だった。ただただ、僕は圧倒されたよ。彼女が入ってきて歌を歌った時、『君はとんでもない才能の持ち主だね』って伝えたくらいさ。その期間には、オリヴィアが取り組んでいた曲のオリジナルバージョンも少し聴かせてもらったし、『ハイスクール・ミュージカル:ザ・ミュージカル』以外にも、一緒に何曲かセッションしたんだ。彼女は信じられない才能の持ち主だし、心の優しい人だよ。そういう人に出会えるのは嬉しいよね」

ソングライターとしての憧れの存在は誰ですか?

「難しい質問だな。尊敬してやまないソングライターはたくさんいる。子供の頃はずっとコールドプレイのクリス・マーティンが大好きだった。彼の手腕はすごいよ。必ずしもすべて理解できるわけじゃないけど、複雑な要素やイメージ、言葉を繋げて、エモーショナルでありながらもシンプルな曲に仕立て上げてしまうんだからね。クリスのこともそうだし、マックス・マーティンのこともずっと尊敬しているよ。バックストリート・ボーイズからテイラー・スウィフト、ザ・ウィークエンドまで手がけて、ここ数十年のポップミュージックを定義づけてしまった人だからね。それから、ライアン・テダーも最高だよね。(ワンリパブリックでの)アーティストとしてのキャリアと、ソングライターとしてのキャリアのバランスを見事に取っていると思う。とにかく、尊敬している人はたくさんいるよ」


“日本は本当に美しい国で、いろんな人が、『日本の雪を見たほうがいい! 魔法みたいだから。あんな場所は他にないよ』って言うけど、本当にゴージャスだった”


ところで、シンガーとしてのデビューシングル「Sound Of Your Name」のMVはここ日本で撮影されました。心に残っている当時の思い出などあったら教えてください!

今も君の名前の響きを覚えてる
まるで長らく失われてしまったコーラスのよう
すべてのメロディーが僕らのために鳴っていた
すべての音がゴージャスだったよね
ー「Sound Of Your Name」より

「実はそれまで、日本の伝統的な旅館というものに滞在したことがなかったんだ。この時までは、いつも東京にいく時は、ザ・ホテルという感じのホテルに泊まっていたから、言葉を忘れてしまったのだけど、床にマットを敷いて寝るタイプの泊まり方をしたことがなかった。何という言葉だったかな?」

“布団“でしょうか?

「布団! そう、それだ。僕らは妙高高原へ行ったのだけど、そこでスキー客用のロッジに泊まったんだ。山が近かったから、雪も降っていてね。そこへ泊まったのだけど、僕にはどんな場所か想像もつかなかった。僕と、レーベルの担当者の米田さん、マネージャーのサイラスの3人で、床に小さな布団を敷いて寝たんだよ。ヒーターをつけたままでね。暖まりたかったんだ(笑)。すごく特別だったよ。日本は本当に美しい国で、いろんな人が、『日本の雪を見たほうがいい! 魔法みたいだから。あんな場所は他にないよ』って言うけど、本当にゴージャスだった。あとは、チームのみんなとの結束が深まったことだね。小さな小屋のような旅館に一緒に泊まって、お茶を飲んで、凍えた体を暖めるために温泉に行ってっていうさ。マジカルな経験だったよ」

まだシンガーとしてはアルバムをリリースされていませんが、アルバムをリリースする予定はありますか?

「実は、もうすぐ出る。今のところは、シングルを出しているという段階なんだ。シングルを出していって、その後でアルバムに繋げるほうが良いという場合もあるからね。というのも、1曲1曲はシングルであるにせよ、それぞれが糸のように繋がっているんだ。愛を失った後で、徐々に自分自身に勇気を見出し、もう一度愛せるようになって、また恋に落ちる、みたいな風にね。なので、アルバムが出る頃には、すべての曲が繋がることになる。ワクワクするよ! このエモーショナルな冒険をみんなにも楽しんでもらえたらと思う。そう願っているよ。個人的にも本当に楽しみなんだ」

我々としても、リリースを楽しみにしています。最後に、日本のファンへのメッセージをお願いします!

「本当に感謝しているよ。僕は音楽を作ることを愛していて、本当に好きなことなんだ。みんなからのコメントや感想、リツイート、投稿は、グーグル翻訳に頼ることもあるけど、僕にとって掛け替えのないものだよ。僕の音楽を聴いて、繋がりを感じてくれて、同じ感情の空間を共有してくれることが、本当に嬉しい。曲を聴いてくれたり、それをプレイリストに加えたりしてくれるみんなに感謝してる。すごくありがたいし、嬉しく思っています。みんな、ありがとう!」

<リリース情報>
ジョシュ・カンビー
Dancing, Just Distancing
配信中
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画像: 我々としても、リリースを楽しみにしています。最後に、日本のファンへのメッセージをお願いします!

(フロントロウ編集部)

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