イギリスで最も期待されている新人アーティストに
イギリスで最も名誉ある音楽賞であるBRITアワードが日本時間2月9日に開催され、英グランサム出身の現在22歳のシンガーソングライターであるホリー・ハンバーストーンが、期待の新人に贈られるライジング・スター賞を受賞した。
2008年に新設されてアデルが最初の受賞者となり、その後もエリー・ゴールディングやサム・スミスらスターたちが受賞してきたライジング・スター賞は、いわば、イギリスの音楽シーンにおける新人の登竜門とも言える賞。昨年はグリフが受賞し、今年はホリー、ブリー・ランウェイ、ローラ・ヤングの3人の女性アーティストがノミネートされていた。
そんな名誉あるライジング・スター賞を受賞したホリーは、この賞の受賞以前にも、既にあらゆる媒体の“注目の新人リスト”の常連となっていて、こちらもイギリスの新人アーティストたちの登竜門の1つである英BBCの「Sound Of 2021」リストでは2位に選出されたほか、Apple Musicが注目の新人を選出するシリーズ「Up Next Artist」にも選出されるなど、最も注目を集めるアーティストの1人となっている。
加えて、アーティストたちの間でもホリーのファンは多く、カミラ・カベロやナイル・ホーラン、デミ・ロヴァート、ビリー・アイリッシュの兄で共作者のフィニアスらが彼女の楽曲に賛辞を寄せてきた。また、2021年に最もブレイクしたアーティストとなったオリヴィア・ロドリゴは、2022年4月からスタートする自身初の北米ツアーのサポートアクトにホリーを抜擢。
加えて、イギリスを代表するロックバンド、The 1975のフロントマンであるマット・ヒーリーも彼女の才能に惚れ込み、彼は2021年11月にリリースされたホリーの最新EP『The Walls Are Way Too Thin(ザ・ウォールズ・アー・ウェイ・トゥー・シン)』に収録されている「Please Don't Leave Just Yet」を共作した。
今回、フロントロウ編集部はホリーが最新シングル「London Is Lonely」をリリースしたタイミングでインタビューを実施。イギリスの田舎出身であるホリーが「ロンドンは孤独」と歌うこの楽曲は、誰もが共感できる楽曲を書くことができる、ソングライターとしてのホリーの魅力が存分に発揮された1曲に仕上がっている。
BRITアワード授賞式を翌週に控えたタイミングで行なったインタビューでは、昨年の時点で受賞が決定していたライジング・スター賞の受賞についてや、コロナ禍でのブレイク、オリヴィアとのツアーなどについて訊いたのだが、実は彼女の姉が大阪に留学していたことがあるという、親近感を感じずにはいられないエピソードも飛び出した。
ホリー・ハンバーストーンにインタビュー
まずは、BRITアワードでのライジング・スター賞の受賞おめでとうございます! この受賞は予期していましたか?
「ありがとうございます! もちろん予想外のことでした。ノミネートされたことすら驚きです。パンデミックによって家の中にいることを余儀なくされ、しがみついていることすら難しかったようなこの時代に、みんなが私の音楽と繋がってくれたなんて。キャリアにかかわらず、あらゆる人が経験することだと思いますが、私は自分に自信を持つことができずに、自分の音楽なんて聴いてもらえるのだろうかと思ったことが何度もありました。なので、このような一流のアワードにノミネートされたことは、本当に励みになりました。2人の素晴らしい女性アーティストと並んでノミネートされたことも嬉しかったです。受賞までできたことは、本当にクレイジーでした」
今やあらゆる“期待の新人リスト”の常連となっていますが、多くの人があなたの音楽に共感していることについてはどう感じていますか?
「海外の人たちとも繋がれていることが本当に驚きです。日本の皆さんもそうですけど、地球の反対側にいるような人たちが、私のストーリーや音楽に共感してくれていることに驚いています。ソングライティングや音楽には、こういう力がありますよね。私は普遍的なことをテーマにしているので、多くの人が楽曲に共感してくれるんだと思っていて。私がしている経験は、特別ユニークなことではないと思っているので。同じような経験や感情を共有しているという点で繋がることができるのは、クールです。すごくパーソナルな曲なので、(多くの人に聴いてもらうのは)少し怖い部分もあるんですけど、すごく励まされます。直接は知らない人たちと自分自身をシェアして、あらゆることを孤独のなかで経験している人たちに、安らぎを与えることができるんですから。それってクールですし、自分は幸運だと思います」
デビューして間もなくしてパンデミックに見舞われてしまったわけですけど、新人アーティストとして、パンデミックはどのような影響がありましたか?
