アメリカで何が起きている?トランスの若者のスポーツ参加
アメリカでは2017年に、“トランスジェンダーの女子生徒(※生まれた時に割り当てられた性別が男だったもののジェンダー・アイデンティティは女である女性のこと)が女子チームに参加するのは身体的な違いがあるためフェアではない”という議論が保守派の議員やメディアで噴出。
当時は一時的な論争で収束したものの、2019年に入り、“女子スポーツを守るため”として、女子チームにトランスジェンダーの女子生徒が参加することを禁じる法案(以下、トランス排除法案)をいくつかの州の保守派議員が提出。このトランス排除法案を提出するという動きが他の州にも飛び火して、現在、保守派議員が多い共和党が実権を握る州を中心に、全50州のうち31州にて女子スポーツにトランスジェンダーの女子生徒が参加することを全面禁止する法案が可決または議論されている。
アメリカではトランスジェンダーの生徒のスポーツ参加に関する連邦法がないため、ルールは州によって異なる。これまでは、学校の判断に任せている州、各生徒の意思を尊重するとしている州、生まれた時に割り当てられた性別ではないチームへの参加を禁止している州、男性ホルモンと呼ばれるテストステロン値で判断している州など、まちまち。
そんななか現在アメリカで進められているトランス排除法案は、州によって細かい違いはあるものの、基本的には幼稚園から高校または大学までにおいてトランスジェンダーの女子生徒が学校で女子スポーツに参加することを全面禁止するもの。アイダホ州にいたっては、女子生徒に“性別を確認するセックス・テスト”を要求することの合法化という、トランスジェンダー/シスジェンダーに関係なく生徒の人権を侵害するような項目まで加えられた。
このトランス排除法案の最大の問題点とは?
東京2020オリンピックを含め、エリートスポーツ界でもトランスジェンダー選手の参加方法は議論を呼んでいる。国際オリンピック協会(IOC)は、トランスジェンダーの女子選手は男性ホルモンと呼ばれるテストステロンのレベルを大会の1年以上前から抑制しなくてはならないといった参加条件を作っているものの、テストステロン値を減少させてもフェアではないとする意見もあれば、さらにはホルモン治療期間は1年では足りないとする声もあり、専門家たちが研究を続けている。
ただ、アメリカで今進められている学生スポーツにおけるトランス排除法案には、エリートスポーツ界で起きているトランス選手の参加議論とは決定的な違いがある。エリートスポーツ界で起きている議論は、“どうしたらフェアな闘いの場が作れるか”ということがベースになっているけれど、今アメリカで起きているトランス排除法案は、ただトランスジェンダーの生徒を排除したいだけのトランスフォビアだと強く批判されている。
自身の地域に存在するトランス生徒を知らない議員ばかり
例えば、2021年3月に米AP通信がトランス排除法案を支持する議員24名を対象に聞き込みを行なったところ、自身の地域において女子スポーツに参加しているトランスジェンダーの女子生徒の存在を答えられた議員は、いないか、返答がなかったという。
さらにトランスジェンダーの生徒が女子チームに参加することを禁じる法案が下院で可決されたサウスダコタ州では、議論中に、そもそも過去10年において同州でトランスジェンダーの生徒が女子チームが参加した事例はたったの1件で、その生徒が女子生徒から“勝利を奪った”という事実はないことが認められたものの、それでも法案は可決された。
データの乏しさを指摘された議員たちは“子供たちのために将来の問題の種を事前に摘むため”だと主張するけれど、その心配が事実ならば、深く議論をして慎重にルールを作るべき。法案は子供にとって「危険」な動きだと声明を発表した米国小児科学会(AAPA)や、IOCに助言しているトランスジェンダーのスポーツ研究の第一人者であるジョアンナ・ハーパーをはじめとした多くの専門家がトランス排除法案に反対しているにもかかわらず、議員たちはそれに耳をかす様子はなく全面禁止を推し進めようとしている。
コネチカット州の一例がやり玉にあがる
トランス排除法案の支持派がたびたび挙げる例が1つだけある。2017年6月に開催されたコネチカット州の陸上大会で、トランスジェンダーの女子生徒が1位2位を獲得。3位になった生徒は2人の勝利を称えたものの、これが保守派のあいだでやり玉にあがり、2020年に複数の生徒がルールを変えるよう求めてコネチカット州を提訴した。
これに対して、トランスジェンダーの生徒2人は、ホルモン治療を受けている自分たちのテストステロン値はシスジェンダーの女子生徒と同等であると裁判資料で主張。この2人の生徒は勝利ばかりを収めていたわけではなく、提訴の数日後に行なわれたレースでは、提訴したシスジェンダーの生徒の1人がトランスジェンダーの生徒の1人に勝利した。
