多くの受賞歴を誇るブラッドリー・クーパー
2012年の映画『世界にひとつのプレイブック』や2018年の監督/主演映画『アリー/ スター誕生』などで知られるブラッドリー・クーパーは、両作でのアカデミー賞主演男優賞へのノミネートをはじめ、後者の主題歌「Shallow(「シャロウ ~『アリー/ スター誕生』 愛のうた」)」がアカデミー賞の歌曲賞を受賞するなど、これまで多くのアワードにノミネートされてきた名優。
今年2月に行なわれた第92回アカデミー賞でも、製作を務めた映画『ジョーカー』が同年最多となる11部門でのノミネートを獲得するなど、すっかり映画賞の常連となったブラッドリーだけれど、彼自身、一連の賞レースについては思うところがあるよう。
賞レースは「無意味なもの」とブラッドリー
米Interview Magazineで行なわれた、『アリー/ スター誕生』で共演した俳優のアンソニー・ラモスと行なったインタビューで、賞レースに話題が及ぶと、一連のアワードでは“個人”に焦点が当てられるという話に。
「面白いのが、賞レースのシーズンになると、いとも簡単に個人の話に切り替わります。だけど、セットには進行表というものがあって、たとえ主演はいたとしても、チームで作ったものであるわけです。機材担当の人だったり、撮影監督だったり、映画というのは、彼らなしで作ることはできません。映画では全員がスターなのです」とアンソニーが指摘すると、「その通りだね」とブラッドリーも同意。
「理由はどうあれ、1年の特定の時期になると、特定の誰かに焦点を当てます」とアンソニーは前置きした上で、「150人から200人の人たちが紡いだ物語を代表しているに過ぎないということを、僕らは忘れてしまっているのです」と指摘し、賞レースのシーズンには個人ばかりがフィーチャーされ、スタッフ全員で作り上げた作品だという事実が忘れられがちだと述べた。
ブラッドリーはこれに対し、「アワードのシーズンは事実上のテストだよね。そういうメンタリティを養うためのものなんだ」と返答して、賞レースが“個人の自意識”を高めるものになってしまっている現状を指摘。「かなり労力の要るものだし、芸術性が完全に欠けているよね」と続け、賞レースを意識するあまり、映画の芸術性がないがしろになってしまっていると批判。
「そんなもののために、必死になって芸術を創ってるわけじゃない。それなのに、“幸運にも参加”できたら必死にその一員になろうとする」と、受賞スピーチでよく聞かれるような言葉を引用して、ハリウッドの人々のアワードに対する不思議な依存を指摘した。
ブラッドリーは続けて、「ある意味で素晴らしいものだ。なぜなら、自分のエゴだったり、自惚れや不安と向き合わせてくれるから」と、彼自身が賞レースの結果を意識する自分自身と向き合ったことを示唆する発言をした上で、「すごく興味深いものだけど、まったくもって無意味だよね」と、賞レースの存在意義についてコメントした。(フロントロウ編集部)