「私のキャリアはパンデミックが始まった時にスタートしたような感じなので、自分では分からないところもあります。UKでロックダウンが始まるまで、私はほとんどキャリアを積んでいなかったので。たしか、2020年の2月か3月頃にUKがロックダウンされたと思うんですけど、私が最初のシングルをリリースしたのが2月頃だったので(※)。そういうわけで、私自身は、パンデミック前と後のキャリアの違いが分からないんです」
(※)イギリスでは2020年3月23日に初めて全国的なロックダウンを導入。ホリーは2020年1月30日にファーストシングル「Deep End」をリリースした。
「みんなが私の音楽と繋がっていることを実感するのが難しかった時もありました。さっきも言ったようなことなんですが、みんながスポティファイやアップルミュージックで私の曲をストリーミングしてくれているっていうデータだとか、あらゆることを自分の携帯を通じて見るのは、ちょっと奇妙でしたね。嬉しかったですよ! ただ、私はなかなか(自分の人気を)実感することができませんでした。みんなに会いに来てもらえるような公演ができずに、ずっと(自分のメインの公演ではなく)サポートアクトという形でやっていたので。なので、家族や友人以外、私の音楽が大好きだと言ってくれる人に会ったことがなかったんです。そんな状況だったのが、突然、知らない人たちが私の音楽に共感してくれるようになったっていう。それを実感するのは難しかったですね。それから、パンデミックの真っ只中ということで、外へ出て友人に会うことなどができなかった時には、インスピレーションを得るのも難しかったです。みんなに会えるのはオンラインでっていう状況になり、ロックダウンということで、唐突にアルバムの制作に充てられる時間がたっぷり与えられたわけですけど、クリエイティブになったり、楽曲を書いたりするのは難しかったですね。インスピレーションがまったく湧かなかったです。私が特に驚いたのは、一旦パンデミックが明けた時でした。去年の夏には、ショウやフェスティバルで演奏できるようになって、実は、日本でも公演するはずだったんです」
え、そうだったんですか!
「コロナのせいで、実現しなかったんです。本当は日本に行く予定があったんですよ。楽しみにしていたんですけどね。とにかく、(夏以降は)驚きでした。UKでチケットがソールドアウトすることも驚きですが、世界の向こう側でもそれが起きるなんて。外へ出て、私の音楽を実際に聴いてくれている人たちを直接目にすることができたのは、クレイジーでした」
最新シングル「London Is Lonely」はパンデミックの以前に書いていた曲だそうですね。
「その通りです。私がロンドンに引っ越してきたのは、パンデミックが起きる前でした。私はUKの田舎のほう、ミッドランズにある小さな村の出身で、そこからロンドンへ引っ越した時は、ちょっとしたショックを受けました。ロンドンはかなり混沌としているし、人は多いしで、心の準備ができていなかったんです。ロンドンでは最初、知らない人たちと一緒にアパートで生活していました。その人たちとは最終的には友達になって、今では大好きな人たちですが、当初はすごく孤独を感じて、私は自分の小さな部屋に閉じこもっていました。外へ出て、恐ろしいロンドンを目の当たりにするのが怖かったんです」
「この曲は、パンデミックになり、実家に戻ってすぐに書いたものです。自分が感じていたことを曲にしました。実際、実家に帰って、曲作りを始めたルーツでもあるピアノでこの曲を書けたのは嬉しかったですね。とてもリラックスできました。この曲は自然に出来上がったという感じなんです。滅多にないことなんですけど、この曲はすぐに思い浮かびました。すごく誇りに思っている1曲です。当時の私の感情を完璧に表現できていると思います。実際、私は今でも、ロンドンとは同じような関係性にあると思っていて。今はロンドンで姉妹と一緒に暮らしているので、少し居心地も良くなり、この都市のことも以前よりは知ることができていますが、ここが自分のホームだと思えるようになることはない気がします。ここにいると、自分は偽物なんじゃないかって思ってしまうことがあります」
「Please Don't Leave Just Yet」では、The 1975のマット・ヒーリーと共作しています。このコラボレーションはどのように実現したのでしょう?
