映画『バービー』でもジョークのネタにされている、バービー人形の生みの親ルース・ハンドラーとは?(フロントロウ編集部)

映画『バービー』でネタに、バービー人形の生みの親ルース・ハンドラー

画像: 映画『バービー』でネタに、バービー人形の生みの親ルース・ハンドラー

 全米では今年最大のオープニング興行収入を記録し世界的にも大ヒットしている映画『バービー』。世界で最も有名なファッションドールであるマテル社のバービーの世界を、『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』のマーゴット・ロビーが主演、『レディ・バード』でアカデミー監督賞・脚本賞にノミネートされたグレタ・ガーウィグが監督し実写映画化された作品。

 多くの“マテル社いじり”が展開される本作では、バービー人形の生みの親であるルース・ハンドラーの“事件”もネタにされる。ルースと言えば、玩具メーカー・マテル社の共同創設者で、2024年にデビュー65周年を迎えるバービー人形の生みの親だが、ジョークのネタになっている事件とは?

マテル社の創業とバービーの誕生

画像: マテル社の創業とバービーの誕生

 ルース・ハンドラーは、1916年コロラド州デンバーでポーランド移民の両親のもとに生まれ、高校時代のボーイフレンド、エリオット・ハンドラーと結婚する。1938年にロサンゼルスに移り、映画会社パラマウントに就職。夫のエリオットは当時の最先端の素材だったプラスチックで家具を作る事業を開始する。

 1945年にエリオットとビジネスパートナーのハロルド・”マット“・マトソンは、写真の額縁製造の小さな会社を始め、"Matt"と "Elliot"という2人の名前を組み合わせて 「Mattel(マテル)」 と名付けた。額縁を作る工程で生まれたプラスチック屑を利用しドールハウスの家具を作り始めたが、利益率が高く大ヒットしたため玩具製造に本格的に参入することに。

 1959年、ルースは娘のバーバラが遊んでいた紙人形と、スイスでの休暇中に見つけたドイツ製の大人向けの人形をヒントに、それまでの幼児用の人形のイメージとは全く違った大人の女性の体形をした人形の製作を発案する。当初このアイデアを、マテル社の男性幹部たちに提案した際には大反対されたという。しかし「女の子だってなににでもなれる」と女の子に選択肢を与えられる人形を作ろうと決意を固め、決して諦めなかったルースの情熱によって、娘バーバラの愛称から「バービー」と名付けられたバービー人形がこの世に誕生することとなった。

 同年ニューヨークのトイフェアでバービーは初公開。当初おもちゃのバイヤーたちはバービーに人気がでるか疑問をもったというが、その後すぐに成功を収め世界に旋風を巻き起こした。バービーで大きな成功を収めた2年後、今度はルースの息子ケネスにちなんだケンというボーイフレンド・ドールや、その他の多くの友人と家族も誕生させた。

劇中ジョークの元ネタは、1970年代に起きた不正会計での有罪事件

 アメリカを代表するビジネスパーソンとして活躍していたルースだが、1970年代に大事件が起きてマテル社辞任に追い込まれる。

画像: 劇中ジョークの元ネタは、1970年代に起きた不正会計での有罪事件

 当時のマテル社、クリスマス注文の3分の1のキャンセルへと繋がったメキシコ工場の全焼をはじめ、ビジネス上のトラブルを経験していた。当時のThe News York Timesの新聞報道によると、マテル社はそんななかで株価操作のために利益を水増しするなどの不正な財務報告書作成をはじめ、結果的に株主に訴えられることに。それに伴い、1974年には行政が捜査を開始。

 会社の財務を担当していたルースは夫や幹部数名と共に捜査を受け、1978年、共謀、郵便詐欺、虚偽報告の罪で証券取引委員会に起訴された。当初は無罪を主張していたが、20~50年とされていた実刑判決を受けないという条件で異議申し立てはしないことを受け入れ、5万7000ドルの罰金と2,500時間の社会奉仕を言い渡された。

 ルースは1994年の自伝『Dream Doll: The Ruth Handler Story』のなかで当時を振り返り、「“汚れ仕事”の大半を行なったマーケティング担当の男たちは起訴されなかった」としたうえで、事件のせいで非社交的になったことを明かし、「恥のせいで死にたくなりました。私は常に公正で正直であることに自信を持ち、ビジネス上の評判を大切にしてきたのですから」と綴った。

 異議申し立てをしないことを受け入れたときも、最後まで裁判所で「すべての犯罪行為において無罪であると信じている」と語っていたという。

ルース・ハンドラーの影響は現代にも続く

 マテル社を一大企業に育て上げながら、本人の望まない形での幕引きとなったルース・ハンドラー。しかし彼女のレガシーは今も続いている。

画像: ルース・ハンドラーの影響は現代にも続く

 ほとんどの女性に家庭で働く以外の選択肢が与えられなかった時代に、玩具ビジネスに女性の視点を加えてバービーを誕生させたルースが現代の女性に与えた影響は、映画『バービー』を見れば明らか。本作のメガヒットは、グレタ・ガーウィグ監督に女性監督作としてNo.1のオープニングという記録をもたらし、今後の行方次第ではさらなる大記録が作られる可能性まである。

 さらにルースは、1970年に乳がんと診断されて乳腺切除手術を受けた経験を踏まえて、「Nearly Me」というシリコンで作られたリアルな人工乳房を製造する新しい会社、ルーストン社を設立。この企業はのちに売却されたが、ここでも、女性視点のアイデアで女性のニーズに応える商品開発というレガシーを残した。

 バービーの生みの親であり、多くの人々に思い出や想像力豊かな夢を与えたルース・ハンドラーは、2022年4月、85歳で大腸手術後の合併症のためロサンゼルスの病院で死去した。

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