『ミッション:インポッシブル』シリーズで知られるハリウッドスターのトム・クルーズは、子どもの頃に「ディスレクシア」とされ、文字を読むことに苦労してきたと自ら語っている。本人の発言をもとに、学習障害との向き合い方と、転校続きだった少年時代、父との関係、俳優を志すまでの生い立ちをまとめた。(フロントロウ編集部)
トム・クルーズの障害とは?本人が語った「ディスレクシア」
トムが公に語ってきたのは、7歳ごろにディスレクシア(読字障害)とされたことだ。2003年、米Peopleのインタビューで、当時の自分をこう振り返っている。
「7歳ごろ、僕はディスレクシアだとされました。読んでいるものに集中しようとしても、ページの終わりまで来ると、読んだ内容をほとんど覚えていないんです。頭が真っ白になって、不安で、落ち着かなくて、退屈で、いら立って、自分がばかみたいに感じていました」
同じインタビューでは、勉強していると脚が痛くなったり頭痛がしたりしたとも明かしている。これはトム自身の体験として語られたもので、医師の診断内容や程度について、本人が詳しく公表したことはない。
ディスレクシア・学習障害・失読症はどう違う?
日本語ではいくつもの言い方があり、検索でも「学習障害」「発達障害」「失読症」「識字障害」などの言葉が並ぶ。日本学生支援機構(JASSO)の解説によると、学習障害は、知的な発達に遅れがないのに、聞く・話す・読む・書く・計算する・推論するといった能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難がある状態を指す。発達障害者支援法では、この学習障害が発達障害のひとつに位置づけられている。
ディスレクシアは、その中でも読むことの最初の段階、つまり文字や単語を音に変える部分が正確に、または速くできない状態のこと。読字障害、難読症、失読症などと訳され、書くことにも影響が出やすいため「読み書き障害」と呼ばれることもある。トムが語っているのは、この「読む」ことの困難だ。
「字が読めない」少年時代と、転校続きの日々
トムは1962年7月3日、ニューヨーク州シラキュースで生まれた(64歳・2026年11月時点)。電気技師だった父の仕事の都合で、一家は何度も引っ越しを重ねている。
2006年の米Paradeのインタビューでは、少年時代を「僕はいつも転校生で、靴も話し方のなまりも周りと違っていました」と表現した。親友と呼べる相手もいなかったという。文字が読めなかったトムは補習クラスに入れられ、小柄だったこともあって孤立し、からかいの標的にもなった。いじめっ子に押された時の気持ちを、「心臓がバクバクして、汗が出て、吐きそうになるんです」と生々しく語っている。
読むことが苦手だったトムは、学校の勉強ものちの台本も、暗記に頼って乗り切っていたと米Biography.comは紹介している。頭の中でイメージを組み立てて理解する方法も身につけたという。
高校卒業の時点では「読み書きができなかった」
2009年には、スペインの雑誌XL Semanalのインタビューで、7歳で学習障害と診断されたと改めて語った。授業に集中できず、不安やいら立ち、退屈ばかりを感じていたこと、そして1980年に高校を卒業した時点では実質的に読み書きができない状態だったことを打ち明けている。
サイエントロジーとの関係:本人は「学習法で読めるようになった」と発言
トムは、読めるようになったきっかけとして、信仰するサイエントロジーの創始者L・ロン・ハバードが考えた学習法の名前を挙げてきた。2003年のPeopleの記事によると、トムは『トップガン』が公開された1986年以降にサイエントロジーの信者となり、ハバードが1960年代に作った学習法「スタディ・テクノロジー」に出会ったという。トムはその経験を「学びたいことは何でも学べるんだと気づきました」と語っている。
2009年のXL Semanalのインタビューでも、大人になってからハバードの方法で完ぺきに読めるようになったと述べた。2003年の時点では、ハバードの学習法を広める非営利団体「ハリウッド・エデュケーション&リテラシー・プロジェクト」の設立時の理事にも名を連ねていた。ただし、これはあくまでトム本人が自分の体験として語ったもので、この学習法がディスレクシアに効くことを示したものではない。サイエントロジーとトムの関係をめぐるそのほかの話題は、信仰する「新興宗教」との関係を伝えた記事で紹介している。
家族と生い立ち:父親は「いじめっ子で臆病者」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | トーマス・クルーズ・メイポーザー4世 |
| 生年月日 | 1962年7月3日(64歳・2026年11月時点) |
| 出身地 | 米ニューヨーク州シラキュース |
| 父親 | トーマス・クルーズ・メイポーザー3世(電気技師) |
| 母親 | メアリー・リー(教師で、アマチュアの俳優としても活動) |
| きょうだい | 4人きょうだいの3番目で、ただ1人の男の子 |
| 両親の離婚 | 1974年 |
| 俳優デビュー | 1981年の映画『エンドレス・ラブ』 |
トムが12歳の時、母メアリー・リーは父のもとを離れ、子どもたちを連れて家を出た。両親は1974年に離婚している。その後、一家はケンタッキー州ルイビルへ移り、母の再婚を機にニュージャージー州グレンリッジに落ち着いた。
父について、トムはParadeで「いじめっ子で臆病者でした」と言い切った。「何かがうまくいかないと、子どもを蹴るような人でした。安心させておいて、いきなりバン!と来るんです」と振り返り、父のそばではつねに不安があったという。両親の離婚から約10年後、トムはがんで入院していた父と再会したが、父は「過去のことは何も聞かない」ことを会う条件にしたそうだ。「苦しむ父を見て、なんて孤独な人生なんだろうと思いました。まだ40代後半で、悲しかったです」とトムは語っている。
学歴と、俳優を志したきっかけ
スポーツが得意だったトムは、レスリングの道に進むことも考えていたが、高校時代のひざのけがで断念した。それより前の14歳の時には、司祭になることを考えてフランシスコ会の神学校に入ったこともあるが、1年で去っている。
転機は16歳の時。教師に勧められて学校のミュージカル『ガイズ&ドールズ』に出演し、主要な役のネイサン・デトロイトを射止めた。舞台の上で思いがけず居心地の良さを感じたことが、俳優の道につながったという。その後ニューヨークに移ったトムは何度もオーディションを受け、1981年の『エンドレス・ラブ』で映画に初出演した。同じ年の『タップス』で役が大きくなり、1983年の『卒業白書』でブレイクを果たす。
7歳で読むことにつまずいた少年は、40年以上にわたってハリウッドの第一線に立ち続けている。その私生活については、歴代彼女6人を年表で振り返った記事や、トム・クルーズの最新ニュースとプロフィールでも紹介している。




