そして2021年、“訴えた生徒たちは、トランスジェンダーの生徒を女子スポーツに参加させているポリシーのせいで起きている問題を示すことができなかった”といった理由で裁判所が訴えを棄却。シスジェンダーの生徒たちは、裁判を支援しているキリスト系団体Alliance Defending Freedomを通して控訴する意思を明かした。ちなみにこの団体は、SPLC(南部貧困法律センター)によって反LGBTQ+のヘイト団体として認定されている。
学生スポーツでのトランス参加を議論するときに知っておくべきこと
学生スポーツにおけるトランス生徒の参加を議論する時に、多くの人が陥りやすい罠が2つある。
トランスジェンダーの女子生徒は男子ではない
1つ目は、当事者であるトランスジェンダーの女子生徒に対する偏ったイメージ。この議論が起きる時、昨日まで男子だった生徒が翌日から急に女子チームに入って女子選手を次々と負かす、というイメージを持つ人が一定数いる。実際に、2019年にはアニメ『サウスパーク』でそのようなギャグが描かれた。しかしこの“男子が女子チームに入る”というイメージは偏見であり、トランスフォビアである。
“日本人女性は1人残らず全員がこういう身体的特徴です”とたった1つに限定することが不可能なように、トランスジェンダーの女子生徒の身体的特徴も1つに限定することはできないけれど、男女の身体的な差が現れる二次性徴の発現前ならば、puberty blocker(思春期ブロッカー/第二次性徴遮断薬)というものを使って二次性徴の発現を遅らせて“男性的”な体つきになることを止めている生徒もいれば、テストステロンを抑制するといったホルモン治療をしている生徒もいる。そして現時点で、トランスジェンダーの生徒の女子スポーツ参加を全面禁止すべき理由を示した科学的データは1つもない。
IOCにも助言しているトランスジェンダーのスポーツ研究の第一人者であるジョアンナ・ハーパーは、研究はもっと必要としているものの、「トランス女性とシス女性の間で意味のある競争はできます」と語った。そしてこれは成人のデータになってしまうものの、2015年のハーパー氏の研究では、ジェンダー移行のためのホルモン治療をしていたトランスジェンダーの成人女性ランナー8人を対象に調査したところ、8人中7人の女性で治療を始めた後でのタイムの大幅な遅れが確認されたという。
さらに、アスリートの性差を研究する小児科医であり遺伝学者であるエリック・ヴィレイン医師は、米NPRのインタビューで、とくに高校レベルではトランスジェンダー女性のスポーツへの参加を制限する誠実な理由はないとした。
そして、2000年代からトランスジェンダーの生徒がジェンダー・アイデンティティに沿ったチームに参加することを許可している全米大学スポーツ協会(NCAA)は、トランスジェンダー排除法案を可決した州では、一大イベントであるNCAAの優勝決定戦は行なわない可能性を示唆した。
学生は奨学金のためにスポーツを行なっている...のか?
2つ目の罠が、学生スポーツとエリートスポーツを同列で考えてしまうこと。学生スポーツにおけるトランス生徒の参加の議論では、奨学金の獲得といった“機会が奪われる”ことにスポットライトが当たりやすいけれど、実際に子供たちが置かれている状況から目を逸らしてはいけない。
部活に参加したことがある人ならば分かるかもしれないけれど、毎日のように部活の練習に明け暮れた生徒の中で、大学でその道に進む者や、大人になってプロになる者はひと握り。大半の生徒にとっては、学生時代のスポーツは喜びや悔しさといった様々な感情を経験して、自信を養い、友情を深める、青春の1ページ。1つの負けや1分1秒がキャリアに響くエリートアスリートとは状況が違う。
しかし今進められているトランス排除法案は、そういった大半の生徒も1人残らず締め出すもの。米国小児科学会(AAPA)はこれを子供にとって「危険」な動きだと批判している。
そしてACLU(アメリカ自由人権協会)の弁護士であるチェイス・ストランジオ氏は、米The New York Timesの取材にこうコメントした。「ここにあるのは、実現していないことへの憶測による恐怖です。彼らは、ウィッグをかぶったレブロン・ジェームズが4年生とバスケットボールをするかのように示唆しています。しかも、そのレブロン・ジェームズは1人ではなく、100人もいるかのように。実際にいるのは、ただ趣味レベルでスポーツをしたいと思っている小さな子供たちです」。