「どうして実現したのかな? いずれにせよ、すごく嬉しく思っています。ソングライティングの面で、The 1975からはずっとインスピレーションを受けてきましたから。10代の頃は彼らの曲をたくさん聴いていました。彼(マット・ヒーリー)は素晴らしいソングライターであり、素晴らしいミュージシャンだと思います。どうして実現したかは分からないのですが、UKでは2020年にロックダウンとロックダウンの間の期間があって、その時は通常の仕事に戻ることを許されたんです。ただ、旅行はできなかったので、ロンドンで暮らしているあらゆるソングライターやアーティストたちが、ロンドンに滞在していました。それで、私も彼がロンドンにいることは知っていて。彼は本当に優しい人で、積極的に、新人アーティストと実験的なことに取り組んでくれるんです。彼は純粋な興味から、音楽をリリースしたばかりの新人に友情の手を差し伸べてくれるのだと思います。すごく楽しかったですね。彼はただただ素敵で、スタジオでは、皆さんが想像している通りの良い人ですよ。素晴らしい人です」
「一緒にいる人を居心地よく感じさせてくれるようなソングライターっていると思うんです。というのも、私は不安を抱えやすいタイプで、新しい人たちとセッションすることは私にとっては難しいことで。これまで、私は色んなソングライターたちとたくさんのセッションをしてきましたが、彼には、私に居心地よく感じさせてくれるような特別な何かがありました。彼には弱みを晒け出せましたし、その結果として『Please Don't Leave Just Yet』が生まれました。私はありのままを出せて、それが大好きな1曲になったんです。それから、願わくば、一緒に書いた曲がもうすぐまた出るかもしれません! 今は否定も肯定もできないんですけど(笑)。一緒に曲が作れて本当に嬉しかったです。本当に、どうして実現したのかは分からないのですが、進んでコラボしてくれたことに本当に感謝しています」
4月には、ご自身がサポートアクトを務めるオリヴィア・ロドリゴの全米ツアーがスタートしますね。オリヴィアとは以前から知り合い同士だったのですか?
「彼女の音楽は聴いたことがありました。まあでも、誰もが聴いたことあると思いますけど。彼女は最高ですよね。パンデミックを通じて私が最も感謝していることの1つが、多くの若いアーティスト、特に女性たちが音楽をリリースしていたことなんです。彼女たちは、私が新人アーティストとしてパンデミック中に経験していることを理解し、共感してくれますし、私もまた、彼女たちが感じていることや経験していることに共感することができます。彼女たちのような多くのアーティストたちにインスパイアされました。オリヴィアは特にそうです」
「元々、メッセージのやり取りはしていて、インスタグラムなどで少し交流はしていました。それで、10月に公演をするために初めてアメリカへ行った時に、(LAの)ハリウッド・ボウルにアラニス・モリセットのライブを観に行ったんです。本当にクールなライブでしたが、そこでオリヴィアを見つけて、お互いに挨拶しました。なので、1回会ったという感じですね。すごく素敵な人ですよ。彼女に会うのも楽しみですし、毎晩彼女のショーを観られるのも楽しみです。私、絶対に観客席で泣いちゃうと思います(笑)。誘ってくれた彼女には本当に感謝しています。アメリカの変わっている部分を知ることや、大規模なショウで演奏するのが楽しみ。本当に幸運だなと思います」
最後に、日本のファンへのメッセージをお願いします。
「日本はお気に入りの国なんです。本当に日本が大好き。姉が1年大阪へ留学していたことがあって、家族で姉に会いに行った時に、何もかもに魅了されました。子供みたいに歓声をあげながら日本を観光していました。東京や他の都市へも行きましたよ。日本へ戻るのが待ちきれません。日本へ行って自分の音楽を演奏して、私の曲を聴いてくれている皆さんに会いたい。それって、考えるだけですごいことだなと思います」
「なので、私はただただ、私のことを待っていてくれてありがとうと伝えたい。すぐにでも日本へ行きたい! 本当は、他の国よりも先に日本に行きたいと思ってる。私は日本へ行きたい。私は日本が大好きで、それは紛れもない事実。早くそっちへ行きたいな。行ける状況になったら、すぐに向かうからね!」
ホリー・ハンバーストーン
最新シングル「London Is Lonely」
発売中
(フロントロウ編集部)