英国王室のキャサリン妃が、第二次世界大戦のドイツで行なわれたユダヤ人大虐殺を生き延びた人々を撮影した。(フロントロウ編集部)

キャサリン妃、ホロコーストを忘れてはいけない

 英国王室のキャサリン妃は、ウィリアム王子と出会ったセント・アンドリュース大学でアート・ヒストリーの修士号を得て、現在でも自身が撮影した写真をたびたび発表し、子育てにもアートな要素を取り入れている。

 そんなキャサリン妃が、第二次世界大戦でドイツのナチス政権によって起こされたユダヤ人の大量虐殺ホロコーストを生き延びた人々を撮影した。

画像: キャサリン妃、ホロコーストを忘れてはいけない

「幼い頃に読んだもののなかで1番考えされられたものの1つが、『アンネの日記』(※)でした。ナチスに占領された人生に対する個人の思いを、子供の視点から書いたものです。あの惨劇に対する彼女の繊細で、親密な解釈が、この写真に流れるインスピレーションの1つです」
 ※ドイツ系ユダヤ人のアンネ・フランクが、ユダヤ人の迫害を行なったナチス政権下のドイツで生きる様を綴った日記を書籍化したもの。アンネはナチスに見つかったあと強制収容所へ収監され、1945年に15歳で死去した。

 そう言って、写真のコンセプトを英Helloに明かしたキャサリン妃は、ホロコーストを生き延び、現在84歳となったスティーブン・フランク氏と、82歳のイヴォンヌ・バーンスタイン氏に被写体となってもらうことを依頼。スティーブン氏の15歳と13歳になる2人の孫と、イヴォンヌ氏の11歳の孫も撮影に参加した。

 この写真は、今年2020年後期に開催される、ホロコーストを生き延びてイギリスへ亡命した人々を称える写真展の作品の1部となる。

生き延びても、家族や友人を亡くした

画像1: ⒸKensington Palace/Instagram

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 スティーブン氏は、ヴェステルボルク通過収容所とテレージエンシュタット強制収容所の2ヵ所を生き抜いた。スティーブン氏のいた強制収容所に送られた子供は1万5,000人に上ったが、生き延びたのは93人だった。スティーブン氏と彼の兄弟は、その93人のうちの3人となる。

 スティーブン氏が手に抱える鍋は、強制収容所で彼の母親が、自身の子供たちの食料のために使用していたものだという。

「一連の写真を見た人々が、写真の美しさだけでなく、ホロコーストによって彼らが失った家族など、写真の後ろに存在した人々についても考えを巡らせてくれることを願います」

画像2: ⒸKensington Palace/Instagram

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 ドイツ生まれのイヴォンヌ氏は、先に渡英していた両親と戦争によって一旦引き裂かれたという。その後、おじとおばと共に、フランスで様々な家を転々としながら身を隠す生活を経験。彼女のおじは、のちにアウシュビッツ強制収容所で殺された。しかしイヴォンヌ氏の父親がふたたび彼女を見つけ出し、8歳でイギリスに亡命したという。

 写真の中でイヴォンヌ氏は、ユダヤ人(Jew)を意味するJという文字がスタンプされた当時のドイツの身分証明書を眺めている。

「おばとおじが私のためにしてくれたことが人々の記憶に残り続けることが大事なのです」

 ユダヤ教の聖地エルサレムがある方角は、東。そこでキャサリン妃は、この写真の撮影を、東からの光を取り入れられる窓の横で行なったという。

ナチスによるユダヤ人の大量虐殺

 ドイツでは1933年にアドルフ・ヒトラーが首相に任命され、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)政権が誕生した。当時ヨーロッパ各地には900万人を超えるユダヤ人が住んでいたが、ナチスはユダヤ人の大量虐殺を行ない、殺害された人の数は約600万人になると見られている。

 その方法には、アインザッツグルッペンと呼ばれる移動虐殺部隊による銃殺や、強制収容所のガス室で行なわれた虐殺などがある。また、虐待や餓死、病気で命を落とした人も多く、1945年に英国軍がベルゲン・ベルゼン強制収容所を解放した際には、6万人の囚人が生き残っていたが、その後、そのうち1万人以上が栄養失調や病気で死亡した。

 またユダヤ人の他にも、同性愛者や共産主義者など、その思想や行動がナチス政権の思想に反することで迫害の対象とされた人もいた。

 イギリスで必修授業であるホロコーストだけれど、ヨーロッパ各国で、ホロコーストについて知らない人々が増えていることが問題となっている。歴史的に非常に重要な史実を記憶に留めておくことの重要性について、キャサリン妃はこう語った。

「私は幸運にも現在少なくなっている(虐殺を)生き延びた方々のうち2人に会うことができましたが、先々、この話を直接聞くことが出来る人は多くないでしょう。彼らが乗り越えたことが忘れられないためには、彼らの記憶を残し、未来を生きる世代に伝えることが肝心です」

(フロントロウ編集部)

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