現時点で問題となっている事例がないとは言え、奨学金を目指すような生徒にフェアな土壌を作りたいと言うならば、専門家や当事者も交えて議論をすべきところを、そういったことはスルーして全面禁止が可決・議論されているアメリカの学生トランス排除法案。だからこそ、こういった議員は“子供のことは全く考えていない”と強く批判されている。
一部では、今回の法案が可決された場合は、その流れに乗って、トランスジェンダーの子供たちの権利や選択肢を縮小するような法案がほかにも次々と提案されるという動きに繋がるのではと心配している人もいる。そしてその心配を的中させるかのように、2021年に入ってから15以上の州で新たに、18歳以下のトランスジェンダーがジェンダーに関する治療や手術をすることを禁ずる法案が検討されはじめた。
セレブリティやエリートアスリートも反応
トランスジェンダー排除法案にはセレブリティやプロのアスリートも声をあげている。
2020年12月には、テニス界の重鎮ビリー・ジーン・キングや、サッカー米代表ミーガン・ラピノー、WNBA選手キャンデース・パーカーなど約200名の女性アスリートたちが、学校でトランスジェンダーの少女がスポーツに参加することを事実上禁止したアイダホ州の法律を差し止める下級審判決を支持するよう求める嘆願書を、少女や女性がスポーツや人生において自分の可能性を発揮できるようにすることを目的とした非営利団体「Women's Sports Foundation」と、スポーツにおけるLGBTQの受容を提唱する非営利団体「Athlete Ally」と連帯して発表。
2021年3月には、シンガーのジェニファー・ロペスや、俳優のデブラ・メッシング、トランスジェンダーの娘を持つ俳優のガブリエル・ユニオンなどが、トランスジェンダーの娘を持つ父親がミズーリ州の議会で、「(法案が)可決されれば、娘は女子バレーボールチームやテニスチームでプレーすることも、ダンスチームに所属することもできなくなります。どうか、私の娘や、彼女のような数え切れないほどの人たちから、その機会を奪わないでください」などと語る動画をSNSで拡散して法案への反対を示した。
トランスジェンダーのセレブリティの間では、2020年12月にトランスジェンダーであることをカミングアウトしたエリオット・ペイジが法案をたびたび批判しており、米Timeでは、「子供だったら自分自身がその立場にいたでしょう」と語り、それを「恐ろしいことです」とした。
一方で、トランスジェンダーである元オリンピック金メダリストのケイトリン・ジェンナーは、2021年5月に米TMZの質問に答える形で、「生物学上は男子であるトランスの子が学校の女子スポーツで競うことには反対。フェアじゃない。私たちは女子スポーツを守らなくてはいけない」とトランス排除法案を支持。2015年にはこれとは真逆の発言をしていたケイトリンは、なぜ考えを180度変えたかは明らかにしていないものの、2022年のカリフォルニア州知事選挙でのトランプ支持層からの票を意識しているからではと見る声もある(トランプ前米大統領の支持層はトランス排除法案に賛成している人が多い。ケイトリンは州知事選でトランプ前米大統領と同じ選挙事務局長を雇っている)。
※ケイトリン・ジェンナーはジェンダー移行後も子供たちに父親と呼ばれたいと明かしており、子供たちもケイトリンに対するプロナウンは「her/she(彼女)」と変えながらも、呼び名は「dad(父親)」を使っているため、本記事ではこう記載する。
プライド月間に『チェンジング・ザ・ゲーム』米Hulu配信
アメリカで議論をヒートアップするなか、米Huluでは、アメリカの高校に通う3人のトランスジェンダーのアスリートを追ったマイケル・バーネット監督によるドキュメンタリー映画『チェンジング・ザ・ゲーム(原題)』が配信される。
約1時間半のドキュメンタリーでは、スキー選手のサラ・ローズ・ハックマン、陸上選手のアンドラヤ・イヤウッド、さらに、2020年にテキサス州の女子レスリングで優勝して物議を醸したトランスジェンダーの男子学生マック・ベグスという3人のトランスジェンダーの高校生アスリートの生活を追う。
映画では、スポーツが10代の若者に与える素晴らしい影響が見られる一方で、トランスジェンダーのアスリートたちが直面する偏見や差別も描かれる。約2分半の米版予告の中だけでも、「フェアじゃない。生物学上は男性」「彼らに(参加する)権利はない」といった反対論が聞かれる。
LGBTQ+の映画祭Outfest FilmFestivalの観客賞をはじめ多くの賞を受賞した本作の配信権を米Huluが獲得。世界各国でLGBTQ+コミュニティの存在が祝福されるプライド月間である6月にアメリカで配信を予定している。(フロントロウ編集部)
※キャプションの書かれていない写真はイメージです。